五十五話
今朝登城するとエリアスから郊外の教会へ視察に行くと言われたのでクラウスは拒否をした。
冗談じゃない。こっちは連日寝不足で、睡眠時間を削って仕事を片付けている状態だ。視察に同行している暇はない。
それに来月までに少しでも書類の山を減らさなければ休みが取れなくなる。
折角ルーフィナの誕生日の準備を進めて来たというのに、何の為にエリアスからの申し出を受けたか分からない。これでは本末転倒だ。
『君は私の側近の自覚はあるのかい?』
一々鼻につく。
だがエリアスからは職務放棄だ何だと散々ごねられ結局付いて行く羽目になった。
教会に到着し、げんなりした状態で馬車を降りたクラウスの目に映ったのはまさかの彼女だった。
何故ここに……?
いやそんな事よりも久々に見た彼女は相変わらず愛らしい。しかも普段とは違い髪を後で一つに縛り上げており、服装は簡素ではあるがフリルのついたエプロンが彼女に良く似合っていた。しかも胸元辺りがデザインの所為か強調されていてつい目がいってしまう。周囲には男性もいるというのに心配になってくる。
何故あのデザインにしたんだ⁉︎ 選んだのは本人いやエマ、マリーか⁉︎ 兎に角、後でジルベールに注意をしておかなくてはならない。
(彼は……)
ルーフィナにしか目に入らなかったが、よく見ると彼女の隣には見覚えのある男が立っていた。
ローラント・ペルグラン、ルーフィナの従兄弟にあたりこの国の第三王子だ。確か、ルーフィナとは同年齢だった筈。
教会の広場には沢山の人々が集まっている。
ルーフィナ達は手に大きなトレーを持ちその上にはサンドウィッチが見えた。
成る程、校外学習といった所か。クラウスも学生時代に経験した記憶がある。
それにしてもーー。
(近過ぎないか⁉︎)
ローラントはルーフィナの肩に触れそうな距離に立っている。
今直ぐに彼女の元へ駆け寄り二人を引き離したい衝動に駆られるが、どうにかそれを抑えて平常心を保つ。大人気ないし、そもそも今は勤務中だ。
そうこうしている内にエリアスがルーフィナの元へ行ってしまったので後を追った。
二人は久々とあり楽しげに会話を交わしていた。
元々仲が良い事は知っていたが、目の当たりにするとやはり面白くはない。幾ら従兄弟同士とはいえ、モヤモヤしてくる。ついでに隣のもう一人の従兄弟も気になって仕方がない。
会話が一区切り付いた所でクラウスはルーフィナに話し掛けようと口を開くが、言葉を発する前に何故か隣にいたリアが彼女の前に立った。
「初めまして〜。貴女がクラウスの奥様? 私、クラウスの同僚のリアです〜」
「リア」
勝手に挨拶をしてルーフィナに手を差し出したので、クラウスは慌ててその手を掴みリアの身体を後ろに引っ張る。
少々乱暴だったかも知れないが別に構わないだろう。
「余計な真似をするな」
「あら、奥様に挨拶しただけじゃない。そんな怒らないでよ、クラウス」
だがリアは今度は甘ったるい声を出しクラウスの腕に絡みついてきた。
悪寒が走る。
クラウスは気色悪いと引き剥がそうとするが、力が強過ぎてびくともしない。それはそうだろう……何しろリアはクラウスよりも遥かに力が強い。一見すると分からないが、日々の鍛錬で鍛え上げられ筋骨逞しい。更にいえば彼女いや彼は男性だ。
聞いた時は驚いた。
確かに女性にしては背も高く、声も低めではある。だがそれくらないならこの広い世の中を探せばごまんといるだろう。
クラウスも人の事は言えないが、顔立ちも中性的で判断が難しい。女性の恰好をしてその様に振る舞えば女性にしか見えない。
クラウスが知る事になったのは、ある日仕事中に突然エリアスが運動不足だと言い出した事だった。彼は戯言が兎に角多いので取り合わなかったが、最終的に身体を動かす名目でエリアスとリアが剣の手合わせをすると言い出し一緒に中庭に連れて行かれた。
確かエリアスの腕前は嗜む程度だった気がする。まあ王族なんてそんなものか。そんな事をぼんやりと考えながら木剣を構える二人を眺めていた。
ただ相手は護衛といえ女性だ。故にこれは良い勝負なのではと思っていたが、クラウスはその結果に目を見張る事になった。
エリアスはクラウスが思っていた以上の腕前だった。
強いーー。
学院を卒業して十年以上経っている。その間に彼が相当な努力をしてきた事が窺えた。
だがそんな彼をリアは押している。
女性といえど鍛えているからか一振り一振りが実に力強い。身のこなしも俊敏でキレがある。これならきっと役職のある騎士員にだって引けを取らない筈だ。いや寧ろ上回る可能性すら多いにある。
クラウスは侮っていた事を反省した。
だがこんな剣豪とも呼べる女性がいるなら、もっと噂になってもおかしくないと疑問に思う。
クラウスはエリアスに率直な疑問をぶつけてみた。するとーー。
『ははっ、やはり勘違いしていたんだね。こんな風貌をしているけど、リアは男性だよ』
初めに感じた違和感の様なものの正体がまさか性別だとは想像もしなかった。
『女性でいる方が何かと便利なんだよ』
本人は何も言っていなかったが、エリアスからは護衛が女性だと色事を利用し潜入や情報収集、また有事の際に敵などが油断し易くこちらに有利に働くと説明を受けた。前者は男でも出来なくはないが、政敵などならば男である可能性が高いので、言わんとしている事は理解出来る。ただそれは護衛の仕事ではないだろうと呆れた。
性別云々は置いておいて、クラウスは何故かリアから良く揶揄われる。彼女いや彼曰くクラウスの反応が面白いとの事らしいが、本当に腹が立つ。
まあ普段は極力相手にしない様にしている。反応を見せれば彼を喜ばせるだけだと分かっているからだ。だが今日だけは見過ごす事は出来ない。何故なら幾ら中身が男性でも見た目は女性なのだ。万が一ルーフィナに誤解をされでもしたら大変だ。
彼女の事だ。またカトリーヌの時の様に愛人だと解釈する可能性がある。
クラウスは必死にリアを引き剥がそうとするが、やはり無駄だった。
(一体何の嫌がらせなんだ⁉︎)
「初めまして! 妻のルーフィナです! 何時も夫がお世話になっております!」
その時だった。
ルーフィナが口を開いた。
真っ直ぐにクラウス達を見据え、普段に比べ言葉の端々が強い様に思えた。
彼女から怒りの様な感情がひしひしと伝わってくる気がする……。
こんなルーフィナは初めて見た。クラウスは目を丸くして呆然とする。
「お取り込み中の所申し訳ありませんが、まだ片付けが残っていますのでこれで失礼します! ローラント様、行きましょう‼︎」
そう言ってルーフィナはローラントの腕を掴み引っ張って行ってしまう。
「ル、ルーフィナ⁉︎」
クラウスは我に返り慌ててルーフィナを呼び止めるが、彼女が足を止める事はなかった。




