六十五話
王太子の婚約破棄の話を耳にしてから数日後の休日。
ルーフィナは自室の机に向かい、封書から手紙を取り出した。
足元では退屈そうなショコラが伏せている。
(クラウス様に会いたいな)
誕生日以降やはり多忙なクラウスと会う事は出来ていないが、代わりに彼から手紙が届く様になった。内容は単調であり頻度も週に一通程度だがそれでも十分満足している。
仕事に追われる中で、手紙を一枚書くだけでも大変だろう。それなのにもかかわらずルーフィナの為に時間を割いてくれている事が嬉しい。
「お返事書かないと」
嬉々としてペンを取るが、タイミングよく侍女のマリーが部屋へと入って来た。
「失礼致します。ルーフィナ様にお客様がお見えです」
「どなた?」
「それが……」
言い辛いのかマリーは口籠る。
今日は誰とも約束はしておらず、来客の予定はない。
「王太子殿下でございます」
約束もなく突然訪ねて来たのは、まさかのエリアスだった。
タイミングが良いのか悪いのか……。
先日、ベアトリスからエリアスが婚約破棄したと聞いたばかりだ。
「マリー、私は留守だって……」
居留守を使おうと思うが、ベアトリスの言葉を思い出し最後まで言葉を言い終える前に口を噤む。
確かベアトリスが、彼の婚約破棄の原因は女性の護衛だと話していたが、もしかしたら他にもある可能性がある。例えば、自分とか……。
舞踏会の事を思い出しげんなりする。
そう考えると会わない訳にはいかないだろう。
後日、事実調査の為に正式に登城要請が来るのも困るし、そうやれば変な噂が立つかも知れない……。
ルーフィナは悩んだ末にエリアスと会う事に決めた。
ついでにリアの事も聞きたい。
応接間に入ると、既にエリアスがソファーに座っていた。
彼はまるでこの屋敷の主人であるように振る舞い、ルーフィナに向かい側に座る様に目で促してくる。
「お茶会以来だね」
「はい、その節はありがとうございました。お祝いをして頂いた上に過分な贈り物まで……」
「はは、可愛い従妹の為だからあれくらい普通だよ。それより、今日は随分と他人行儀だね」
「……私も、もう幼い子供ではありませんので礼儀は弁えようかと思ったんです」
半分本当であり半分は嘘だ。
こうやって二人で会うのは久々過ぎて正直緊張している事もあるが、何となく以前の様には接し辛い。
「それは良い心掛けだね。でも、私とフィナの仲じゃないか、そんな風に言われたら寂しいよ。他人にはそうでも、私にはこれまで通り接して欲しいな」
いつもと変わらない爽やかな笑みを讃えながらも、少し拗ねたように話す。
どう反応するか困り、曖昧に笑って誤魔化した。
「あの、今日はどうされたんですか?」
「近くに来たから、久しぶりに可愛い従妹に会いたくなってね」
久しぶりと言っても、お茶会からまだ一ヶ月も経っていない。
ローラントが顔を引き攣らせていた気持ちがよく分かる。
「そういえば、君の旦那様はどんな贈り物を用意したんだい」
「!」
エリアスの言葉にルーフィナは作り笑顔から、自然と満面の笑みになった。
左の胸元に飾られているブローチにそっと触れた。
あの日のクラウスとの事は周囲の人間達には粗方話し終えてしまった。故にそれ以外の人達にも話したくて仕方がなかったのだ。
「実は、今胸元につけているブローチを頂いたんです」
誇らしげにそう話し、エリアスによく見える様に胸を張る。
「へぇ〜、私が贈った物よりもかなり地味ではあるけど、価値はそれなりにありそうだ」
所々言葉に引っ掛かりはあるが、興味はあるらしくじっくりと見ている。
「実は、この真ん中の宝石がクラウスの瞳の色と同じなんです! 凄く綺麗ですよね」
「ただ折角の誕生日なのに、たったそれだけなの? 彼は余り気が利かないみたいだね」
爽やかに笑ってサラッとそんな事を言う。
エリアスという人間はこういう人間だ。昔から変わらず、悪気がないのは分かっている。分かってはいるが、彼を貶されたみたいで気分は良くない。
「でも、当日も忙しいのにわざわざお祝いに来てくれて」
「ああ、あれは私が強引に彼を引っ張ってきたんだよ。仕事に託けてフィナに会いに行かないとか言うから」
「それは私が断ってしまったからで」
「でも本当に祝う気持ちがあるなら、断られても駆けつけるのが道理じゃないかな」
「……」
懸命にクラウスを擁護するが、全て言い返されてしまう。
微妙な空気になり、ルーフィナは視線を落としながらカップに口をつける。
凄く気不味い。
だがエリアスを盗み見れば、優雅にお茶を飲み何ら変わった様子はなかった。
「……エリアス様、婚約破棄になったんですね」
ぽつりとルーフィナが呟くと、エリアスは僅かに眉を上げた。
別に当て付けではないが、この流れでこの話題を出す事はそう捉えられても仕方がないと理解した上で言っている。
「耳が早いね」
くすりと笑った彼からは、どこか普段とは違う雰囲気を感じたが、それも束の間で直ぐにいつもの笑顔に戻った。
「そうなんだよ、フィナ。聞いてくれるかい? ーーそれでリリアナが酷く誤解をしていてね。幾ら否定しても、聞く耳を持ってくれないんだ。何度も話し合ってはみたんだけど、結局婚約破棄されてしまってね」
詳しい話を聞けば、やはり原因は護衛であるリアにあるらしい。
護衛ともなれば、四六時中一緒にいてもおかしくない。ルーフィナの時とは次元が違う。信憑性が高く、婚約者として不安になるのは当然と言える。
ルーフィナの記憶では、エリアスは以前男性の護衛を連れていた筈。詳細は不明だが、リアが護衛になったのは多分ここ一、二年だろう。それを考えれば、ますます疑わしい。
彼は否定しているが、本当に不貞関係ではないのだろうか。
「本当に、リアさんとは何もないんですか?」
「疑うなんて酷いな。これでも私は傷心しているというのに、慰めてくれないのかい」
「す、すみません」
胸元を右手で押さえながら大袈裟に話すエリアスに、ルーフィナはたじろぐ。
「それにリアは、私には全く興味がないんだ。皆噂話が好きだから、有る事無い事言われて本当に困ってしまうよ。ただ強いて言うなら……クラウスには好意的なんじゃないかな」
「‼︎」
「彼女もそうだけど、クラウスもやけに距離が近いように思えるんだ。ほら彼って女性に人気があるけど、等しく態度は同じだからね。でも、リアには心を曝け出している様に見える」
その瞬間、心臓が大きく脈打ち一気に速くなる。
クラウスとリアが一緒にいる姿が目に浮かび、リュカ達の警告を思い出した。
「大丈夫かい、フィナ。余計な事を言ってしまったかな」
「い、いえ……」
言葉が出なかった。
これくらいで動揺するなんて情けない。
(確りしないと……)
クラウスの妻として、侯爵夫人として恥ずかしくないようになりたいのにーー
エリアスが話している事は、あくまで主観であり事実かどうかは分からない。
そう自分に言い聞かせるも、一度疑念が生まれると簡単には払拭出来ない。
「ああ、ルーフィナ、可哀想に……」
『ルーフィナは可哀想な子なんだ、だから気にかけてあげるのは当然の事なんだよ』
「ーーっ」
囁くような口調だが、ルーフィナの耳にはハッキリと届いた。
思わず彼に視線を向ければ、哀れむような笑みをたたえていた。
何故だが今、あの時のエリアスの言葉が重なり居心地の悪さを覚える。
「ねえ、フィナ。あの日の言葉、覚えてる?」
いつかなんて無粋な事は聞けない。
直ぐ様脳裏に浮かんだのは、思い出したくない両親の葬儀の日だ。
『叔母上達がいなくても寂しくない様に私がいてあげるよ』
「……はい、覚えています」
彼はその言葉通り八年もの間、ルーフィナに会いに足繁く屋敷に通った。
ルーフィナが頼んだ訳ではないが、彼の訪問をいつも楽しみにしていたのは事実だ。
両親が急死し家族という拠り所を失った中、血の繋がりのあるエリアスの存在は決して小さなものではなかった。
「あの言葉に嘘偽りはないから、忘れてはダメだよ」
それだけ言い残し、エリアスは帰って行った。




