三十五話
「愛らしい奥様で実に羨ましい限りです」
「ありがとうございます。僕には勿体無いくらい素敵な妻だと思っているんですよ」
挨拶回りを順調にこなす中、ルーフィナは隣でクラウスを盗み見ていた。相変わらず外面が良いと感心する一方で、先程の事もあり変に意識してしまう。
外向きの爽やかな笑顔。色白のすらりとした体型に、翠色の瞳、金色の絹の様な美しい髪、初めて見た時も思ったが、まるで御伽噺に出てくる王子様みたいだ。
こうやって改めて見て実感する。きっとこの広間の中で一番格好いい……と思う。
「疲れただろう。少し休もうか」
暫くして少し疲れてきたと感じたタイミングでクラウスがそう声を掛けてくれた。たまたまだが、少し嬉しくなる。
ルーフィナは彼に手を引かれ、壁際まで連れて行かれた。
「飲み物を持ってくるから、ここで待っていて。直ぐ戻るから絶対に動いちゃダメだよ」
そう言って彼は行ってしまった。
ルーフィナは急に心細くなる。
「ご機嫌よう、ルーフィナ様」
緊張しながらクラウスが戻って来るのを待っていた時、ベアトリス達が声を掛けて来た。
「ベアトリス様、リュカ様も」
二人の顔を見て一気に気が抜け、自然と笑みが溢れた。
「テオフィル様はご一緒ではないんですか?」
誘った筈の本人が見当たらない事にルーフィナは首を傾げた。
まさかあの彼が遅刻するとは思えない。
「所用で少し席を外すと仰って何方かに行かれてしまいました」
成る程。そういえばこの夜会も知り合いに誘われたと話していたので、きっと挨拶にでも行ったのだろう。
それにしてもベアトリスとリュカは相変わらず顔を合わせないでいる。ただ意識しているのか互いにチラチラと様子を窺っているのが分かる。もしかしたら何かきっかけがあれば仲直り出来るかも知れない……と言ってもそのきっかけが難しいのだが。
「ルーフィナこそ、ヴァノ侯爵は一緒じゃないの?」
「クラウス様は、飲み物を取りに行って下さっています」
「へぇ〜」
普通に答えたつもりだが、何故かリュカは眉を上げた後に苦笑した。
「クラウス様ね……テオフィルが聞いたらなんて言うか」
「?」
意味が分からずリュカに訊ね様とするも、口を開く直前突然ベアトリスが「あれって、ザームエル様⁉︎」と叫んだ。そしてそのまま走って行ってしまう。
「何処行くんだよ⁉︎ ベアトリス!」
「え、ベアトリス様? リュカ様?……」
そんな彼女を少し怒気を孕んだ声で呼びながらリュカも追いかける。
あっという間に二人は人込みに消えて行ってしまった。
ルーフィナは一人残され暫し呆然とする。
(えっと、ザームエル様って仰ってたけど……)
少し前まではかなり落ち込んでいたが、最近は何も言わなくなっていたのでもう諦めたのだと思っていた。だがベアトリスはルーフィナが思っていた以上に例の彼に執着している様だ。
お金持ちだからなのか、それとも……。
「今晩は、愛らしいお嬢さん」
「⁉︎」
いきなり声を掛けられ、思わずビクリとしてしまう。少しぼうっとしていたが、まるで気配を感じなかった。
弾かれた様に声の主を見れば、金色の長い髪を後ろで一つに束ねた青い瞳の見知らぬ男性が立っていた。歳はクラウスよりも幾分か上に見える。
「お一人かな?」
「いえ、夫を待っていまして……」
緊張しつつ、自分で言った癖に夫と言う言葉に少し照れてしまう。
「あぁ、ヴァノ侯爵か」
「ご存知なんですか?」
「勿論だよ。それに君の事も良く知ってるよ、ルーフィナ」
何だか不思議な人だった。
あれから彼は一言二言交わすと直ぐに立ち去った。ただ名前を聞きそびれてしまい結局誰だったかは分からず仕舞いだ。
クラウスの知人?らしいので、また会う機会があるかも知れないが正直余り関わりたくない。失礼だとは思うが、何だか薄気味悪い感じがした。それに名前を呼ばれた瞬間ぞわりとしてしまった。
(それよりクラウス様、遅いな)
時間にしたら大した事はないと思うが、飲み物を取りに行くだけなら流石に遅過ぎる。
もしかしたら知り合いに声を掛けられ話し込んでいるのかも知れない。
今の所先程の男性が立ち去ってからは誰にも話し掛けられる事もないのでホッとしている。だが何故か周囲からは痛い程視線を感じるので居心地は良くない。
(早くクラウス様、戻ってこないかな……)
「ご機嫌よう、ルーフィナ様」
だが現れたのはクラウスではなくカトリーヌだった。




