八十一、五話
ルーフィナの屋敷で護衛からの報告を待つ間、クラウスからこれまで起きた事を聞いた。
前日の事件や他に命を狙われていた事、また兄とザームエルの手紙のやり取りなどだ。
ローラントは、兄の裏の顔を聞かされ衝撃を受けた。
正直、裏付けはされていないので推測の域ではあったが、信憑性は高いと感じた。
「わ、私はルーフィナ様から頼まれただけで何も知りません!」
一通り話が終わり、先程ルーフィナの部屋の前を塞いでいた侍女のメアリーを連れて来た。
何故ルーフィナは床に伏せているクラウスを残し、屋敷に戻ったのか。何か目的があったと考えるのが自然だ。それに何故、一人で屋敷を出たのか、あの男の正体は誰なのか。疑問ばかりが浮かぶ。
先程リアからの話で、エリアスとの会話をルーフィナに聞かれたと言っていたが、関係があるのだろうか。
「ならこの花は?」
「……知りません」
「本当か」
「そんな花、初めて見ました!」
まるで尋問でもするかの様に冷淡にクラウスが侍女に質問をしている。
黒い薔薇の花束ーー花びらが床に落ちていた事から不審に思い部屋を探した所、ルーフィナのベッドの下から出て来た物だ。明らかに意図的に隠した様にしか見えない。
花の状態からして、摘まれてから然程時間が経っていないと思われる。
「旦那様、そちらはいつ届いた物でしょうか? 最近は全く届かなくなっていたのに……」
お茶を運んで来た侍女のマリーが困惑した表情を浮かべた。
「どういう事だ。最近という事は、これまでも送られてきていたという事か? 送り主は一体誰だ」
九年前にルーフィナがこの屋敷に来てから定期的に黒薔薇の花束が届けられていた。花その物には特に害はないが、送り主は不明。ただ数ヶ月以上前に届けられた時、初めて手紙が添えられていた。内容は「穢れなき愛しき貴女は美しいーー」と一言だけで、薄気味の悪いものだった。
マリーの証言に、クラウスは明らかに怒りを露わにする。
「僕はそんな報告は受けていないが」
「も、申し訳ございません! ルーフィナ様から旦那様にご心配を掛けたくないので他言しない様にと言われまして……。ですが、それきり花束も届かなくなったので、失念しておりました」
「他にその事を知っていた者は?」
「手紙の事は、私とそちらにいるメアリーのみでございます」
蒼白になるマリーは必死に謝罪をするが、クラウスは納得出来ない様子のまま再びメアリーに視線を向けた。
「成る程。それで君は何の為に嘘を吐いたんだ?」
「それは、その、違うんです、悪気があった訳では」
「聞こえなかったのか? 何故、嘘を言った? 僕の質問だけに答えろ」
諦めたメアリーの口から語られたのは、怒るのも馬鹿馬鹿しくなるくらいしょうもない話だった。
「ーー信じて下さい! 本当にこれ以上は何も隠していません!」
マリーの話した手紙の後にも花束と共に手紙が届けられていたが、メアリーはルーフィナを丸め込み他の人間には秘密にした。途中ルーフィナが不安になりジルベールに相談しようとした時も、よくある事や不貞を疑われるなどいい加減な理由を並べて阻止した。
「ルーフィナ様が羨ましくて……。私、本当にクラウス様が好きなんです!」
メアリーは田舎貴族の男爵家の三女であり、まだこの屋敷で働き出してから一年くらいだ。クラウスに一目惚れをしたらしく、妻であるルーフィナに嫉妬心を抱いていた。そんな中、花束と怪しげな手紙が届く様になり、利用しようと考えた。
差出人の素性は知らないが、手紙の内容からしてルーフィナに想いを寄せている男性だと推測し、どうにか不貞を働かせルーフィナとクラウスを離縁させ様と目論み、その後は自分がクラウスの妻にと……。
聞いているだけで頭が痛くなる話だ。
「それで?」
「え、あの……自分で言うのも何ですが、私器量がいい方なので、結構クラウス様にお似合いかなと思っておりまして。こう見えて従順ですし、女性としてクラウス様を満足させる自信もあります。正直、ルーフィナ様はまだ女性として未熟といいますか。魅力にかけるといいますか……なので、私をクラウス様の妻にしてーー」
話を聞いてくれる事に調子に乗ったメアリーが、饒舌に語る姿は哀れだとしか言いようがない。
クラウスのみならず、リュカ達や使用人、リアですら冷たい視線を彼女に向けているというのに気付いてすらいないのだ。
「どうやらうちの使用人の中に、売女が混ざっていたらしいな」
「へ……」
品のない物言いから、彼の怒りが相当なものだと窺える。
未だ状況を理解出来ていないメアリーは間の抜けた声を上げた。
「ジルベールを呼べ。雇用責任を問う」
程なくしてジルベールがやってきた。
ルーフィナの事で責任を感じている様子で、生気が感じられない。
「この屋敷の管理及び雇用は全てジルベール君に一任していた筈だ」
「今回の件、全ての責任は私にございます」
「事が収束したら処分を下す」
「仰せのままに……」
「兎に角、今直ぐこの下劣な女を屋敷から摘み出せ。いや、そんなに男に媚びたいならお前に適任の場所に連れて行ってやろう」
ローラントは、先程クラウスを少しでも純粋などと思った事を撤回した。
やはり彼は生まれながらの貴族だと感じた。
話し合い名との尋問が終わり、応接間は水を打った様に静まり返った。
不意にクラウスへと視線を向けると、彼の顔色が良くない事に気付いた。平然として見えたが、やはり床離れするには早過ぎるのだろう。
本人は既に回復したと話していたが、少し前まで死の淵を彷徨っていたのだ。本来なら少なくても後数日は安静にするべきだ。ただ彼はそれどころではないみたいだが。
妻であるルーフィナが心配で仕方がないのが、彼からは伝わってくる。
ずっと放置していた癖に、人間こんなにも変わるものだと正直驚愕するばかりだ。
「手紙をお持ち致しました」
少し前に部屋から出て行ったマリーが戻ってくると、クラウスに例の手紙を手渡す。机の引き出しの奥に隠す様に仕舞われていたそうだ。
クラウスは手紙を無言で読み終えると、苦虫を噛み潰した様な顔をする。
内容は気になったが、彼が何も言わないので必要ないと判断したのだろうと諦めた。
そんな事をしている内に、ようやく護衛が一人戻って来た。二人で向かった筈だと、怪訝に思っていると「負傷したので、先に」そう告げられた。
報告によれば、ルーフィナを連れ去った男はやはりザームエル・ファロだった。更にザームエルは傭兵を雇っていたらしく、去り際に見つかってしまい戦闘になったそうだ。
まだここまでは予想範囲内と言えた。だがその直後、エリアスが現れた。しかもエリアスは数名の配下を連れていたという。騎士や兵士の風貌ではなかった事から、恐らく兄の所有する暗躍部隊だろう。
ローラントはその実態は知らないが、何れ王になる王太子には必需となる組織だ。
報告を受けた直後、クラウスが即座に動いた。だが部屋を飛び出そうする彼をローラントは制止する。
「侯爵、焦る気持ちは分かるが、少し待ってくれ。今城に応援を要請した。武装している者達がいる以上、こちらも備えた方がいい」
話を聞いた限りではザームエルの傭兵の数は然程いないと思われるが、問題は暗躍部隊の方だ。
流石に攻撃をしてくる事はないとは思うが、兄の裏の顔の話を聞いた以上用心に越したことは無い。それにーー
「そうでなくても侯爵は狙われているんだ。慎重になるべきだ」
正直、クラウスの生死にそこまで興味はない。ただ友人の夫であり、従兄弟姉妹の夫でもあるので死なれでもしたら後味が悪い。それに何より彼女が悲しむだろう。
(最近は仲が良いみたいだしな)
また家族を喪ったら、今度は立ち直れないかも知れない。
あの日の、あの後ろ姿をもう見たくないーー
「出立する」
城から護衛の名目で連れて来た騎士数名を引き連れ、ローラントは馬車に乗り込んだ。
騎士達を先頭に、馬に乗ったクラウスやリア、更にその後ろにローラン達の馬車が続いた。
「大切な友人の一大事に、私だけ留守番なんてそんな事出来ません‼︎」
リュカは兎も角、女性のベアトリスを連れて行く事は躊躇われた。そうでなくても、家に連絡をしたといえ年頃の娘が外泊しているのだ。それに時刻も疾うに日付を跨ぎ、目的地には武装した者達がいる。
ジルベール達と屋敷で待つ様に言ったが、本人が頑なに譲らずリュカと口論となったが、結局こうして連れてる事になった。
馬車は郊外へと向かう。
緩やかに走っていた馬車は、次第に揺れを強く感じる様になった。塗装されていない道が多い郊外に出た事が分かる。更に馬車は進み、森の手前で止まった。
「僕達は先に行きます」
ここからは二つに別れざるを得なかった。
クラウス達は獣道を、ローラント達は迂回して馬車の通れる広い道を行く事になった。
「きゃっ」
「ベアトリス!」
リュカが前のめりになるベアトリスの身体を抱き留める。
暫くして再び馬車は止まったが、大きく揺れた為だ。
外へ出ようと扉に手を掛けるが、外が騒がしい事に気付いた。
「殿下、襲撃です。馬車の中でお待ち下さい」
外から騎士の声が聞こえる。
ローラントは念の為持ってきた剣を確認した。
「リュカ、ベアトリスと馬車で待機していろ」
「いえ殿下、僕が行きます」
「お前と俺の腕は大差ない。それならリュカがベアトリスに付いていてやる方がいいだろう」
それに王子であるローラントの方が生存率は高い。相手はあくまで兄の配下だ。自国の王子に危害を加えるとは考え辛い。貴族殺しは大罪だが、王族殺しもまた然りだ。幾ら王族といえ理由もなしに同じ王族を殺せば国家に対する反逆みなされ、有無を言わせず死罪となる。
ローラントは外へと出ると剣を抜いた。
月明かりすらない暗闇の中、馬車に吊るされたランプだけが辺りを頼りなく照らしている。
「……っ‼︎」
僅かな風を斬る音と共に剣が振り下ろされ、それを剣で弾いた。
まるで気配がなかった。
「剣を収めろっ‼︎ 」
「……」
正直、剣の腕は良くも悪くもない。まともにやり合えば勝算はゼロに等しい。
周囲から騎士達とエリアスの配下達が剣で打ち合う音が聞こえてくる。不要な犠牲は避けたい。
ローラントは、至近距離で剣を交える男から距離を取るべく、勢いよく足元の砂を蹴り上げた。
巻き上がる砂が男の顔に掛かり蹌踉めき、その隙に距離を取った。
「戦闘を止めろっ‼︎ 俺はこの国の第三王子ローラント・ペルグランだ‼︎ これより先、剣を向けるならば国家反逆とみなす‼︎」
湖のほとりにローラントの声が響いた。
それと共に辺りは静まり、次々と剣を収める音だけが聞こえてくる。
戦意を失ったエリアスの配下の一人、恐らくリーダーと思われる男がローラントの元へと近付き跪いた。
「第三王子殿下、我々は王太子殿下の配下でございます」
男はローラントの素性を知った以上、争う意識がない事と謝罪を受ける。更にこの場所へ来た経緯を簡潔に告げた。
「王太子殿下は、攫われたルーフィナ様の救出に参りました」
攫われたルーフィナを助けに来ると、ザームエルの雇った傭兵に出会し戦闘になったそうだ。暗闇の中で少し時間を要したが、傭兵達は全て始末した。その後、エリアスは一人塔の中へと向かい、それから暫くしてクラウス達が現れ再び戦闘になったという。
「侯爵達はどうした?」
「……裏切り者と共に、塔の中に」
先に到着した騎士達は皆負傷しており、クラウスは裏切り者ーーリアと隙をつき塔に入ったらしい。
彼女いや彼は思う所があり、クラウスに手を貸していたみたいだが、その真意は不明だ。もしそう装っていただけなら、クラウスが危険だ。
「ローラント殿下、ご無事ですか⁉︎」
「ああ、問題ない。取り敢えずこの場は収まった。それより俺は塔の中に」
馬車から降りてきたリュカにそう言い掛けた時、塔の上部に火が上がるのが見えた。
「火事だ!」
騎士の一人が叫ぶと、一気に騒然となる。
「殿下⁉︎」
気付けばローラントは塔の中へと向かい走っていた。
中へ入り先ず目に飛び込んで来たのは、エリアスの配下数名の遺体だ。クラウス達を追撃した者達が返り討ちにあったのだろう。ただリアの姿がない事から、彼にクラウスを殺す意志はないのかも知れない。殺すならこの機を逃す筈がない。ただーー
(兄上は、本気で侯爵を殺そうとしている。何故だ……)
「っ、煙か」
階段を上がって行くが、途中から煙が充満し始めた。口元を服の袖で覆い態勢を低くするが、これ以上進むのは危険だと感じた。
まだ二階くらいだというのに、火の回りが早い。木造ならば分かるが、石造であるのに妙だ。
「ザームエルが余計な事をした所為だよ」
心内を見透かした様な言葉を掛けたのは、エリアスだった。
声の方へ視線を向ければ、エリアスとリアが男を引き摺りながら階段を降りてきた。
「兄上……。ルーフィナや侯爵はどうしたんですか」
「……外に出るよ」
「答えて下さい!」
「聞こえなかったのかい? 外に出なさい」
有無も言わせぬ強い威圧を感じる。
ローラントもこれ以上進む事は困難だと判断し踵を返した。
外に出て塔から距離を取り見上げる。それと同時にリュカが声を上げた。
「あそこにいるの、ルーフィナと侯爵じゃない⁉︎」
二人は姿を現すと、屋根の上をゆっくりと進む。その間も火は燃え広がっていくのが分かった。
屋根の先端まで行くと、逃げ場がない二人は立ち尽くす。
暗がりで距離もあり、ハッキリとは確認は出来ないが、彼女をクラウスが抱き締めている様に見えた。
「まさか、飛び降りる気か」
「え、冗談ですよね⁉︎ あんな高さから⁉︎」
ベアトリスは悲鳴を上げる。
「下は水だが……」
「あの高さから水面に打ち付ければ、地面に打ち付けるのと変わらないだろうね……」
リュカの補足に、ベアトリスはリュカの胸元を掴み激しく揺らす。
「リュカ様! どうにかして下さい! このままではお二人が、ルーフィナ様がっ‼︎」
大粒の涙を流し嗚咽を洩らす。
どうにもならない状況に、ただ歯を噛み締めローランとリュカは黙り込んだ。
そんな時、不意にザームエルが笑い出す。
「セレスティーヌ、どうして君は私のものにならないんだ。また君はあの悪魔を選ぶのか⁉︎」
狂った様に笑い叫ぶ姿は、なんとも言い難い不気味さを感じた。膝をつき尚も叫ぶザームエルを騎士達が拘束をする。
ザームエルがルーフィナを攫った理由はセレスティーヌにある。どうやらクラウスの推測が当たっていたみたいだ。
そしてザームエルの後ろに佇むエリアスは今、何を考えているのだろう。
(兄上、俺には貴方が分かりません……)
「これが、兄上の望みなんですか?」
気付けばローラントはエリアスの側まで来ていた。
「私は何もしていないよ。私は傍観者に過ぎない。全ての事柄は彼等が勝手にした事だ。だから私が失うものなど、何もない。ただこんな筈ではなかった……ただ、それだけだよ」
「それなら何故そんな顔をなさるんですか」
今のエリアスは喪失感に苛まれている様に見えた。
「八年は、長過ぎたみたいだーールーフィナ」
「……」
その時だった。
ベアトリスの悲鳴と共にリアの叫ぶ声や騎士達が響めきを上げた。視界の端に見えていた燃え盛る塔へと顔を向けると、二人が抱き合いながら塔から飛び降りるのが見えた。
炎が先程まで二人が立っていた場所まで飲み込んでいく。
そんな中、暗闇を払拭するかの様に日が射し長い夜が明け様としていた。
「ルーフィナっ‼︎」
どうにもならないと諦め妙に冷静だったローラントだったが、いざ落ちていく姿を目の当たりにすると我を忘れ叫んでいた。




