七十三話
明日は本当ならルーフィナとデートの予定だった。だが急用が出来たと断った。
自分から誘っておいて断るなど失礼極まりないが、こればかりは致し方がない。彼女の安全の為だと自分に言い聞かせる。そしてーー
(僕は何をしているんだ……)
虚しい気持ちと情けない気持ちが込み上げる。
まるで盗人の如く茂みに隠れながら辺りの様子を窺う。静まり返り、時折り雲間から月が姿を現すので、真っ暗ではない。
時刻は真夜中の十二時を過ぎたくらいだ。
今、クラウスがいる場所は、とある貴族の屋敷の裏手だ。
見たところ警備はおらず、これなら簡単に屋敷内へ侵入が出来そうだ。
「幾ら子爵家でも、警備が一人もいないとか平和ボケしてるのかしら」
隣に蹲み込み至近距離で小声で話すリアに、クラウスは小さなため息が出た。
昔から付き纏いにはなれているが、流石に同性からされた経験はない。目的は定かではないが、これでも王太子の護衛だ。善意ではなく目論見があるに違いない。
「或いは、家主が腕に自信があるからか」
仮にそうなら、かなり傲慢な人間だろう。
屋敷には当然彼だけではない筈だ。使用人達の事は一切考えていない事になる。
評判とは違い、自分本位な人間なのか……。
(まあ、誰でも裏の顔はある)
「ねぇ、これから潜入するんでしょう?」
「寧ろそれ以外でこんな場所にいる理由があると思うのか?」
「もうクラウスってば、い・じ・わ・る、なんだから〜」
甘える様な声を出すリアに、一瞬背筋がぞわりとする。女性にされても嫌悪感しかないのに、リアなら尚の事だ。
(僕に甘えていいのは、ルーフィナだけだ)
性別は関係ない。
そして彼女なら大歓迎だ。寧ろもっと積極的に甘えて欲しいくらいだ。
クラウスはリアを押し退け立ち上がる。
「邪魔をするつもりなら帰ってくれ」
「はぁ、ほんの冗談じゃない。短気は損気よ。そんなんじゃ、奥様に愛想つかれる日もそう遠くないかも知れないわね」
「っ‼︎」
日常的にリアには苛立たされているが、今のは図星であるが故にいつも以上に腹が立った。
「そもそも、殿下の護衛はどうしたんだ。先日もそうだが、職務怠慢も度が過ぎると処分されると思うが」
「あのねぇ? 幾ら護衛でも四六時中張り付いているのは無理なの。私も人間だから休まないと死ぬんだけど? この前も今夜も交代で別の人間が護衛にあたっているから問題ないわ。変な言い掛かりつけないで」
だったら大人しく休んでいろと言いたいが、口を噤む。余計な事を言えばまたああでもないこうでもないと言うに決まっている。今は状況が悪い。
クラウスはそのまま歩き出した。
「クラウス?」
「このままじゃ夜が明けてしまう。これ以上は付き合いきれない」
本来、こんな場所で言い合いをしている暇などない。それに幾ら人目につかずとも、賢明とは言えないだろう。
「ちょっと待ってよ」
先を行くクラウスの後をリアが追いかけて来た。
クラウスは、極力気配を消し物音を立てない様に細心の注意を払いながら塀をよじ登り敷地内への侵入に成功をする。
周囲を警戒しながら、調理場の裏口へ向かった。
慎重に極力音を立てない様に扉をゆっくりと何度か揺らす。すると簡単に扉が開いた。
「凄い、開いた。もしかして慣れてる?」
「人聞きが悪いな、事前に調べて置いただけだ」
この屋敷の元使用人の男を運良く見つける事が出来た。更に幸運な事に解雇された人間だった。何故なら円満に辞めた人間より不満があるぶん情報を引き出し易い。
但し取り引きではなく、酒の席で気分を良くさせながら自ら喋らせた。この方法が一番危険も負担も少ない。侍従でも事足りるくらいだ。
クラウスは報告書の記憶を頼りに暗がりの中、廊下を進んで行く。
手にしている小さめのランプには、麻布を二重に被せ不要な光を抑えてある。
階段を上がり二階へ行くと右へ曲がり真っ直ぐに進んだ。
二階の奥の角部屋がザームエルの仕事部屋だ。
クラウスが部屋へと入ろうとすると、無言のままリアに止められる。リアは扉に耳を当て、程なくして頷いた。
「君こそ随分と手慣れているね」
「まあ、得意分野だから」
「得意分野?」
意外な返答に眉を上げリアを見ると、得意げに笑った。その姿が一瞬あどけなさが残る少年に見え、改めてリアが男だと実感をする。
「大体人に見られたくない物は、こういう場所に隠してあるのよ。どう? 凄いでしょう?」
執務室に入ると、リアは勝手知ったる様子で机の一番下の引き出しを引っ張り出すと、奥には鍵付きの引き出しが現れた。
「成る程、本当に詳しい様だ」
素直に感心をすると同時に、警戒心が湧く。
「クラウスだって、こういう場所に大切な物は隠しているんでしょう?」
「黙秘する。家探しなんてされたら、たまったものじゃない」
「えー酷い、傷ついたんだけど。私がそんな事する様に見える?」
「勿論」
話をしながらリアは持参した針金で鍵穴を弄り、クラウスは他に怪しい場所がないか部屋の中を物色をする。こうしていると、ただの盗人と大差ないと苦笑した。
「あ、開いた」
時間にして一、二分くらいだろう。だが体感ではその倍以上に感じた。
互いに余裕ぶってはいるが、いつ見つかるか分からないと緊張をしている。
「封書がいくつもあるわね」
「代わってくれ。後、照らしていて欲しい」
「はい、はい」
リアと場所を代わり、クラウスは封書の中を確認をしていく。
「ねえ、誰から? 何て書いてあるの?」
「……差出人はない。内容はーー」
「内容は?」
「いや、後で話す。今は引き上げよう」
クラウスは封書を三つ程懐に仕舞うと残りは戻す。引き出しも元通りにするとリアに目配せをして部屋を出た。
「ありがとう助かったよ。帰って休んでくれ」
「ちょっと、内容は教えてくれないの?」
「今は急を要しているから、次の機会に」
「それって絶対有耶無耶にするパターンじゃない!」
野外に出た後、二人は屋敷から少し離れた場所まで来た。クラウスは、不満気にするリアを尻目に木に繋いでいた馬に跨る。
「手伝ってあげたのに、酷く無い⁉︎ ねぇってば! この薄情者!」
不用心にも叫ぶリアを無視してクラウスは手綱を打つと駆け出した。




