六十七話
(ザームエル・ファロ、年齢は三十六歳。子爵家の生まれで、両親は数年前に他界。今は子爵位を継いでいるが、名ばかりで領地もなし。婚姻歴もなく、これまで浮ついた話も一切ない。性格は誠実で温厚であり周囲からの信頼も厚く、その為九年前の事故の責任も温情を与えられた)
クラウスは手元の資料をパラパラと捲っていく。
仕事が一段落したのを見計らい、今は城内にある図書室にいるが、別に此処に用がある訳ではない。ただ単に、今手にしている資料を他の人間に見られたくないからだ。幸い今日は、人影もない。
この資料は人を使いわざわざ集めさせた物だが、内容を見る限り怪しい所は見当たらない。ただ年齢に対して、未だに未婚なのが気になる程度だ。
以前ザームエルと廊下で出会した事があったが、あれから彼の事が気になっていた。
エリアスに簡単に彼の詳細を聞き、一度は納得をしたが何処か引っかかるものを感じて身辺調査をした。
クラウスに対する言動……そして、面識のないのにもかかわらずルーフィナの事を口にした。それがどうにも解せない。
(もう少し詳しく調べた方が良いかも知れないな)
「ザームエル・ファロ? 何、彼に興味あるの?」
「なっ……」
突然手の中の紙が奪われ、クラウスは間の抜けた声をあげる。
音もなく姿を現したリアをクラウスは振り返り睨み付ける。
幾ら集中していたからといっても、全く気配を感じなかった。
クラウスは騎士ではないが、それなりに腕は鍛えてきた。その副産物として、普通の人間より他人の気配などには敏感だ。
リアは確かに騎士として優秀で、護衛にも長けている。だが幾ら訓練したとしても、ここまで気配を消せるものだろうか。まるでーー。
「その紙を返せ」
「えー、どうしようかなぁ?」
明らかに面白がり揶揄っているのが分かり、苛っとする。
奪い返そうと立ち上がり手を伸ばすが、ひょいっと軽く躱された。
「ねぇ、何でこの男が気になるの?」
「君には関係ない」
舌打ちをしたい気分だ。
よりにもよってリアに見つかるなんて、絶対に面倒事になる。
「教えてくれないなら……」
意地の悪い笑みを浮かべるリアと目が合う。
一体何を企んでいるのかと、鋭い視線を向けるもまるで意に介さない。
「本人に言っちゃおうかしら」
「っ‼︎」
エリアスなどにバラされるならまだしも、一番知られてはいけない人物だ。
もしザームエルに知られれば、揉め事の火種になるのは確実だろう。例え彼が調査書通りの人物だとしても、自分の事を嗅ぎ回られて良い気がする筈がない。
クラウスは大きなため息を吐いた。
「ーーだから、別にこれといって何かがある訳じゃない。ただ少し気になっただけで」
クラウスとリアは向かい合い席に着いた。
自由奔放で掴みどころのない彼を引き下がらせる事は困難だと判断したクラウスは諦め、簡潔に説明をする。
「ふ〜ん、なるほどねー」
納得したのか、話を聞き終えるとリアは紙をクラウスへと返して来た。
「ねぇ、もう少し深掘りするんでしょう?」
「……まあ、ね」
その瞬間、リアはニヤリと笑う。それを見て嫌な予感がした。
「なら私も手伝ってあげる」
相変わらず仕事に追われ片付かない執務室はむさ苦しいのに、最近リアがこれまで以上に引っ付いてくるのでクラウスはうんざりしていた。
だがあからさまに振り払えば、また余計な事を言い出し兼ねない。本当に厄介な人間に弱みを握られてしまった。
「二人とも、随分と仲が深まったんだね。上司として嬉しいよ」
「……」
そんな様子を見たエリアスが楽し気に笑う姿が実に憎たらしい。
「不潔です」
普段寡黙で存在感が薄いフェリクスが、軽蔑の眼差しを向けながらボソリと呟く。
基本、業務以外の話はしないのに珍しい。
「何を考えているのかは知らないけど、勘違いしないでくれるかな」
「……昔からご婦人方に人気があったのは存じてましたが、せめて相手は選んだ方が宜しいかと。まさかヴァノ侯爵が……残念です」
「だから、一体何の話をしているんだ」
まるでクラウスがリアと不貞でも働いているかの様な口振に顔が引き攣った。
そもそもフェリクスもリアが男だと知っているにもかかわらずそんな事を言うという事は、クラウスの許容範囲がそっち方面にもあるという意味だ。
だがクラウスにそういった趣味は断じてない。
「そう言えば、クラウス。今月末に休暇申請してるけど、何かあるのかい?」
「……」
クラウスは一瞬黙り込んだ。
絶対にエリアスやリアには言いたくない。この二人に知られたら、碌でもない事になるのは目に見えている。
「私的な用事です」
「もしかして、フィナとデートかい」
「……違います」
「あ、今の間があったね」
「殿下の気の所為です」
「そうかい?」
「はい」
「いや、絶対気の所為なんかじゃないよ。本当はフィナとデートするつもりなんだろう?」
「……」
「そうだろう? ねぇ、クラウス? 聞いているのかい?」
「デートだったら悪いですか」
余りにもしつこいエリアスに、我慢の限界に達したクラウスは不躾な返事をした。
「いいや、寧ろようやく君も夫としての自覚が芽生えたみたいで安心したよ。フィナを宜しくね」
「言われるまでもありません」
エリアスの物言いに思わず眉根を寄せる。
きっと他の人間が同じ事を言ったなら「他人に言われる筋合いはない」と返していただろう。だが相手は王太子であり上司でもある。クラウスは喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。




