七十八話
珍しく学院を休んだルーフィナを心配したベアトリス達三人は、放課後ルーフィナのお見舞いに行く事にした。
ただ郊外にあるベアトリスの家に寄った為、思いの外遅くなってしまいもう直ぐ日暮れだ。
「お母様が、風邪にはこのネギと生姜が一番だって前に言っていたんです! これは我が家の庭で採れた立派なネギと生姜で、身体の弱いうちの弟が風邪を引いた時に重宝されていているんですよ」
鼻高々に延々とネギと生姜について語るベアトリスは、その流れで別の栽培している野菜の話を始める。これは暫く終わりそうにないと内心ため息を吐いていると、隣に座っているリュカもまたうんざりした顔をしていた。ただそれでも黙って話を聞いている様子を見ると、彼女の事を大切にしているのだと分かった。
暫くして、もう直ぐルーフィナの屋敷だと窓の外を確認した時だった。外套を頭からすっぽりと被った小柄な人物とすれ違うのが見えた。
「止めてくれ!」
思わずそう叫んだ。
顔は見えなかったが、彼女に見えた。
馬車にも乗らず、あんな格好で使用人も連れずに一人で外出するなんて異様だ。
そもそもルーフィナは今日体調不良を理由に学院を欠席した。こんな場所にいるなどあり得ない。見間違いかも知れないと思いながらも胸騒ぎがした。
「ローラント様、どうされたんですか?」
驚いた二人がこちらを見てくるが、構っている場合じゃない。
急停止した馬車はいつもよりも乱暴に大きく揺れ止まった。
ローラントはベアトリスの問いには答えず、扉を開けるとそのまま外に飛び出し外套の人物を追いかける。
歩くより小走りくらいの速さに見えたので、前方を確認すると少し距離が出来ていた。
だが走れば直ぐに追いつく筈だ。そう鷹を括ったが、予想外の事が起きた。
突如、前方から馬に乗った外套の男が現れたかと思うと、彼女の腕を掴み馬上へと引き上げた。その弾みで、彼女のフードが落ちて紫を帯びた銀色の髪が露わになる。
やはりルーフィナだ。
「ルーフィ……‼︎」
それは一瞬の出来事で、ローランの声が届く前に男は彼女を乗せ走り去って行った。
「あの馬を追え」
護衛にそう指示を出した直後、リュカとベアトリスも馬車から降りてきた。
「一体何があったんですか?」
「殿下?」
訝しげな表情を浮かべるリュカと首を傾げるベアトリス。
(一体何が起きている……)
先程の出来事が正直信じられない。
馬上の人物が何者かは分からないが、どう見ても人攫いにしか見えなかった。ただルーフィナから悲鳴は聞こえなかったのが些か疑問だ。驚き過ぎて声も出なかった可能性もあるが、或いは顔見知りだったか……。
「屋敷に急ごう」
困惑する二人を他所に、ローラントは再び馬車へと乗り込んだ。
「いらっしゃいませ。皆様お揃いで本日は如何なさいましたか?」
「突然押し掛けてしまってすみません。今日、ルーフィナ様が学院を体調不良で欠席なさったのでお見舞いに伺って……」
「ルーフィナはどうしている?」
目的地であるルーフィナの屋敷に到着すると、家令であるジルベールが出迎えた。丁寧に挨拶とお辞儀をすると、ベアトリスが来訪理由の説明をする。
以前来た時と屋敷内は特に変わりはなく、騒がしい様子もない。
ローラントはジルベールを見遣るが、穏やかで落ち着いている。
主人が一人で馬車も使わずに外出しているというのに、平然としているが解せない。
(やはり知らないのか?)
余裕がなく、まだ話し途中の二人の間に入り言葉を遮った。
「ルーフィナ様でしたら、自室で休まれて」
「今直ぐに部屋の中を確認しろ」
声を荒げたつもりはないが、ローラントの声はロビーに響く。その瞬間、ジルベールは察した様に目を見張り何も言わずに背を向けると走り出した。礼儀正しい彼が客人を置き去りにする様子から、それだけ取り乱している事が伝わってきた。
「ルーフィナ様は、体調が思わしくないので、今は誰にもお会いしたくないと仰っております。幾らジルベール様でもお通しする事は出来ません」
後を追いかけると、部屋の前で侍女がジルベールが中に入れない様に立ち塞がっていた。
ジルベールが侍女に退くように説得を始めた時、痺れを切らしたローラントは乱暴に靴音を鳴らしながら二人に近付いて行く。
「退け」
「きゃっ‼︎」
侍女の肩を掴み後ろに突き飛ばすと、扉を開けた。
「ルーフィナ‼︎」
分かってはいたが、彼女の部屋には誰もいなかった。やはりあれは見間違いなどではなかった。ただ確認すべき事がある。
ベッドのシーツを捲り上げれば、大きな縫いぐるみが身代わりに置かれていた。それだけでルーフィナが自らの意思で屋敷を出た事は明白だ。差し詰め先程の侍女も関わっているのだろう。
ベッドの前に立ち尽くすジルベールの顔から血の気が引いていくのが分かった。
「ジルベールもリュカ達も、落ち着いて聞いて欲しい」
そう前置きをしてから先程何が起きたのかを簡潔に説明をした。
「ルーフィナが攫われたとはどういう事だ」
底冷えがする様な冷たい声に振り返ると、そこにはいつの間にかクラウスと兄の護衛のリアが立っていた。驚きよりも、会う度に一緒にいる二人に呆れてしまう。
「ル、ルーフィナ様が大変な時にまで浮気されているなんて最低です‼︎」
二人の登場にその場は静まり返るが、次の瞬間目を吊り上げたベアトリスが顔を真っ赤にして声を荒げた。
ベアトリスの言う通り腹立たしくはあるが、今はそんな事を気にしている場合ではない。
「以前から変だと思っていましたが、流石にひど過ぎませんか⁉︎ そんな品性の欠片もない女性の何がいいんですか⁉︎ 言葉使いも、立ち居振る舞いも全くなってません! ルーフィナ様はあんなに優しくてお淑やかで愛らしいのに! 少し色気があるからって調子に乗っていらっしゃるみたいですが、ルーフィナ様だって負けてませんから! あのあどけない天使の様な容姿で、あの豊満なお胸! あのアンバランスさの素晴らしさが理解出来ないとか終わってます。それに比べて、確かに細くて身長もあって容姿は良いかも知れませんが、リアさんは胸元が寂し過ぎると思います。兎に角、ルーフィナ様に対抗するなんて百年早いです。それとも、まさか! 侯爵様は薄いお胸がお好みとか⁉︎」
まるで話している本人が浮気されたのではないかという程の熱量で語るベアトリスに呆れる一方である意味見直した。
ただ際どい発言で、気不味い空気が流れている。
「ベアトリス、流石にそれ以上はやめなって……」
「リュカ様は黙っていて下さい‼︎ これは乙女の戦いなんです!」
興奮するベアトリスの肩に手をやりリュカが宥めるが、勢いよく振り払われていた。
「あーもう、ごちゃごちゃ五月蝿いな!」
その時、リアが突然大声を上げたかと思えば自らの髪を鷲掴みして引っ張った。それだけでも驚きなのに、そのまま頭が取れた。いや正しくはカツラを脱いだと言うべきだろう。リアは更にそれを勢いよく床に叩きつけた。
「言っておくけど、俺はクラウスを恋愛対象としてみてないから!」
「あ、頭が⁉︎ というか、お、俺⁉︎」
クラウス以外の人間が呆気に取られる中、ベアトリスが悲鳴の様な声を上げる。いつも淡々としているリュカでさえ驚きの余り口元を引くつかせていた。かく言うローラントも反応に困り言葉が出ない。
「そりゃあ、クラウスの反応が面白くて揶揄ってたのは事実だよ。だってさ、此奴いつも澄ました顔してる癖に、奥方絡むと急に何処の童貞だよ! って突っ込み入れたくなるくらい初心になるから可笑しくて。そもそも品がないとか失礼過ぎるだろ⁉︎ これでも結構頑張ってたのにさ! ていうか、クラウスの胸の好みまで俺に言うなよ!」
「童……何故そんな事まで君が知っているんだ! ……後、僕は大きい方が好きだ」
クラウスが顔を真っ赤にして身体を震わす。
何処に突っ込みを入れるべきかは分からないが、一つ気になったのはクラウスが意外と純粋だったという事だ。どうやら童貞なのは事実らしい。
更に彼は最後に要らぬ補足を付け加えた。小声だった故、ベアトリス達は聞こえていないみたいだがローラントの耳には確り届いた。正直友人の夫の嗜好など知りたくない。
「知っているというか、きっとそうなんだろうなって思っただけ。あんた素直じゃないし性格捻くれてるけど、不器用で意外と一筋だから妻がいるのに他の女に手を出す様には思えないし」
リアの明け透けのない言葉に、クラウスは恥ずかしいのか顔を手で隠しながら逸らした。
これまでクラウスの浮気を疑っていたが、どうやら杞憂だった様だ。まあ誤解を招く言動をした事は否めないので、ルーフィナには謝罪をするべきだと思う。
「これ一体何を見せられてるわけ? こんな事している場合じゃないと思うんだけど」
時間にすればものの数分だが、リュカの指摘にその場は静まり返った。
「それで、ローラント殿下。先程の話は事実なんですか?」
一気に張り詰めた空気に変わり、クラウスが鋭い視線を向けてくる。流石というべきか、切り替えが早い。
「ああ、事実だ。今、俺の護衛に追跡させている。ここに居れば時期、報告がくる筈だ。だから暫く大人しくしていてくれ。下手に動いて、よからぬ事をされたら困るからな」
悠長に構えていた事を指摘される前に理由を述べた。先程みたいにごちゃごちゃ言われて無駄な時間を使いたくない。
「経緯を詳しく説明頂けますか?」
「構わない、その前に場所を移動した方が良さそうだがな」
ローラントの言葉に、少し離れて控えていたジルベールが「ご案内致します」と頭を下げると歩き出す。リュカ達は後に付いて行きローラントも後を追うが、数歩で足を止めた。何故ならクラウスに呼び止められからだ。
「ローラント殿下」
「何だ」
「貴方にとってルーフィナはどんな存在ですか」
予想外の質問に眉根を寄せ彼を見た。
まさかこんな時に嫉妬か? と少し思ったが、彼の表情を見ればそうは見えない。真剣そのものだった。
「ルーフィナは従兄弟姉妹であり、今は大切な友人だ」
「その言葉に偽りはありませんね」
「ああ、無論だ」
「分かりました、ローラント殿下を信じます」
クラウスがローラントを警戒している理由を知ったのは、クラウスから今回の件の顛末を聞かされてた時だった。




