三十六話
クラウスは使用人を呼び止めワインと木苺のジュースのグラスを受け取り直ぐに戻ろうとするが背中越しに呼び止められた。
「ヴァノ侯爵殿」
内心溜息を吐きながら、笑顔を作り振り返るとそこにはテオフィルが立っていた。
「……やあ、君も参加していたんだね。それで僕に何か用かな?」
何処となく何時もと彼の雰囲気が違うのは正装だからだろうか。それとも別の何かか……。
テオフィルの瞳から仄暗さを感じた。
「実は侯爵殿にお話があるんです」
「申し訳ないけど妻を待たせているから遠慮して貰ってもいいかな。話があるなら日を改めて聞くよ」
詳しい内容までは分からないが十中八九ルーフィナの話だろう。
思っていた以上に諦めの悪い男だ。
いい加減しつこい。
苛っとしたので、敢えて名前ではなく妻と強調してやった。するとテオフィルは瞬間顔を顰めたが直ぐに笑顔に戻った。
「それでしたら心配は不要です。ルーフィナの相手なら彼等がしてくれていますから」
テオフィルの視線の先を追うと、人の合間からルーフィナとその学友の姿を確認する事が出来た。
テオフィルがいる時点であの二人がいる事は想像に容易いが、何処か引っ掛かりを感じる。だがそれが何かまでは分からない。
「手短に頼むよ。僕は長々と君に付き合ってあげる程、暇人ではないんでね」
「それでは場所を移しますが宜しいですか」
微妙に会話が噛み合わない。
人の話を聞いていなかったのかと思うが、彼の事だワザとだろう。
「僕は手短にと言ったよね? 場所を変えるつもりはない。話があるなら今この場で話して貰えるかい」
「僕は構いませんが、宜しいんですか? こんな誰が聞いてるとも分からない場所であの事を話しても」
「あの事……?」
彼の話が見えずクラウスは眉を顰める。
「実はこの夜会に参加したのはある知人の伝手なんです」
「知人?」
「侯爵殿も良くご存知の方ですよ。その方からとても興味深いお話をお伺いしたので、その事実の確認をしたかったもので」
「……その知人とは、誰だい」
「カトリーヌさんです」
意外な名前にクラウスは目を見張った。
何故テオフィルと彼女が……。
するとテオフィルはクラウスに身体を寄せると耳打ちをしてきた。
「彼女が教えてくれたんです。彼女のご子息が実はヴァノ侯爵殿との子供だと」
「は⁉︎ そんな筈ないだろう⁉︎」
テオフィルがクラウスに揺さぶりをかけているのは分かっているが、余りに突拍子もない発言に思わず声を荒げてしまった。
「侯爵殿、落ち着いて下さい。正直、僕には嘘か真実かまでは分かりません。でも彼女はその様に主張しているんです。だからこそ詳しい話を貴方から直接聞きたいんです」
奥歯を音が鳴る程強く噛み締める。
まさかパートナーを断った腹いせか?
この場にいないカトリーヌに怒りを覚えた。
「目的はなんだ」
「此処から先は場所を移しませんか? 今宵は何時も以上に参加者達は貴方に注目をしています。何しろヴァノ侯爵殿が初めて妻を公の場に連れ立って参加しているんですから。これは貴方の為でもあるんですよ」
そんな事を言われるまでもなく分かっている。
広間に入った瞬間からずっとクラウスとルーフィナは注目を集めていた。皆一様に好奇の目を向け、一体どういった心境の変化なのだと知りたくて仕方がないのだろう。
挨拶を交わした面々も、直接的な表現は避けていたが興味津々の様子だった。
こんな状態でカトリーヌの息子の噂が広がれば様々な憶測を呼びクラウスの威信にも関わる。それに何よりルーフィナにこれ以上誤解をされたくない。そうでなくてもカトリーヌがクラウスの愛人だと未だに誤解しているというのに……。
「分かった、場所を移そう」
クラウスは先に歩き出したテオフィルの後を追った。




