六十九話
遡る事十日程前ーー
ルーフィナの元に、心待ちにしていたクラウスからの手紙が届いた。
「これ、本当にクラウス様からの手紙?」
「そうですよ」
マリーから手渡された封書は、明らかにいつもと違い様子のおかしいものだった。
「……」
「ルーフィナ様?」
封書を凝視しながら固まるルーフィナを不審に思ったのか、マリーが心配そう声を掛けてくる。
「何でもないから大丈夫、あはは……」
これまでベージュ色だった封筒は紅色に変わり、小さな花とリボンまで添えられている。
不審に感じながら封を開けてみると、中にはいつもと変わらないベージュの便箋が入っていた。だがそれを手に取った瞬間、ふわりと良い香りがする。
「薔薇の香り……」
しかもいつも罫線しかない便箋には、綺麗な薔薇のデザインが施されていた。
これまでこんな事はなかったのに、何故……。
何か後ろめたい事でもあるのだろうか。例えば、浮気……とか。
「僕の、子猫ちゃん……って私の事⁉︎」
ルーフィナは恐る恐る手紙に目を通すが、冒頭で目を見張り一瞬思考が停止する。
だが直ぐに我に返ると振り返って周りを見渡す。
先程マリー達侍女は部屋から出て行ったので誰もいないのだが、思わず確認してしまった。
こんなの誰かに見られでもしたら、恥ずかし過ぎるーー
『僕の可愛い子猫ちゃんは今何をしているんだろうか。僕は子猫ちゃんの可憐な笑顔を思い浮かべながら一人寂しく、夜空の月を眺めているよ。あの天に浮かぶ美しい月はまるで君の様……正に女神の化身だ。そう君は僕の女神だーー今月末、僕に君の時間を分けてくれないかい? 二人で白馬に乗って何処までも駆けて行けたらいいのに……。一目でもいい、その愛らしい姿を見せて欲しい。良い返事を心待ちにしているね、僕の薔薇の妖精……』
内容が難解過ぎる。
これは詩の様な、舞台の台本の様な……。
便箋五枚に延々と綴られいるが、要するに月末に一緒に過ごしたいとの趣旨であっているのだろうか……。白馬に乗ってとあるので、もしかしてデートに誘われているのかも知れない。
それにしても、始めは子猫ちゃんだったのに、途中女神の化身に昇格し、最後には薔薇の妖精に降格した。何故……。
きっと褒めてくれているのだろうが、ルーフィナの心情は複雑だ。
(クラウス様、どうしちゃったんだろう……)
取り敢えず躊躇いながらもルーフィナは、返事を書く為にペンを握った。
「男性が態度を変える理由なんて、十中八九やましい事があるからに決まってるよ」
翌日、ルーフィナは昼休みにクラウスからの手紙の話をベアトリス達にした。幾ら仲が良くてもヴァノ家の使用人達に相談するのは気が引けたので、こういう時はやはり友人を頼るのが懸命だろう。
手紙の内容が恥ずかし過ぎるので詳細は伏せ、クラウスからデートに誘われた事と言葉選びが一変した事を話す。すると既にお弁当を食べ終えたリュカが、目を吊り上げそう言った。
「俺も同感だ」
更に、最後の一口であるパンの欠片を飲み込んだローラントもリュカに同意する。
「やましい事って」
「浮気だね」
「浮気だ」
ルーフィナの問いに、リュカとローラントの声が重なった。
最近本当に仲が良いいと感心さえしてしまう。
「浮気する男は、急に恋人や妻に優しくなる傾向が高い。普段言わない甘い言葉や世辞を言ってきたり、高価な贈り物をしてきたり、煩わしい程に気を使う。兎に角浮気を隠す為に、必死に女性の機嫌を取ろうとしてくる」
この中で一番興味も知識もなさそうなローラントが淡々と、また詳細に語る意外な姿にルーフィナは目を丸くした。
「ローラン様、お詳しいんですね!」
するとベアトリスが驚きながらも「物知りだわ〜」と尊敬の眼差しを向ける。
「……この前、リュカに借りた本に書いてあっただけだ」
「何ていう本なんですか?」
「浮気をする獣達……」
少し気不味そうに呟くと、目を逸らした。
獣と書いて男と読むらしいが、いまいち意味は分からない。ただ何だか凄そうな題名だ。
「でもどうして男性が獣なんですか?」
「ルーフィナ、違うよ。獣じゃなくて、獣だから」
言葉の端々を強調し指摘するリュカはどうやら拘りを持っているみたいだが、正直どちらでも大差がないのではと思う……。
ルーフィナは困惑しながらローラントへ視線を移すと「男は皆獣だ」と言い、次にベアトリスへ視線を向けると「ルーフィナ様、お気を付けて下さいね!」と謎の言葉を言われた。
「それじゃあ、リュカ様もローラント様も獣何ですか?」
「……」
「……」
ルーフィナの指摘に男性陣二人は急に黙り込む。だがベアトリスだけは愉快そうに笑っている。
結局、その後も誰も答えてはくれなかった。
話が脱線し過ぎて、一体何の話をしているのか分からないとルーフィナ小さなため息を吐く。
(結局、クラウス様が浮気している可能性が高いって事だよね……。私の事好きだって、言ってくれたのに。……デートに行くって返事しちゃったけど、どうしよう。顔合わせ辛いかも……)
「ルーフィナ」
俯き加減になり落ち込んでいると、リュカに呼ばれ顔を上げた。すると、彼はいつになく真剣な表情浮かべている。
「嫌なら無理する必要はないと思う。ただそれは、僕達が決める事じゃないから」
「そうですよね、もう少し考えてみます」
「大丈夫」
「?」
「僕達は、ルーフィナの味方だよ。もし君の選択によって、今後何か困った状況に陥る事があっても必ず力になる。だから後悔はしない様にね」
ルーフィナは三人へ順番に視線を移せば、一様に頷いてくれた。
デートに行くか行かないかの話にしてはかなり深刻に聞こえる。まあクラウスが浮気をしている前提なので仕方がないのかも知れないが、まるで人生の選択でも迫られている様にすら感じた。
ただこんな時、やはり自分は友人達に恵まれたと実感をする。
「最近、リュカ様、少しだけ頼り甲斐がある様に見えますね」
そろそろ昼休みが終わる時、ベアトリスが手荷物を纏めながらそんな事を言った。
ベアトリスがリュカを褒めるなんて驚きだ。昔から憎まれ口を叩いても賞賛する事なんてほぼなかった。
稀にあったとしても必ずその直後に否定するのがお決まりだ。だが今日はそれ以上何もない。
リュカもいつもなら憎まれ口で返すのに、今日はそれがなかった。
「そうかな、そう見えるなら良かった」
互いに少しずつ成長しているのかも知れない。良い傾向だろう。そう思うのに、一抹の寂しさを感じるのは、自分がまだまだ未熟だからだろうか。
「僕が……確りしないとダメだから、彼の分までさ」
続けてリュカが口を開くが、そのタイミングで予鈴が鳴り「僕が」の後の言葉が聞き取れなかった。
直ぐに聞き返すが、彼は曖昧に笑って席を立つと行ってしまった。
「ほら、行くぞ」
「は、はい」
リュカの言葉が気になり動けずにいると、ローラントに促され慌てて三人の後を追った。




