教育方針 〜ディビッド視点〜
(ディビッド視点)
その日、私は夜も遅い時間になって漸く帰宅した。
「ふぅ、疲れた……」
思わずそんな言葉が口から出てしまう。
時間はもう既に深夜に近い。
この国の一般的な労働時間が日が沈むまでであることを考えると、はっきり言って働き過ぎだ。
そもそも、まともに働いている貴族ですら少数だというのに。
これも全て私が我儘を言って王位を弟に押し付け、平民のアリッサと無理矢理結婚したことが原因だから、決して文句を言えた義理ではないのだが……。
早々に着替えを済ませた私は、まっすぐに娘の部屋へと向かった。
まだ幼い娘は、当然この時間には眠っている。
起きている時には3歳児とは思えないほど大人びた表情を見せる娘も、眠っている時の顔は年相応で、思わず抱きついて頬擦りしたくなるほど可愛らしい。
もちろん、起きているときの様子もとても可愛らしいのだが。
最近、急速に言葉を覚え出した娘は、質問魔だ。
これは何?、あれは何?と、周りの大人たちに聞きまくっている。
まるで何かに急き立てられるように新しい知識を貪欲に求めるのは、やはり先生の孫ということだろうか?
そんな一生懸命な様子の娘もとても可愛いのだが、やはり幼い子供らしい無邪気な寝顔は、今の私にはなくてはならない極上の癒しだ。
たっぷりと娘の寝顔を堪能し、起こしたりしないよう細心の注意を払いながら、娘の柔らかい髪を撫でてあげる。
そうして仕事で失った活力をたっぷりと補充した私は、愛する妻の待つ私室へと向かった。
「今日のアメリアはどうだった?」
やはり、最近は夫婦の会話もアメリアが話題の中心だ。
直接娘の成長を見られないのは残念だが、毎日アリッサの口から語られる娘のエピソードも、最近の私の楽しみの一つだ。
「今日は字を教えたわよ」
「ん?」
何でもないことのようにアリッサは言ったが、娘はこの前3歳になったばかりだ。
さすがに少し早すぎないだろうか。
「だってあの子、前から字を教えて欲しそうにしていたしね。
最近は会話もだいぶしっかりしてきたから、もう大丈夫かなって」
「で、実際に教えてみてどうだったんだ?
少しは理解できたのか?」
私が娘の様子を尋ねると、アリッサは表情を少し真剣なものに変えた。
それを見て、私も真面目に話を聞こうと姿勢を正す。
「少しもなにも、あの子完璧に文字というものを理解していたわ。
文字の規則もあっという間に覚えちゃって……。
あの子、もう自分の名前も私やあなたの名前もふつうに書けるわよ」
娘のあまりに規格外な優秀さに、喜ぶよりも先に得体の知れないうすら寒さを感じてしまう。
「私が文字を教えた直後でそんなだったからね。
あの後もずっと文字の練習していたみたいだし、多分もう自分が知っている言葉なら自由に読み書きできるようになってるんじゃないかしら。
サマンサが、アメリアの書き出したすごい数の単語のスペルチェックをさせられたって愚痴ってたしね」
「なっ、いくらなんでもそれは……」
思わず否定してみるものの、恐らくそれは事実なのだろう。
アリッサは娘を猫可愛がりしているが、それでいて評価は冷静だ。
能力がないのに能力があるとは決して言わない。
ただ、能力のあるないに関係なく娘を可愛がっているだけだ。
アリッサができるというのなら、本当にできるのだろう。
「それに字がねぇ……。 上手なのよ」
何やら考え込むように言うアリッサ。
下手よりは上手い方がいいに決まっている。
何か問題でもあるのだろうか?
よくわかっていない様子の私に、自分が昼間見た光景を噛んで含めるようにアリッサは説明した。
初めてペンを使ったにも関わらず、何も教えられずとも正しい持ち方でペンを持ち、力任せに線を引くのではなくペン先を潰さない程度の軽い自然な筆圧で正確に線を引き、お手本通りに字を真似ていく。
そのどれを取っても、初めてペンを扱う子供にできることではなかった。
まして、アメリアはまだたったの3歳なのだ。
優秀とかという問題ではなく、はっきり言って異常である。
「途中から私の羽ペンを使わせたけど、問題なく使っていたわよ。
小さな子に柔らかな羽ペンなんて使わせたら、普通はすぐに壊しちゃうんだけどね。
あの子、初めからペンの扱いや文字を書くことを知っていたわ。
それが生まれつきのものなのか、あの子供とは思えない観察眼のせいなのかはわからないけど……。
あの才能は異常よ。
このまま放置しておいてもいいのかと心配になるくらいにね」
アリッサはそう言うと、私の目をじっと見詰めて黙りこんだ。
確かに、アメリアの才能は優秀を通りすぎて異常だ。
あの才能が今後どのような方向に向かっていくのか、私にも全く想像がつかない。
今は屋敷から出ることはないので何も問題はない。
だが、これからもずっと屋敷に引きこもらせておく訳にはいかない。
これから先、外に出るようになったアメリアを、我が家に対して好意的ではない貴族どもはどう見る?
貴族には全く相応しくない魔力量。
平民の母を持つ子供。
それだけなら単なる侮蔑の対象で、奴等も目障りだとは思ってもわざわざ排斥しようとまでは考えないだろう。
別に自分達に実害がある訳ではないのだから、敢えて私を敵に回してまですることではない。
だが、あの才能を目の前で見せつけられたらどうだ?
優秀とか役に立つとかそういうレベルではなく、最早自分達では理解不能な圧倒的な才能。
しかもその才能は、自分達が絶対の価値をおく魔力についてのものではなく、もっと別の何かなのだ。
人は自分の理解できないものに本能的な恐怖を抱く。
そしてそれは、例の公爵家の人間だ。
アメリアに対する悪感情はそれを産み出した公爵家に、そして公爵家を容認している王家にも向くかもしれない。
ようやく収まってきた王家への批判が、また再燃する可能性もある。
アリッサも気付いているのだろう。
アメリアの問題が、我が家の中だけの問題では済まなくなる可能性に……。
「何も心配する必要などない。
周囲が何かと五月蝿くなるのは、アリッサと結婚した時にもアメリアが産まれた時にも覚悟したことだ。
今更自分の娘が他より優秀過ぎて悪目立ちするぐらいで、一々動揺したりはしないさ。
親として娘の才能を神に感謝こそすれ、それを疎ましく思ったりなんてしないよ」
私の答えを黙って聞いていたアリッサは、うれしそうに表情を緩め、
「うん。合格」
と宣った。
「これでもし国のためにとか言って、娘を処分だとか幽閉だとか言い出したら、私、速攻娘を連れてこの国を出るつもりだったから」
危なかった!!
正に家庭崩壊の岐路に立たされていたらしい。
アリッサは本気でやる。
この嫁はそういう人間だ。
家とか国とか生活の安定とか、そういったものに執着しないのだ。
この国が自分や娘にとって相応しくないと判断すれば、あっさりとこの国を見限るだろう。
私を含めて……。
何とか家庭崩壊の危機を回避した私は、アリッサと今後の娘の教育方針について話し合った。
娘の才能はとことん伸ばす。
出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれない。
中途半端にその才能を抑えて周囲から隠すよりも、目一杯伸ばして周囲の感覚を狂わせてしまう方が得策だ。
人は他者との些細な違いには目くじらをたてるが、大きな違いには意外と寛容なものだ。
娘は恐らく魔力が少ない。
どちらにしても、このまま普通の貴族として当たり前にやっていくのは難しいだろう。
であるなら、せっかく神から与えられた才能を目一杯伸ばし、魔力がなくとも一人でやっていけるよう育ててやるのが親の義務であろう。
その夜、そんなことを妻と話し合った。




