六十八話
『危ない‼︎』
『っ‼︎』
側を通りかかった城の侍女が叫んだ。
クラウスは足元に散らばる陶器の欠片を見る。
後二歩程ずれていたら、頭を直撃していただろう。
その翌日ーー
『ゔっ、何だ?』
登城する馬車の中、激しい振動と共にガタガタと大きな音が響いた。外からは馭者の悲鳴のような声が聞こえてくる。
『一体、どうしたんだ⁉︎』
何事かと慌てて馬車の外へと出ると、馬車の前輪が外れていた。
更に数日後ーー
『殿下! お下がり下さいっ‼︎』
リアの声が辺りに響き、クラウス達や他の護衛達に緊張が走る。
数人のならず者が現れ、クラウス達へと襲いかかってきた。
念の為帯剣していたが、まさか使う事になるとは思わなかったと剣を振るった。
これは偶然なのか。
最近、クラウスの身の回りでは不可解な事が起きている。
城の中庭に外の空気を吸いに出れば上から花瓶が落ちてきたり、定期的に点検している筈の馬車の車輪が外れたり、郊外への視察に同行すれば盗賊に襲われた。これはクラウスだけの話ではないので偶然とも取れる。だが何となくだか、あの盗賊達はクラウスを狙っていた様に感じた。考え過ぎだろうか……。
他にも些細な出来事ではあるが、廊下に水が撒かれており足を滑らせそうになったり、閑所に行けば蛇と遭遇したりと散々だ。
災難だったと言えばそれまでだが、流石に立て続けに起こり過ぎだ。
ルーフィナとのデート数日前ーー
「おはようございます。ヴァノ侯爵、そのお顔はどうされたんですか?」
朝、いつもの様に登城し執務室で書類を処理していると、フェリクスが出勤してくるなり目を見張った。
「あら、随分と酷い顔してるわね。折角の美顔が台無しだわ」
更に暫くしてエリアスとリアが執務室に入ってくると、第一声にそんな事を言われる。
「そんな顔でデートなんて行ったら、奥様に引かれちゃうかも知れないわよ」
「リア、素直過ぎるのは罪だよ。クラウス、気にする事はない。何故ならフィナは優しい子だからね。口には出さないと思うから安心すると良いよ」
リアには貶され、エリアスはフォローにならないフォローを入れる。
「大丈夫ですか? 医者には診せましたか?」
驚きながらもフェリクスは心配をしていた。
この中でまともなのは彼だけらしい。
「少し打つけただけで、業務に差し支えはないから問題ない」
実は今朝、日々の膨大な仕事に加え連日の災難の所為で疲労困憊しており、注意力が欠落していたクラウスは、ジョスが開けた扉に見事に当たった。それも顔にだ。一目で分かるくらい赤くなり腫れている……。
生まれてこのかた、こんな事は一度もなかったのに最悪だ。
ただリアに指摘された様に、こんな顔ではではルーフィナに引かれてしまうかも知れない。
折角数日後に、デートの約束を取り付けたというのにこれでは台無しだ。ただそもそもーー
(取り止めた方がいいだろうね)
この災難に彼女を巻き込み兼ねない。
大袈裟かも知れないが、正直命の危機を感じている。
恨みを買う様な生き方をしてきたつもりはないが、それなりの地位に就いているならば誰かしらに命を狙われても不思議ではない。
利益を得るならヴァノ家の縁者か、それとも私怨か……。
後は、モンタニエ公爵家の可能性も捨てきれない。
テオフィルの一件で和解はしたが、公爵家の次男を修道院送りにしたのだ。こちらに非がないにせよ、逆恨みをされていてもおかしくはない。ただ聡明なモンタニエ公爵が、そんな軽率な事をするとは考え辛い……。
もしこんな事が露呈すれば、爵位剥奪は間逃れない。貴族殺しは、例え王族だとしても重罪だ。
そして一番厄介なのはルーフィナ絡みだろう。
彼女の血族は国王とその息子達のみだ。父方の公爵家は短命な家で、クラウスが知る限りでは爵位を継げる様な人物はいない筈だ。そう考えると線は薄い。国王や王子達からは狙われる謂れはない筈……。
兎に角、現段階では情報が乏しく判断材料が少な過ぎる。早急に調べる必要があるだろう。
ザームエルの件もあるのに、益々忙しくなりそうだ。
それにしても、渾身の力作である恋文でルーフィナをデートに誘う事に成功したというのに、断念しなくてはならないのが悔しい。
折角ジョスが必死で情報を集めてきたというのにーー。
『女性は、兎に角甘く蕩ける様な言葉を好むそうです。特に口頭で伝える時よりも少し大袈裟なくらいが好ましく……例えば「僕の子猫ちゃん」や「僕の小鳥ちゃん」などの呼び方を始めとして、「君の瞳はどんな宝石よりも光輝いている。そうあの天空に浮かぶ星達よりも……」などや「君の前ではこの美しく可憐な花々も霞んで見える。正に君は女神の化身だ」などです。また、封筒や便箋などにも気を使わなくてはなりません。香を焚きしめたり、絵柄や色紙のついた便箋を選んだり、小さな花を添えるのも有効的かと』
ジョスは手元資料を淡々と読み上げていく。
因みに台詞の時だけまるで舞台役者の如く感情が入っていた。思わず意外な才能があるものだと眉を上げる。
クラウスは、やけに具体的な調査報告に少しジョスを見直した。
その後、それらを参考にして、数日かけて恋文を作成した。
思惑通り効果はてきめんで、ルーフィナからは直ぐに了承する旨を書いた返事がきた。
その事に歓喜したのは十日程前だ。
それから毎日楽しみにしていたのだが、今回は諦めざるを得ない。
クラウスは赤く腫れた顔に、濡らしておいたハンカチをあて項垂れた。




