四十五話
何時も隣で笑っていた彼女。手を伸ばせば触れる事が出来る距離にいた。一緒にいるのが当たり前だった。誰よりも彼女を理解し、守ってあげられるのは自分だけだと錯覚していた。
ドーファン家の夜会から一ヶ月が過ぎた。
自邸で謹慎をしていたテオフィルに処罰が下された。
事前に兄から聞かされていたようにテオフィルは地方の修道院に入る事になった。
出立は明日の朝だ。荷造りなどは既に終えている、と言っても修道院には余計な物は持ち込めない為そもそも大した荷物はない。
あの夜、兄が迎えに来てくれ自邸に戻った後テオフィルは父から叱責をされた。
普段穏やかな父からモンタニエ家の名に泥を塗ったと怒鳴られ殴られた。それ以降顔を合わせていない。
きっとテオフィルに失望したのだろう。だがそれも今更だろう。元々兄のバルトルと違い弟のテオフィルは父から大した期待はされていなかった事を知っている。
天才肌の兄は昔からどんな分野でも才能を発揮し、特に剣術などは誰もが認める腕前だ。兄は父からも周りからも大きな期待を寄せられていた。何れ父の後を継ぎ公爵となり優秀な騎士団長となる筈だ。
それに比べて自分は、勉強も剣術も常に努力をしなくては上位を維持する事は出来ない。それ故、昔父から騎士団に入団する様に勧められたが頑なに断った。情けないが、兄と比較される事が怖かった。
翌朝、身支度を整え屋敷を出た。
周囲は朝霧が立ち込め少し肌寒い。
そしてやはり父の姿はなかった。もう会う事もないかも知れない。
門前には馬車が用意されており、兄が待っている。地方にある修道院までは兄が送り届けてくれるそうだ。
弟を心配してと言う訳ではなく、身内の不始末は身内で片付けるという事だろう。
「テオフィル」
思わず足を止めて屋敷を振り返った時、不意に名前を呼ばれた。
声の主に視線を向けると門の前にリュカとベアトリスが立っていた。
「リュカ、ベアトリス……」
リュカは此方を真っ直ぐを見据えながらゆっくりと歩いて来る。
思えば彼とは長い付き合いだった。
リュカとは学院に入る前からの顔見知りで、知り合ってから彼此十年くらいは経つ。ただ入学する前はただの知人で挨拶をする程度の間柄だった。
入学して同じクラスになり、友人となった。
「見送りに来てくれたのかい」
「まあね」
リュカの頭を見れば相変わらず寝癖がついていた。面倒臭がりの彼らしい。
(君は、変わらないね……)
「これ餞別」
手渡されたのは銀の懐中時計だった。文字盤には黄色の宝石が埋め込まれている。
「トパーズ……?」
専門家ではないので断定は出来ないが、見覚えがあったので恐らくそうだと思った。
「テオフィル、僕はこれからも君の友人を辞めるつもりはないから」
「っ……」
思いがけない言葉に胸が詰まった。
涼やかな風が吹き霧が少しずつ薄らぐ。
リュカの茶色の瞳が射し込んだ朝日を反射していた。そして彼は得意気に笑った。
「……ありがとう」
こんな情けなく愚かな自分の事をまだ友人と言ってくれる彼に心から感謝した。
「テオフィル、そろそろ時間だ」
待ちくたびれたであろう兄に促され、リュカやベアトリスに別れを告げる。
「手紙、書くよ」
「わ、私も! 書きます!」
リュカとキツく握手を交わし、ベアトリスとはアイコンタクトで頷いて見せた。
この一ヶ月、気持ちの整理はつけてきた筈だった。だがやはり寂しさを感じてしまう。そんな権利は自分にはないとは分かっているが、こればかりはどうにもならない。
後ろ髪引かれながらもテオフィルは二人の横をすり抜けた。
侍従が扉を開けてくれ馬車に乗り込もうとしたが、ふと視線を感じた。
テオフィルは馬車の進行方向とは逆の道の先へと目を向ける。
するとそこには人影と馬車が停まっているのが分かった。その瞬間、強い風が吹き一気に霧が晴れ視界が鮮明になった。
「っーー」
自分の目を疑い一瞬呼吸が止まった気がした。何故なら道の先には、彼女がいたからーー。
憂いを帯びた顔をしているルーフィナの側には、馬車に背を預け不機嫌そうにしているクラウスの姿があった。
見送りに来てくれた事に嬉しさが込み上げてくる一方で、やはり居た堪れなくなってしまい顔を伏せようとしたが、グッと堪える。
ここからでは声は届かないと分かっていたが、唇が勝手に動いていた。
「ごめん」
あの事件後、彼女と会える筈はなく謝罪も出来なかった。
だがどうしても彼女に謝りたくて手紙を認めたが、兄から「これ以上恥の上塗りをするな」「お前は余計な事を考える必要はない」と言われ処分されてしまった。
ルーフィナはテオフィルの言葉を理解した様に目を見開いた後、まるで花が綻んだ様に笑ってくれた。
その瞬間、彼女と初めて出会った時の事を思い出した。
『君、大丈夫かい』
眩しい程の日差しが降り注いでいた。
入学式の日、門を潜り校舎に向かい歩いていた。すると一人の少女が道から逸れて校舎とは違う方向へと走って行くのが見えた。
何となく気になってしまい後を追うと、彼女は何故か木の前で背伸びをして一生懸命に手を伸ばしていた。
『え⁉︎ あ、その……』
『もしかして、これかな』
木の枝に引っ掛かっていたリボンを取ると、彼女に手渡した。
『ありがとうございます! 実は風に飛ばされてしまって……』
確かにその日は強風だった。
彼女は風で乱れた髪を直そうとしたが、間違ってリボンを解いてしまいそのまま風に飛ばされたと話す。
何だか少し抜けていそうな子だとそう思った。
『ああ、やっぱり』
『え……』
教室に入ると先程の彼女がいた。
しかも席が隣だ。
『僕はテオフィル・モンタニエ、宜しく』
『ルーフィナ・ヴァノです。宜しくお願いします』
そう言ってあの時も彼女は花が綻んだ様に笑った。
テオフィルは唇をキツく結び歯を噛み締め、真っ直ぐに見据えた。
もう二度と会えない彼女の姿をこの目に焼き付けるかの様にして瞬きも忘れ彼女を見た。
「出立するぞ」
再び兄から促され、テオフィルは今度こそ馬車へ乗り込んだ。
その後に兄が乗り込むと扉が閉めらた。その音が嫌に耳についた。
「テオフィル」
馬車が走り出し暫く経った時、ずっと黙り込んでいた向かい側に座る兄が口を開いた。
「ほとぼりが冷めたらお前を呼び戻す。それまで暫く頭でも冷やしていろ」
「兄上、僕はーー」
思わず兄らしいと笑ってしまった。




