四十一話
開いたままの扉から入って来たクラウスがテオフィルの手を払い除けた。
「っ‼︎」
突然の出来事にルーフィナは呆気に取られる。
「クラウス様⁉︎ どうして……⁉︎」
ベッドで寝ている筈の彼が何故部屋の外から現れたのか……。
混乱しながらベッドへと視線を向けると、カトリーヌも目を見開き口を半開きにし呆然としながらこちらを見ていた。
「え、何、これ……何、どういう事⁉︎ え、ちょっと待って、じゃあベッドで寝ているのは誰⁉︎」
我に返ったカトリーヌは叫ぶと、混乱した様子で慌ててシーツを捲り上げた。するとベッドに寝ていたのは……。
「アルベール⁉︎」
「あー、その、悪い。ちょっと色々とあってさ、ミスった……」
見覚えのある青年は、ドーファン家のお茶会に参加していたクラウスの友人の一人だった。
カトリーヌに詰め寄られバツが悪そうに謝罪を口にする。
「どうやって……あの時、確かに薬は効いていた筈なのに……」
テオフィルの方は弾かれた手を引っ込める事さえ忘れ、目を見開きクラウスを凝視していた。
「睡眠剤入りのお香、多分君は耐性があるのだろうけど……僕もね、耐性があるんだよ」
「睡眠剤……?」
「っーー」
何やら不穏な単語にルーフィナはテオフィルの顔を見ると、彼は気不味そうに顔を逸らした。
「僕を眠らせ、あたかもカトリーヌとの情事後に見せかけてその現場をルーフィナに目撃させるつもりだったんだろうけど……残念だったね。それでもって勘違いしたルーフィナから離縁する様に仕向けるつもりだった?」
「クラウスっ、違うの、聞いて⁉︎ 私っ、本当に貴方の事が好きで……だから、その、悪気があった訳じゃないの! 寧ろ私達は良かれと思って……。あ、貴方達の為にした事なの‼︎ ねぇテオフィル様、そうよね⁉︎」
話をふられたテオフィルだったが、彼女の言葉には無反応で先程からずっと俯いたまま黙り込んでいた。
「ちょっと、何か言ってよ⁉︎」
見るからに焦燥感を滲ませながら、カトリーヌは必死に言い訳を並べる。尚もテオフィルに同意を求めたり、側にいるアルベールに目配せをして助けを求めている姿が滑稽だった。
「言っている意味が僕にはまるで理解出来ないし、そもそもどんな言い訳を並べた所で、君達が正当化される事はない。これは歴とした犯罪だ」
「犯罪なんて、大袈裟よ。そんなつもりじゃっ……」
言葉に詰まった彼女は俯くと暫し黙り込んだ。だが次第に身体を震わせ始めるとスカートを力一杯握り締め顔を上げた。
「わ、私は悪くないわ‼︎ だって、クラウス言ってたじゃない⁉︎ ルーフィナ様とは離縁するって! だから私はそれをちょっと後押ししてあげようとしただけよ‼︎」
”離縁する”その言葉にルーフィナは目を見張り、心臓が大きく跳ねた。
追い詰められたカトリーヌの虚言かも知れないが、激しく動揺してしまう。
ベッドで寝ていたのはクラウスではなかった。その事には安堵している。だがまだ彼への疑念は拭えないのも事実だ。
「何時になってもそんな素振りは見られないし、それどころか私を蔑ろにしてその子を優先させる様になって……。ねぇどうしてよ⁉︎ クラウスの隣はずっと私だったっ……この八年、貴方のパートナーは私だったでしょう⁉︎ それって、私を愛してくれていたからよね⁉︎ そうでしょう⁉︎ 何れはその子とは離縁して、私と結婚してくれるって思ってたのにっーーこんなのおかしい、許せない、貴女の所為……夫が死んだのも、クラウスが私を捨てたのも、全て貴女の所為よ‼︎ 返してよ⁉︎ ねぇ、返して‼︎ 私にクラウスを返して‼︎‼︎‼︎」
甲高い叫び声が部屋に響き渡る。
彼女は気が触れた様に喚きながら此方へと向かって来る。そして目に付いたテーブルの上の花瓶を掴むとルーフィナへと勢いよく振り上げた。
ルーフィナは恐怖から目を瞑り身を縮こませた。
「っ‼︎」
ガシャンッ‼︎ そんな音が響き、恐る恐る目を開けるとガラスと水や花が床に散乱しているのが見えた。
「クラウス様⁉︎」
「大丈夫? 怪我はしていないかい?」
気付けば彼の腕の中にいた。
クラウスはルーフィナを覆い隠す様に抱き締めカトリーヌへと背を向けている。
「私は平気です、それよりクラウス様が……‼︎」
薄暗く怪我の具合を確認する事は出来ないが、確かに花瓶は彼に直撃していた。ポタポタと水が彼の髪を伝い流れ落ちてくる。それなのに自身の事よりもルーフィナの心配をしてくれている。
「それなら良かった」
縋る様に彼を見ると、安心させる様に笑ってくれた。だが次の瞬間、彼の顔から笑みは消え失せ冷淡なものに変わった。
鋭く突き刺さる様な冷たい目をカトリーヌやテオフィルへと向ける。
「っ‼︎ ぁ、あ……ち、違うの、私は、貴方を傷付けるつもりはなくて……」
予想外の出来事に、カトリーヌは蹌踉めきながら後退りそのまま床に尻餅をついた。
「いや寧ろ良かった。もし僕ではなくルーフィナに当たっていたら……君を殴り飛ばしていた所だったよ。無論手加減なんて出来ないだろうから、大変な事になっていたと思う」
そう言ってクラウスは冷笑した。
「今回の件は国王陛下の耳にも入る事だろう。無論僕からもヴァノ侯爵家当主として陛下へは進言させて貰う。これだけの事をしたんだ。勿論、それ相応の覚悟は出来ているんだよね? それと折角の機会だから言わせて貰う。僕がカトリーヌと愛人関係になった事はこれまで一度たりともないし、そういった対象にはなり得ない。カトリーヌにそういった魅力を感じた事はないし、そもそも興味がない。無論彼女の息子と僕は他人だ。カトリーヌ、君の息子は僕の親友だったマリウスの子だ。それを否定する事は彼を否定するも同義であり、そんな君を僕は許せない」
クラウスから怒りや悲しみの感情が痛いくらいに伝わってきて、如何に彼にとって大切な友人だったのかを物語っていた。
「それに僕が大切に想っているのはルーフィナだけだ。彼女と離縁する事はこれから先も絶対にあり得ない」
「ーー‼︎」
(クラウス様……)
ルーフィナを抱く腕に更に力が込められたのを感じ、彼の言葉に胸が熱くなった。




