三十八話
「カトリーヌ様……」
華やかに着飾ったカトリーヌは笑みを浮かべながらルーフィナに近付いて来た。
彼女と顔を合わせるのはドーファン家で開かれたお茶会以来でこれで二度目だ。少し緊張してしまう。
「あらクラウスはご一緒じゃないんですか?」
「クラウス様は今飲み物を取りに行って下さっていて……」
「クラウス様、ね」
「?」
何か失言でもしてしまっただろうか……。
瞬間、カトリーヌの顔から笑みが消えたように思えたが直ぐに笑顔に戻った。思い過ごしだろうか。
「以前のお茶会の時にも思いましたけど、ルーフィナ様は本当に可愛らしい方ですね。今夜のドレスもルーフィナ様によくお似合いですよ。何というか、背中の大きなリボンが若々しくて、身体も華奢だしまるでお人形さんみたい。ただ侯爵夫人としてはちょっと物足りないというか、頼りなく見えてしまうかも知れませんが」
「っ‼︎」
彼女はルーフィナの頭からつま先まで、まるで品定めをするかの様に眺めるとそう言ってくすりと笑った。
その瞬間、一気に顔に熱が集まるのを感じた。きっと今熟れたトマトくらい真っ赤になっているに違いない。
始めは社交辞令だと思って聞いていたが、違った。明らかに嫌味だ。遠回しにルーフィナの事を子供っぽく侯爵の妻には相応しくないと言ったのだ。
カトリーヌを見れば、お茶会の時とは違い身体の線が見える少し露出の高いドレスを着ていた。髪を巻き上げ頸が見えている。
見るからに華やかで大人の女性の色香を感じる。子供っぽい自分とは大違いだ。
ルーフィナは恥ずかしくなり俯いた。
「あぁ、そうでした。実は私ルーフィナ様に大切なお話があるんです」
返答に困っていると不意にカトリーヌに手を取られた。
驚いて反射的に顔を上げると、満面の笑みを浮かべるカトリーヌと目が合う。口元は弧を描いているのにその目の奥に冷たさを感じ息を呑む。
「内密なお話なので場所を変えましょう」
「あの、でも私、ここから離れない様に言われていまして……」
拒否をしても手を離さない彼女に、ルーフィナは怖くなり手を振り解き後ずさるが……。
「痛っ……」
今度は腕を強く掴まれ力任せに引っ張られ、耳打ちをされた。
「大人しくして。こんな場所で騒いだら夫であるクラウスが恥を掻く事になるのよ。いいんですか? ヴァノ侯爵夫人」
「……分かりました」
ルーフィナはカトリーヌに従い、大人しく後について行く事にする。
そうでなくても大して役に立っていないのに、ここで騒ぎを起こしてクラウスに迷惑は掛けられない。
今夜初めてクラウスと夫婦として社交の場に出てヒシヒシと感じた。隣に立つ彼は大人で、自分は社交辞令の一つも言えない子供だという事だ。
そんな事は分かり切っていたのに、自分が情けなく思えた。
「私、まどろこしいのは好きではないので単刀直入に言いますね。クラウスと離縁して下さい」
誰もいないテラスに移動すると、開口一番にカトリーヌがそう言った。彼女の顔からは笑みは消え苛立ちすら感じる。とても冗談を言っている様には見えない。
突然の事にルーフィナは困惑を隠せない。
「本当は貴女と離縁したいのに、クラウスは優しいから言い出せないでいるの。だから貴女から言ってあげて欲しいのよ」
「クラウス様が、私と離縁したいと思っているという事ですか……?」
心臓が大きく脈打ち、それが全身に広がっていく様に感じた。
「だからそう言ってるでしょう。ねぇ、気付かなかった? 私の息子、クラウスに良く似ていたでしょう?」
「え……」
「レオンはクラウスと私の子供なの」
一瞬何を言われたのか理解出来ず目を丸くしたが、あぁそうなんだ……と妙に納得してしまった。
ルーフィナは記憶を辿る。
似ていたかと聞かれたら確かに髪色は同じだった。顔立ちは、言われれば何となく似ていた様な気もする……。
カトリーヌはクラウスの愛人なのだからあり得ない話ではない。
「私の夫とクラウスは唯一無二の親友だった。その夫は八年程前に亡くなり、私は悲しみに暮れていたわ。そんな時、友人だったクラウスが私を慰めてくれた。私にあの子を授けてくれたの」
ルーフィナが口を挟む隙もなく、カトリーヌはのべつ幕なしに話続ける。
自分はクラウスの一番の理解者で、互いに信頼し愛し合っている事。如何に自分がクラウスに相応しいか、名前だけの妻のルーフィナの存在が二人の障壁になっている事。
クラウスはカトリーヌや息子のレオンを愛していて、そこにルーフィナの入り込む余地などないという事……。
「彼が貴女と夫婦でいるのはただ単に責務よ。貴女を愛しているからじゃない。ちょっと妻として扱われたからって勘違いしないで。そもそも八年もの間放置していたのよ。分かるでしょう? クラウスは貴女の事が嫌いなの」
彼女の言う通りだ。これまでクラウスがルーフィナに無関心だった事を考えれば、好かれているなどと烏滸がましい事を言うつもりはない。だが、まさか嫌われているとまでは思わなかった……。
「私も貴女が大嫌いよ。だってーー」
そして彼女の次の言葉にルーフィナは言葉を失った。
カトリーヌは話し終えるとルーフィナを残し一人広間へと戻って行った。
だがルーフィナは放心状態になりその場から動けずにいた。
『だって、私の夫は貴女の両親の所為で死んだの。それってつまり貴女の所為って事でしょう』
『ーー』
『大切な友人の命を奪った人間を恨む事はあっても誰が好きになるのよ。きっとクラウスは辛かった筈よ。例え名ばかりだとしても、貴女と夫婦でいる事が』
『ーー』
『何も知らないでのうのうと生きていて本当羨ましいわ。ねぇ、もういいでしょう。クラウスを解放してあげて。私に返してよ。私から夫を奪って、クラウスまで奪うの⁉︎』
暫く立ち尽くしていたが、ふと我に返った。
「戻らなくちゃ……」
ルーフィナは覚束ない足取りで広間へと戻って行った。




