六十六話
クラウスは手紙を眺め、深いため息を吐いた。
お茶会の日から一ヶ月。
相変わらず仕事は多忙を極めており、あれから一度も会えていない。
毎日、屋敷と城の往復で、今日のようにたまの休みは自邸の執務室に引き篭もり書類を片付けるだけで一日が終わってしまう。
(あの日のルーフィナは、いつもに増して可愛かった)
誕生日で主役だった事もあり、綺麗に着飾っていた。
まさに純情可憐という言葉が相応しい。
以前まではそう思うだけだったが、最近は無垢で愛らしいだけでなく、艶めかしさを感じるようになった。
お茶会の後、二人きりで過ごした事を思い出す。
リアに嫉妬する彼女が可愛過ぎて、思わず手招きをすれば、恥ずかしがりながらもクラウスの隣に座った。
不安気に揺れる青く大きな瞳。
紫を帯びた銀色の髪に陶器のような透き通るような白い肌。柔らかそうな唇や小さな手ーー思い出す度に高揚感に包まれる。
(ルーフィナが、僕を好きだと言ってくれた)
溢れ出す想いを抑えきれず、遂にあの日、彼女に気持ちを伝えた。するとルーフィナは、クラウスの気持ちを受け入れてくれた。
『わ、私も、クラウス様が……好き、です』
上気した頬と上目遣いでそんな風に返す姿が可愛過ぎて目眩すら感じた。
(……柔らかったな。それに良い匂いがした)
抱き寄せた彼女の身体は女性らしいしなやかで、甘い匂いがした。
あれは香水などではない。だが甘くて鼻の奥を掠める匂いにまるで酔ったような感覚を覚えた。
(ダメだっ……妙な気分になってきた。いや幾ら何でも、まだ早過ぎるだろう⁉︎)
抱き締めた感触が忘れられない。
理性が警告をするが、直ぐに邪念が頭を過ぎる事を繰り返す。
(はぁ、でもキスくらいはしたかった……)
額と額が触れたのだから、何故しなかったのだと今更ながらに後悔をした。
次いつ機会があるかも分からないのに……。
「クラウス様、もしやお加減が優れませんか?」
「あ、いや、問題ないよ」
手紙を眺めたまま思考を巡らせていたクラウスをジョスは心配そうに見てくる。
暫し意識を飛ばしていたが、自分が執務室で仕事中だった事を思い出した。
息抜きに少しだけ彼女からの手紙を読もうとしたが、時計を見れば思ったより時間が経っている。
「左様ですか……。ですが先程から恍惚としたお顔をされたかと思えば、急に落胆されたりと様子が可笑しかったので……」
普段感情を表には出さない様にしているのだが、どうやら駄々漏れだったみたいだ。
幾ら自邸の中だといえ、少し気が緩み過ぎてしまった。
「手紙の返事をどうするか、少し考えていただけだよ」
再び手元の便箋に視線を落とすと、クラウスは笑んだ。
どうしてこれまで気付かなかったのだろう。
会えないなら手紙を出せば良かったんだ。
何故こんな単純な事に気付けなかったのか、我ながら嘆かわしい。
それに手紙のやりとりがこんなにも嬉しい事だと思わなかった。
仕事が忙しく、週に一回程度のやり取りだが、返事がくるたびに心躍る。
ただの文面なのに、何故こんなにも愛らしいのかと毎度思う。
ルーフィナは本当に何をしても可愛い。
だが、クラウスは悩んでいる事がある。それは返事についてだ。
これまで手紙といえば、業務的な内容しかやり取りをした事がなかった。
礼状、祝賀状、招待状や見舞い状などといったものは書き慣れている。ただ恋文は貰った事は数知れないが、返事を書いた事など一度もなかった。
もし特定の誰かに返事をしようものなら、瞬く間に社交界で噂となり、恋仲やら不貞だなんだとある事ない事いわれるのが目に見えているからだ。
そういう事で、女性からの文面は熟知しているが、肝心な男性側の返事が全く分からない。
伝えたい事は沢山あるが、それをそのまま表現しても良いのだろうか?
余りに率直過ぎて引かれる可能性は無きにしも非ずだ。
故にルーフィナへの返事は毎回当たり障りのない定例文となり、恋文とは程遠いものとなっている。
下手したら定例文以下、報告書に近いかも知れない……。
「ジョス」
「はい」
お茶のお代わりを淹れているジョスに声を掛けると、手を止めこちらを見た。
「……恋文は、どう書けばいい」
本当はこんな事、他人に聞きたくない。
クラウスの自尊心が許せない。
だが背に腹はかえられないのが実情だ。
「恋文、ですか……」
突然の質問にジョスは困惑している。
まあ普段のクラウスを思えば納得がいく。
これまで他人に頼る事などしなかった。どんな些末な事でも自力で解決をしてきた。それがクラウスの生き方だった。
だが最近は自覚する程、生温くなってしまった。その要因が彼女である事は間違いない。
(でも、嫌じゃない。寧ろ心地良い……不思議だ)
「まさか、不貞ですか⁉︎」
「は?」
的外れな返答に、心地良い気分が一瞬にして吹き飛ぶ。
「一体、誰が不貞しているって?」
気分は氷点下まで冷えきり、声は低く刺すように部屋に響いた。
「も、申し訳ございません! 失言でした……」
ジョスは身を縮こませ平謝りをする。
「あの、もしかしてルーフィナ様に送られるのですか?」
「他に誰がいるというんだ」
最近ルーフィナと手紙のやり取りをしている事を知っているのに、何を寝惚けた事を言っているんだと呆れた。
「これまで悩まれている素振りはなかったので、まさかと……」
素振りを見せていなかっただけで、内心はかなり苦悩していたなどとは言いたくない。
ジョスからしたら、急に態度を変えたクラウスを不審に思ったのだろう。
「ジョス、君はまだまだだね」
軽くため息を吐く。
彼の義父であるジルベールなら、皆まで言わずとも大体の事柄は伝わる。
今更ながらに独り立ちさせたのが早かったかも知れないと思う。だがあの時は、ルーフィナの世話役はジルベールが適任だと判断した。それは今でも間違っていなかったと自負している。
「まあいい。それで、君の意見を聞きたいんだけど」
「あの、クラウス様」
「何だい」
「私はこれまで一度たりとも恋文というものを書いた経験がございませんので、分かり兼ねるのですが……」
「だろうね。それなら調べてくればいいだろう? 他の使用人達に聞くなりなんなりしてさ」
予想通りだ。ただ端から期待はしていない。
要は調べて来いという意味で言っているのだが、やはり伝わってはいないみたいだ。
ジョスは躊躇いながらも、承諾をすると部屋から出て行った。




