四十話
部屋の中にはナイトテーブルの上にランプが一つ置かれているだけでぼんやりとしていた。
「ねぇクラウス……もう一度いいでしょう……?」
甘ったるい声でベッドに寝ている彼に話し掛けていたのは紛れもなくカトリーヌだった。
彼女はベッドに腰掛けていたが、彼はシーツに包まっていてその様子は確認出来ない。
だが一つ言えるのは、そういった行為の後だという事だ。
幾らルーフィナが男女のそれ等に疎くて鈍くても流石に分かってしまった。
カトリーヌはルーフィナ達に気が付くとワザとらしく乱れた胸元を隠した。
「あらやだ、まだ取り込み中よ」
そしてルーフィナと目が合った瞬間、勝ち誇った様に笑った。
「ルーフィナ様、ごめんなさい。貴女の旦那様、頂いちゃいました。クラウスって、本当にとっても情熱的で激しいですよね……って、ルーフィナ様はご存知ありませんでしたね。無粋なお話しでした」
これ見よがしに衣服の乱れや解けた髪を整える彼女の唇からは、堪えきれない笑い声が洩れ聞こえてくる。
ルーフィナはただただその様子を眺めていた。
二人が愛人関係である事は以前から知っていたのだから、今更こんな事で驚くのはおかしいと分かっている。
それなのにどうしてこんなにもショックを受けているのだろう……。
きっとこれまでは頭で理解していても何処かぼんやりとしていた。彼女と顔を合わせたのはただの一度きりで、余り現実味がなかったからかも知れない。
それに二人の関係を知った時は、ルーフィナはクラウスの事をまだ他人の様に感じていた。
『愛人さんなんですよね』
だから簡単に、笑顔であんな風に言えた。
でも今はこんなにも胸が痛くて息苦しささえ感じる。
カトリーヌから言われた言葉が頭の中でぐるぐると巡り、これが現実なのだと思い知らされた。
きっと彼女の話はやはり全部本当なのだろう……。
目の前の光景が全てを物語っている。そう結論付ける他ない。
彼女の息子のレオンはクラウスとの子供で、彼女の夫はルーフィナの両親の所為で亡くなった。その夫はクラウスの大切な友人でありその死の原因を作ったのはルーフィナの両親で……クラウスはルーフィナを恨んでいる。
それならどうして……彼が分からないーー。
八年振りに妻に会いに来た夫から言われた言葉は「理解出来たなら、肝に銘じてこれからは気を付ける様に」説教だった。
その後、何故か学院までルーフィナを迎えに来る様になって……。
いつの間にか一緒にお茶をする様になり、何故か毎日花束を贈ってくれたり、時には勉強を見てくれて、朝に屋敷に呼ばれたかと思えばルーフィナに花を見せてくれた。
ふらりと屋敷にやって来た彼と一緒にお菓子を作った時は、本当に楽しかった。
始めは冷たい印象で少し怖くさえ感じた彼だが、今は隣にいてくれるだけで安心する。
今日の夜会で妻として彼に紹介して貰えて、嬉しかった。それなのにーー。
『クラウスは貴女の事が嫌いなの』
「っーー」
それなら今更構ってなんて欲しくなかった。あのまま放って置いて欲しかった。そのまま離縁でも何でもしてくれたら……良かったのにーー。
「ルーフィナ、可哀想に」
「っ……」
不意に隣で眉根を寄せるテオフィルの声に我に返った。
見た事もないギラついた目でルーフィナを見ている。
その瞬間、心がスッと冷えていくのを感じた。
「まさかこんな日にまで女性と密会しているとは考えられない。今夜は君と侯爵殿は夫婦として初めて社交の場に参加したというのに……。君を放置して女性と愉しんでいたなど酷過ぎる。最低だ。君を軽んじているとしか思えないよ。リュカやベアトリスもそう思うだろう?」
「勿論ですわ‼︎ これまでだってずっと放って置かれて、今度はこんな仕打ち……ルーフィナ様を侮辱なさるのもいい加減にして欲しいです! リュカ様もそう思いますよね⁉︎」
「え、うん、まあ、そうだけど……」
テオフィル達の声が何処か遠くに聞こえた。
悲しくて苦しいのに何故か涙は出ない。
「ルーフィナ、そんな顔をしないで。大丈夫だよ、君には僕がいる。だから侯爵殿とはもう離縁した方がいい……いや、離縁するんだ」
(この人は、誰? 私の知っているテオフィル様じゃない)
何時もの優しい笑みが歪んで見えた。
ルーフィナは縋る様にリュカやベアトリスに視線を送るも気付いて貰えない。
テオフィルの手がこちらへと伸ばされるのが分かり、怖くなり後ろに身を引こうとするが身体が強張り動けなかった。
(嫌っ‼︎ーー)
パンッ‼︎
「っ⁉︎」
その瞬間だった。
乾いた音が部屋に響いた。
「僕の妻に汚い手で触れるな」
テオフィルの手を払い除けたのはクラウスだった。




