八十四話
二ヶ月後ーー
動けるまでに回復したクラウスとルーフィナは国王からの要請を受け登城した。
応接間には、国王ライムント、王妃ジネット、第二王子ヨハネスに第三王子ローラント、クラウス、ルーフィナの六人が向かい合って座り、話し合いが始まった。
事件後からずっと自室にて謹慎しているエリアスに関してだ。
既に事件に関して、クラウスとローラントからライムントに報告されており、無論エリアスの事も把握している。
「現時点でザームエル・ファロとの書簡のやり取りが確認されているが、直接的な関与の実証は出来ていない。本人も否定しておる。だが間接的といえど、関与していた事は否めない。故にエリアスは廃太子とする」
ザームエルとやり取りを行った書簡は全て回収され、その内容も明らかにされた。
ライムントが話した様に、確かにエリアスは直接手を下した訳ではない。ただザームエルに対して助言や事件を促す様な言葉が並べていた事も事実だ。一国の王子が貴族殺しを助長させるなどあってはならない。
「あらそれなら次の王太子はヨハネスになるのね、良かったわ」
重苦しい空気の中、嬉々として甲高い声を上げたのはジネットだ。不謹慎だが、彼女はまるで気付いておらず話を続ける。
「正に僥倖とはこういう事をいうのね。早速お祝いをしないといけないわ。王太子になるのだから部屋も移らないといけないし、服も一式新調しないと。忙しくなるわ。そうそう盛大な舞踏会を開いてお披露目も」
「僕、王太子なんてなりたくない」
一人浮かれるジネットの言葉を遮り、ヨハネスが口を開く。その瞬間、部屋は静まり返った。
「な、何言ってるの? 貴方こそ王位に相応しい人間なのよ」
「そんな事、誰か決めたの?」
「決めるもなにも、貴方は私の息子でこの国の王子なの。当然でしょう?」
「でも昔から母上は、兄上は王位に相応しくないって言ってたよね。兄上はダメで僕は良いのは何で?」
「それは……」
言い淀むジネットと目が合ってしまい、何か言いた気に睨まれた。
「似てるからよ」
ルーフィナ見ながらそう言い放つ。
意味が分からず、困惑していると彼女は嘲笑する。
「あの女に、ルーフィナもエリアスも似てるでしょう? だから見ているだけで、腹が立つの」
ジネットがルーフィナの事を快く思っていない事は知っていたが、まさか実子のエリアスまでそんな風に言うなど信じられない。しかも嫌っていた理由が、セレスティーヌに似ているかららしい。
娘のルーフィナは勿論の事、甥であるエリアスが似てしまうのは仕方がない事だ。
『フィナを妃にしたら、母上がどんな顔をするか楽しみなんだ。ずっと私をいないものとして扱ってきたあの人が』
あの言葉の意味が分かった気がした。
同情する訳ではないが、物悲しくなってしまう。
ふとローラントを見ると、ジネットへ冷たい視線を向けていた。
「ヨハネスはお兄様によく似ているし、ローラントは髪色だけお兄様と同じで顔立ちなどは陛下似でしょう? でもエリアスは、髪も顔立ちもあの女にそっくりなのよ」
確かに髪色は同じではあるが、他の部分は言われればなんとなく面影がある程度で、正直似ているかと言われても困る。
「兎に角、王太子にはヨハネス貴方がなるのよ」
「……別に興味ないし。兄上じゃないなら、もう一人いるだろう」
彼のいうもう一人へとその場の視線が集まった。
「まさか俺じゃないですよね、ヨハネス兄上」
見るからに嫌そうな顔をするローラントに、ヨハネスは「お前じゃなかったら、誰がいるんだ」と真顔で返した。
「冗談も大概にして下さい。俺は王太子になどなりません」
「生憎冗談は嫌いだ。僕もなりたくない」
「王位継承順位はヨハネス兄上が上です」
「そんな事、僕の知った事じゃない。僕は放棄するからお前がなれ」
「勝手な事を言わないで下さい!」
「弟の癖に、兄に逆らうのか?」
呆気に取られる。
誰がこんな光景を想像するだろうか。
普通なら争ってまで王位を手にしようとするのに、目の前にいる二人の王子はなりたくないと押し付けあっている。
「いい加減にしないか!」
「‼︎」
「‼︎」
見兼ねたライムントが息子達を叱責した。
二人は一瞬身体をピクリとさせ、黙り込む。
普段、大人びたローラントがまるで子供の様に見えた。
「エリアスが廃太子となった後の事は、これから貴族会議で話し合いをしなければならぬ。今この場でどうこう出来る問題ではない。それにしてもなんとも情けない。お前達は王子としての自覚がないのか」
頭を抱えるライムントに、心の中で密かに同情をした。
ふと隣に座るクラウスへと視線を向ければ、こんな状況でも平然としていた。ルーフィナは流石だと感心をする。
そんな時、ルーフィナの手に彼がそっと手を重ねた。それだけの事だが凄く安心する。
「王妃も、軽率な言動は控えて貰おう。ヨハネスを溺愛するのは結構だが、そなたの子は他にもおる事を忘れぬ様に」
ライムントはジネットに対して遠慮があるのか、強く出れず慎重に言葉を選んでいる様に見える。だがジネットへ向ける視線はとても厳しいものだった。
気不味い雰囲気の中、話し合いは終了した。
同席して欲しいと言われたが、クラウスは兎も角ルーフィナは必要だったのか謎だ。
「ヴァノ侯爵、そなたと少し話がしたい」
先に部屋から出たライムントは足を止め振り返る。
「承知致しました」
クラウスは軽く会釈をするとルーフィナをちらりと見た。どうやら心配をしてくれているみたいだ。
「ルーフィナ、侯爵を少し借りる。そなたはゆっくりお茶でもしていなさい」
「はい、ありがとうございます。あの……」
気遣ってくれているのが伝わり嬉しい一方で、ライムントに聞きたい事があったので言い淀んでしまう。
ここで言うべきか悩んでいると「ルーフィナ、行くぞ」とローラントに連行されてしまった。
先程とは別の応接室へと案内もとい連行されたルーフィナは、感嘆の声を上げた。
「父上が、ルーフィナの為に用意させたみたいだ」
長テーブルの上には所狭しとデザートの乗った皿が並べられている。様々な種類の焼き菓子にプリン、砂糖菓子に水菓子まである。
「とても心配していたんだ。もし目を覚まさなかったらと憔悴して、悔やんでいたみたいだ」
「陛下が……」
お茶を淹れて貰い人払いをした後、ローラントがポツリとそんな事を洩らした。
「お見舞いや手紙も何度か頂きましたが、そんなに心配して下さっていたんですね」
手紙には堅苦しい文字が並び、気遣ってくれている事は感じたが社交辞令くらいに思っていた。
「あの人は不器用だから、勘違いされ易いんだ。ああ見えて母上の事も大切に思っているし、エリアス兄上やヨハネス兄上の事も大切に思っている。ルーフィナ、君の事もな」
「そうなんでしょうか……」
ルーフィナにはよく分からない。
母が亡くなってから直ぐに嫁がされ疎遠となり、正直言えば見捨てられたと感じた。だがライムントが大切なのは妹のセレスティーヌなのだから仕方がないと割り切った。
両親が亡くなってからは、悲しみから、現実から逃げる様に余計な事を考えない様に生きてきた。今はそれを少し後悔している。もっとちゃんと向き合うべきだった。
受動的ではなくもっと能動的だったら、何かが変わっていたかも知れない。
クラウスの事もエリアスやザームエル、きっとテオフィルの事だってーー
ルーフィナは、今のクラウスの事しか知らない。いやそれすらも自信がない。
今回の毒の件に関しても、もしクラウスに免疫があると知っていたら、もう少し様子を見て慎重になれていた筈だ。そうすればあんな結果にはならずに済んだ。
エリアスの事も何も知らなかった。知ろうとすらしなかった。八年も一緒に過ごして来たのに……。少しでも彼の心に抱える闇に気付いていたら、止める事が出来たかも知れない。
黒薔薇の花束の事もそうだ。九年前とは言わずとも、せめてあの手紙が届いた時にジルベールやクラウスに相談するべきだったのにーー
「ルーフィナ、折角のお茶が冷めるぞ」
「す、すみません」
大きなため息を吐くローラントに、ルーフィナは慌ててカップに口を付けた。
「誰が、悪いんだろな」
「……」
「エリアス兄上は悪だ。だがその根源は母上や父上、周りにある。俺が物心ついた時には、既にあの人はヨハネス兄上を溺愛しエリアス兄上を空気の様に扱っていた。周りの者達もそれに倣うかのように軽んじている様に見えた。きっと幼い頃からずっとそうだったのだろう。エリアス兄上の真意は分からないが、ただ存在を認めて貰いたかったんじゃないかと思うんだ……。すまない、庇う様な事を言ったな」
恐らくローラントの推測は当たっているだろう。
ルーフィナはドレスの上から胸元を押さえた。この下にはチェーンに付けた指輪がある。あの時エリアスから預かった物だ。とても重要な物なので、失くさない様にと首から下げておいた。
本当はライムントに渡そうと考えていたのだがーー
「ローラント様、私をエリアス様に会わせて頂けませんか?」
本人に直接返すべきだと思った。




