第9話 風を越えて、願いが揺れる
教室の窓を開けると、風がふわっと吹き抜けた。
秋のにおいが、すこしだけ混じってる。
夏の終わりを運んでくるような、ちょっとさみしい風。
「はーい、今日のホームルームはここまで〜。下校の準備してね〜」
先生の声が遠く聞こえるなか、わたしはカバンに教科書をつめていた。
でも、手の動きは止まりがち。
頭のなかには、ずっと“しずくちゃん”のことが残ってる。
彼女が、またちゃんと笑えるようになるには――
何をしてあげればいいんだろう。
「りん、また考えごとしてるー」
いつのまにか、ルチルが机のうえにちょこんと座ってた。
「……うん、ちょっとだけね」
「雨宮しずくちゃんのこと?」
うなずくと、ルチルはうんうんとうなずき返してから、小さくため息。
「りんが“自分のために”って言ったあの夜。彼女の魔力量、すこしだけ安定してたよ。
でも、まだ不安定な部分も残ってる」
「じゃあ、見守ってあげるしかないよね」
自分で言っておいて、胸の奥がちくっとする。
――ほんとうは、今すぐにでも会いたいのに。
◇
その帰り道。
商店街を抜けて、公園を通って、住宅街に差しかかる頃。
「りん、こっち」
ルチルが急に耳打ちして、細い路地へと誘導してきた。
「しずくちゃん?」
「うん。彼女、近くの空き地にいるみたい。なにか、“試してる”」
試してる?
わたしは足を速めて、急いでその場所へと向かった。
◇ ◇ ◇
夕暮れの空き地には、誰もいなかった。
でも、かすかな魔力の痕跡が残っていた。
たしかにここで、“何か”が使われた跡。
「……自分で、魔法を練習してたのかな」
地面には焦げ跡のようなもの。風の属性魔法の痕だとすぐにわかった。
“風”――それは、雨宮しずくの得意魔法。
でも、今の彼女は契約が切れかけていて、魔力も不安定なはず。
「無理しないでって、言ったのに……」
わたしは跪いて、そっと地面に手を置いた。
冷たい土のなかに、あたたかい“願い”の残り香を感じた気がした。
「……待ってて、しずくちゃん。
わたし、ちゃんと――君の“居場所”になるから」
風がまた、さっきと同じように、頬をなでていった。
さっきより、すこしだけ、あたたかかった気がした。
◇ ◇ ◇
夜。
わたしの部屋の天井には、魔法で貼りつけた星のステッカーが浮かんでる。
蛍光インクで光ってるだけなんだけど、なんとなく好きで、毎晩見てる。
「ルチル、今日さ……」
「うん?」
「しずくちゃんの魔力痕、すごく綺麗だった。
ふわって、揺れて、でも芯があって……ちょっとだけ、あの人に似てた」
「あの人?」
「……九条ミレイ」
ルチルが、少しだけぴくりと動いた。
「ミレイさんと、しずくちゃん? ぜんぜんタイプ違うじゃん」
「見た目はね。でも、どっちも、“自分に厳しすぎる”ところがある」
手のひらを見つめた。
何も持ってない。でも――
ここに誰かの“願い”を受けとめたら、魔法って生まれるんだよね。
わたしはそれを、自分のために使ってる。
しずくちゃんが、“誰かのために頑張ってきた魔法”なら、
わたしは“自分のきらめき”のために、笑ってる。
その違いって、きっと小さなこと。
でも……その小さな違いが、きっと――救えるものも変えていく。
◇
「……そろそろ、ミレイさんにも何かしら動きがありそうだよ」
ルチルがぽつりとつぶやいた。
「上層部からの“再優先命令”、もう出てる頃じゃないかな」
「わたしの排除、ってやつ?」
「うん。そろそろ本気で“消しにくる”可能性もある」
でも、わたしは笑った。
「ふふ、じゃあ――もっと揺らしちゃおっかな」
「え、なにを?」
「ミレイさんの心」
ルチルが「またそれ〜」って顔をするけど、冗談じゃなかった。
あの人の中にある“揺らぎ”を、もっと、見てみたい。
もっと、“自由”の風を吹き込んでみたい。
それって、戦いでもなんでもなくて――
わたしにとっては、たぶん……恋と同じくらい、ドキドキする魔法。
◇ ◇ ◇
数日後の放課後。
わたしは屋上にいた。
風が強い日だった。
スカートの裾を押さえながら、空に向かって声を放つ。
「ねえ、ミレイさん。見てるんでしょ?」
返事はない。
でも分かる。この空気の振動。わずかな魔力のざわめき。
「わたしね、今日も“契約”してないよ。
自由気ままに、勝手に、わがままに――魔法を使ってる」
ハートのエフェクトをひとつ、指先で弾いてみせる。
ピンク色のきらめきが、空にふわりと舞った。
「でも、それが誰かを笑顔にして、わたしも楽しくて。
……それって、そんなに悪いこと?」
風の向こうに、気配が立った。
制服のまま、無言で現れたのは――九条ミレイだった。
◇
「監視のつもりで来たのかもしれませんが、
……どうも、私は最近、判断が曖昧になっているようです」
ミレイはそう言って、視線をわたしに向けた。
表情はいつも通り、冷たい。
でも、その瞳の奥が――やっぱり、少しだけ揺れていた。
「あなたのような存在は、協会にとって“異常値”です。
規格外で、制御不能で、……危険で」
「でも?」
わたしは一歩、彼女に近づいた。
「でも、それでも――見逃したくなるくらいには、可愛い?」
「…………っ、違います」
めっちゃ動揺してた。か、かわいい。
「ミレイさん、知ってる?
風ってね、自分の意志なんてないの。
でも、人の心に触れたとき、いろんな色に変わるんだって」
「……?」
「だから、あなたの中に吹いてる風も――
いつか、わたし色に染まっちゃえばいいのにね」
ミレイはわたしを見つめたまま、答えなかった。
でもその手が、ほんの少しだけ震えていたのを、
わたしは見逃さなかった。
◇
夜。
わたしは部屋で、窓を開けて星を見ていた。
ルチルがぽつりと呟く。
「……もしかして、ミレイさん、ほんとに“変わる”かもね」
「ふふ、でしょ?」
「でもそれって、“正義”の裏切りかもしれないよ?」
「いいんだよ。
“正義”なんて、簡単に裏切られるくらいが、ちょうどいいの」
星が瞬く。
今日もまた、“誰かの心”が――ほんの少しだけ、揺れた気がした。




