“やる気”幻想
王妃様からの指示を受けて数日。
まずは現状把握から。
正式に学院長になるのはまだ先だけど、それまでに来年度の指導計画を考えておかなければならない。
因みに、今現在モーシェブニ魔法学院に学院長はいない。
クビになったらしい……。
まぁ、面倒がなくていいんだけどね。
それはともかく、あまり学院のシステムとか色々変えるのは大変だから、できれば避けたいんだけど……。
う~ん、王妃様の話を聞く限りだと、そうもいかないかも……。
まずは現状の学院の問題点や、現場教師の指導内容を知る必要がある。
何をどう教えていて、結果どういう状態になっているのか?
それが分からないと、改革案も出せないからね。
幸い、表立って私の学院長就任に異を唱えるような教師はいないそうだから、それだけが救いか……。
で、私との顔合わせも兼ねて、最初の職員会議を行ってみた訳ですが……。
「え〜と、では、この学院にはカリキュラムだけでなく、どの教師が何をどの程度教えるといった取り決めも全くないのですか?」
「はい、その日の授業については、その時の担当教師の判断に一任されておりますから。
学校行事に関しましては、いつ頃何をやるといった予定は決められていますが、普段の授業については個々の教師の判断に任されております」
「……確か、一般教養の授業は、先生方が各々交代で担当すると伺ったのですが、誰が何時どこの内容の授業を行ったといった記録はないのですか?」
「特にございません」
「では、口頭のみでの申し送りだけですか……」
「は? いえ、そういったことは特に……。
その日の授業を担当した教師は、その都度生徒達にとって最も必要と思われることを指導するだけです」
「“最も必要なこと”とは?」
「まぁ、大抵は担当教師の研究テーマになります」
「………………」
その後、色々と確認して分かったこと。
ここって、教育機関ではない!
そもそも、教師側に、子供に勉強を教えようという気がないのだ。
いや、別にここの教師が不真面目とか、仕事をしないとか、そういう訳ではない(らしい)。
みな真面目で勉強熱心、研究熱心な優秀な学者さんで、生徒からの質問にも丁寧に対応してくれる。
そう、聞かれれば……。
教師は自分が当番となった一般教養の授業で、自分の研究テーマについて話す。
それで興味を持った生徒は、後日その教師の研究室を訪れてそこで教えを乞う。
そのままその生徒が通い続ければ、教師はその生徒により深い知識を授けるし、続かないようであればそれで終わりだ。
教師曰く、学問とは高尚なもので、他者に押し付けられて無理やり学ぶようなものではない。
学ぶことは、義務ではなく権利なのだ。
たとえ無理矢理やらせたところで、学ぶ者に“やる気”がなければ何も身に付かない……そうだ。
出たよ、“やる気”理論。
まさか、転生してまでこの主張に悩まされることになるとは……。
前世でも、家庭教師時代に散々聞かされた言葉だ。
『うちの子は“やる気”がないから、何やらせても駄目なんですよ。
先生、うちの子の“やる気”を引き出して下さい』
『“やる気”が出ないんだよねぇ……。嫌々やっても効果出ないと思うし……。
先生、どうやったら“やる気”出ますか?』
『先生、もっと“やる気”の出る授業をお願いします』
そういう生徒や親御さんに対して、いつも私はこう答えていた。
私は、会議室に集まる教師達を一瞥すると、もう何度となく繰り返してきた台詞を再度繰り返す。
「順番が逆です。
大抵の子供は、“やる気”があるから勉強するのではなく、無理矢理やらされていたらだんだん面白くなって、結果“やる気”になるものです。
先生方の仕事は、生徒に無理矢理にでも勉強させることだと考えて下さい」
それから私は、義務教育とはなんぞや?って事について改めて説明し、そのためにどのような知識を与えるべきかを考えるよう指示を出す。
まずは、カリキュラムの作成からかぁ。
基本はセーバリア学園と同じ感じで問題無いと思うけど……。
領地の産業を発展させる人材を育成する事を主眼に作られたセーバリア学園のカリキュラムと、国や領地の指導者的立場の人材を育成する目的の魔法学院では、微妙に教えるべき内容も違うんだよねぇ。
セーバリア学園の初級、中級クラスのカリキュラムと到達度テストのサンプルを見せて、これを参考に来年度用のカリキュラムと試験問題の作成を皆に依頼したんだけど……。
「失礼ながら、このような試験問題では、生徒の能力は測れないのでは?」
難しい顔で渡されたセーバリア学園の試験問題を睨んでいた老齢の教師が、顔を上げると私に向かってそう言った。
彼の名はフェルマー伯爵。数学科の筆頭教師だ。
この国では何かと下に見られがちな学問系の教師だけど、伯爵の名に恥じず魔力も高くて、魔法の腕もそれなりらしい。
ただ、彼自身は所謂数学マニアで、長い間学院で教職に就きながら、一生を数学に捧げている変わり者とのこと。
それでも、伯爵の爵位は伊達ではなく、また学院で最も在職年数の長い教師ということもあり、彼の発言はある意味学院長より余程重い。
大体、今いる教師の半数以上、そして、お父様やお母様、国王夫妻に至るまで、かつては彼の教え子だった訳だから、もう絶対に敵に回してはいけない存在だ。
そんな人からの物言い……。
これは、勝負どころだ!
正直言えば、彼を黙らせることは簡単にできるんだよね。
私が、彼の知らない数学知識を幾つか教えてあげればいい。
この世界の数学知識は、精々日本の中学生レベル。基本“算数”の世界。
グラフすら存在しない世界なのだ。
そんな世界だから、私がフェルマー伯爵にちょっと前世で習った数学を教えてあげれば、彼は喜んで私に従ってくれるだろう。
実際、王妃様もそう言っていた。
でも、それもちょっと違う気がするんだよね。
一生かけて自力で数学という学問を積み上げてきた人に対して、私が偉そうに前世の知識をひけらかして、それで本人が納得していない事を無理矢理やらせるっていうのも、何かねぇ……。
というわけで、私は真っ向からの説得を試みることに決めた。
「それは、どういう意味でしょう?」
そう聞き返す私に、フェルマー伯爵が主張したこと。
これも、散々家庭教師時代に言われたなぁ……。




