三十一話
クラウスは自邸の執務室で朝から溜まっている仕事を片付けていた。
「……」
今頃ルーフィナは何をしているだろうか……。今日は学院がお休みなのできっと屋敷でのんびりと過ごしているかも知れない。
試験が終わったといえ勉強など日々の積み重ねなのだから気を抜かない様にと本人には伝えてあるが、正直怪しい。勉強もせずあの黒い毛玉と遊んでいる姿が目に浮かぶ……。確かに息抜きは必要だが、彼女の場合逆転している気がする。だがやれば出来るタイプではあるので後は本人のやる気と環境が整えば問題ない筈だ。ただあの屋敷の使用人達はルーフィナに兎に角甘いのでそういった意味では役に立たないだろう。ジルベールなど、クラウスが子供時にはかなり厳しかった癖にルーフィナには滅法甘い。彼ならば確り教育するだろうと思ったからこそ本邸から別邸へとわざわざ異動させたのに逆に甘やかしてどうするんだと言いたいが、八年放置していた自分が言えた義理ではない……。
まあ勉強の事は抜きにしたとして、元々そうだったのか環境が影響したかは分からないがルーフィナは真っ直ぐで良い子に育ったと思う。少し……いや、かなり鈍くて抜けてはいるがそこもまあ可愛……。
「ーーって、仕事中に僕は一体何を考えているんだ!」
誰もいない部屋で叫ぶ。
最近気を抜くと直ぐにルーフィナの事ばかりを考えてしまう自分がいる。自覚はしているが、かなり重症だ。
『僕なら彼女を幸せに出来ます』
「っーー」
それに時折りあの時の事を思い出しては苛っとする。
ポキッと音を立ててペン先が折れた。
(別に気になんてしていない……)
相手は公爵令息だとしても所詮青二才だ、何も出来やしない。精々父親に泣き付く程度だ。だがモンタニエ公爵は聡明な人だ、まともに取り合う事はしないだろう。
(でも、もしルーフィナが彼がいいと言ったら……)
見た限りかなり仲は良い。幾らお礼だといえ先日も手作りクッキーをあげていた。夫の自分にはなかったのに…………。
「失礼致します。クラウス様、お客様がお見えです」
暫し意識を飛ばしていたが、クラウスはジョスの声に我に返った。
ジョスは二人分のお茶を淹れると部屋から下がって行った。
クラウスはソファーに座る彼女を見て内心ため息を吐く。用件は聞かずとも分かっている。
「それでカトリーヌ、今日はどうしたの?」
「そんな事聞かなくても分かってるでしょう」
普段と変わらぬ様子の彼女は、出されたお茶に口をつける。
「最近貴方忙しいって言って全然社交の場に顔を出していなかったでしょう? でも流石に今度のドーファン家の夜会には参加するのよね?」
「あぁ、そのつもりだよ」
「……彼女を、同伴させるのでしょう」
「そうだね」
「っ……」
まだ先の話だが、来月末頃にラウレンツの生家である公爵家で夜会が開かれる。暫く夜会などからは足が遠のいていたが、友人や知人の家が主催とあらば行かない訳にはいかない。
クラウスがカトリーヌからの質問に淡々と答えると、彼女は目に見えて機嫌が悪くなるのが分かった。
「あぁそう、まあいいわ。今回は仕方ないけど、でも次からは私を優先してね」
昔から割と我が強いタイプではあったが、流石にここまでではなかった。コレット主催のお茶会以降暫く顔を合わせていなかったが、あの時も様子がおかしかった様に思う。あれからしつこく何度も夜会への誘いを手紙で貰っていたが、クラウスは全て断っていた。
「カトリーヌ、手紙にも書いたと思うけどこれからはルーフィナを同伴させるから君と一緒に行く事は出来ない。後こうやって屋敷に来るのも、これで最後にして欲しいんだ」
「い、嫌よ! どうしていきなりそんな酷い事言うの⁉︎」
ティーカップを勢いよくテーブルに置くとカトリーヌは席を立ちクラウスへと詰め寄る。彼女が仕事机に手をついたのでその衝撃で書類が何枚か床に散らばってしまう。
「ルーフィナは君を僕の愛人だと思っている。誤解をされる行動は控えたい」
以前誤解を解く事に失敗したが、今度こそ誤解を解きたいと思っている。カトリーヌとは誓ってやましい間柄ではないが、彼女に誤解される言動はしたくない。その為にはカトリーヌとはもう会わない方がいいだろうと判断した。
「別にやましい事なんてないんだから堂々としてればいいじゃない。もしかして奥様に何か言われたの?」
「彼女は何も言ってないよ。ただ僕がそうしたいんだ」
納得がいかない顔でカトリーヌは唇を噛み締め睨んでくるが、クラウスが応じる事はしない。
「……ねぇ、いいの?」
「何が……」
「そんなに私を邪険に扱って……。マリウスが悲しむわ」
「っ……」
久しく耳にしていなかった彼の名に心臓が跳ねた。クラウスは眉根を寄せ拳を握りしめる。
「すまない……。もしパートナーが必要なら僕が責任を持って君に相応しい人物を探して来るから」
「違うわ、そうじゃない。私はクラウスがいいの! だって貴方なら私の気持ちを誰よりも分かってくれているでしょう。八年前、大切な夫を亡くした傷はまだ癒えていない。彼だって親友の貴方が私を側で見守ってくれていたら安心する筈だわ。でももしこのまま私を見捨てるというなら、貴方の大切な親友を悲しませる事になるのよ⁉︎ それでもいいの⁉︎」
カトリーヌが喚いている中、気が遠くなる様な気がした。気付いた時にはカトリーヌはもう部屋からいなくなっていた。




