エピローグ
穏やかな昼下がり、心地良い風と柔らかな日射しが降り注ぐ。二人の足元では、気持ち良さそうにショコラが寝息を立てている。
クラウスがすっかり回復して数日後の休日、別邸の屋敷の中庭でルーフィナとクラウスはお茶をしていた。
「休みに入ったら、旅行にでも行こうか」
後半月もしないで長期休みに入り、休みが開ければその後は進級となる。ルーフィナは遂に三年生かとしみじみ思っていると、クラウスからひょんな提案をされた。
「旅行ですか? あ、でも、お仕事は……」
一瞬喜んだが、直ぐに眉根を寄せた。
彼が多忙なのはよく知っている。旅行など行ったら、仕事が山の様に溜まりクラウスが休めなくなってしまう。
「ずっとベッドの上で過ごしていたから、溜まった仕事は全部片付けられたよ。それに、もう側近は辞めたからね。時間に余裕が出来たんだ」
「そうですよね……」
王太子がエリアスからローラントに代わり、現在ローラントは王太子教育に追われ大変そうだ。そんな事を考え少ししんみりとしてしまうが、ルーフィナはある事を思い出し声を上げた。
「そう言えばローラント様が、クラウス様を側近にしたいと仰ってました」
「は? あ、いや……ローラント殿下が、僕を側近に?」
心なしか顔が引き攣って見える。
「クラウス様は優秀で頼りになるから適任だと仰ってました。ふふ、妻として鼻が高いです!」
「はは、そうかい? それは嬉しいな。なら考えて見るよ」
「ローラント様にお伝えしておきますね」
ローラントの側近になれば、また忙しくなるかも知れない。クラウスの身体が心配だが「王太子の側近になる事は貴族として何より名誉な事なんだよ」とリュカから教えて貰ったので、きっとクラウスもまた側近に任命されるなら嬉しい筈だ。なのでこれからは、誠心誠意妻として支えるとルーフィナは意気込んだ。
「そうだ、ルーフィナ」
不意にクラウスは席を立つと、ルーフィナの前に跪いた。
色白の肌と絹の様な金色の美しい髪を日射しが照らし出し、翠色の瞳が真っ直ぐに見つめてくる。まるで御伽噺に出てくる王子様みたいだ。
「クラウス様?」
突然の事に戸惑っていると、そっと左手に触れられた。
「随分と遅くなってしまったけど……」
クラウスは、ルーフィナの薬指に自らと同じ瞳の色の宝石の指輪を嵌めた。よく見ると、彼の左薬指にはルーフィナの瞳の色の宝石が光っていた。
「ルーフィナ、君を愛している。これから先も、君とずっと一緒に生きていきたい」
真っ直ぐな彼の気持ちが伝わってくる。
クラウスから気持ちを伝えられるのはこれで三度目だ。言われる度に、胸が高鳴り温かくなるのを感じる。
九年前に結ばれた縁はずっと遠く離れていた。だが切れかけたその縁は結び直された。その事がとても不思議で嬉しく思う。
「私もクラウス様を愛しています。ずっと貴方の隣で一緒に生きていきたいです」
そう言ってはにかんだ。するとクラウスは立ち上がりルーフィナへと手を伸ばすと軽々と持ち上げる。
「クラウス様⁉︎」
咄嗟に抱きつくと、そのまま抱き抱えられた。吐息がかかる程至近距離に彼の顔がある。
恥ずかしくなり、全身が熱い。きっと顔は熟れた苺くらい赤くなっているに違いない。
「ルーフィナ……」
「あの、クラウス、様……ーー」
ゆっくりと、互いの唇が近付き重なった。
一度目のキスは死を覚悟した時で、正直よく分からなかった。だが二度目のキスはーー思ったより彼の唇はずっと軟柔らかく甘かった。
それにクラウスからはいい匂いがする。香水とは違う、安心する、そんな彼の匂いだ。
(頭がぼうっとして、ふわふわする……)
数秒触れた唇はリップ音を鳴らし離れるが、最後に舌で舐められ「ぁっ……」と声を洩らす。更にピクリと身体が反応してしまい羞恥心から眩暈がした。
「学院を卒業したら結婚式を挙げようか」
「結婚式ですか?」
あの後、ルーフィナはクラウスの顔を見る事が出来ずに逃亡し暫し木陰に隠れていたが、直ぐに見つかり抱き抱えられ戻された。
落ち着くまで頭を撫でられたり、お菓子を食べさせて貰ったりとあの手この手で宥めてくれてた。だがそれ等より一番効果があったのは、クラウスの膝の上に座らされて、一周回って冷静になった。いや、開き直ったという方が正しいかも知れない。
「そうだよ。沢山人を呼んで盛大にしよう。僕の自慢の妻を皆に見て貰うんだ」
冗談だと分かってはいるが、どうしても恥ずかしくなってしまうのは、もはや仕方がないと諦める。
「挙式は国で一番大きなエスポワール大聖堂にして、ドレスは社交界で有名なマニフィークで仕立てよう。聖堂の中は花で埋め尽くして、花でなく羽を撒こうか。後はーー」
何故羽なのだろうと疑問に思いながらも、張り切っているクラウスを見て思わず笑ってしまった。
「ああ、でも、こんなに可愛い妻を見せるのは悔しいな。僕だけで独り占めしたい」
甘える様に頬を擦り寄せてくる姿に再び胸が高鳴る。
(ふふ、クラウス様、可愛い……)
普段は王子様の様で格好良いが、こんな風に甘えてくれて嬉しく感じる。
クラウスのこんな可愛い一面は、きっと誰も知らないだろう。彼に憧れている沢山の令嬢達だって、一生知る事はない。そう思うと少し優越感を感じる。所謂これが妻の特権というものだと実感した。
「はぁ……帰りたくない」
「え……」
「いや、違うんだ、今のは聞かなかった事に……」
「でしたら、帰らなくていいように一緒に暮らしませんか?」
実はずっと前から思っていた。
クラウスを見送る度に寂しくて堪らなくなる。
療養中に本邸で寝泊まりしてからは、更にその思いが強くなった。
ただ迷惑かも知れないと、中々言い出せずにいたのだ。
「ルーフィナ……いいのかい?」
「はい、勿論です。寧ろずっとクラウス様といられるなんて、幸せです」
「僕も幸せだよ」
恥ずかしくなり笑って誤魔化した。釣られたようにクラウスも照れながら笑ってくれた。
終わり




