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第6話 「港町ペイライエウス」

     *     *     *

  *     *     *


「と・いうわけで、さっそくやってきました『すみれの冠いただまち』アテナイッ! デルフォイからちょっと南下してコリントス湾を船で渡って地峡コリントスを歩いて渡って、そこから船に乗ってアテナイの海の玄関口ペイライエウスに上陸すれば、わりとあっという間でーす!」


「誰にしゃべってるんすかね?」


 誰にともなく力説するファルマキアに、アラクネがふしぎそうに首をかしげる。

 ふたりとも日よけの帽子をかぶった上から、女の旅装である全身ショールで身を包んでいるので、アラクネの豊かすぎる髪も人目にはつかない。


「いや~、船旅は速かったけど、地峡コリントスでは普通に盗賊とか出てきたし、地味にめんどかったよね~」


「でも、逆によかったっすよ。襲ってきたやつら全員アレして、ウチらの路銀が増えたっすからね!」


「たしかに! ひとけがなくなったとこで来るから、こっちも始末が楽だったっていうか。相手をやる気なら、自分がやられる覚悟も持てってことだよね~」


「そうっす、そうっす! 増えた路銀で、おいしいものを食べるっす!」


 余人の想像をこえた話題でキャッキャと盛り上がるふたりであった。

 もしもアテナイ市内を旅装の女のふたり連れがこんなふうに盛り上がりながら歩いていたら、否応なしに人の注意をひいただろうが、ここは港町ペイライエウスだ。

 地元の男も女も、市民も奴隷も外国人も入りまじっているから、多少のことでは目立たない。


「とにかく、ニカンドロスさんが言ってた『協力者』の家に直行しようよ! このショールが暑苦しくて、はやく脱ぎたいマジで」


「そうっすね! その協力者さんの家で、ゆっくりさせてもらうっす! その人の家、どこだったっすかね?」


「えっとね……アロペケ区の東のはしっこで、駆け回る犬のすがたが彫られた井戸のそば。家の角には、でっかいヘルメス像が建ってるんだって」


「ふんふん……で、そのアロペケ区ってのは、どこなんすかね?」


「たぶん、こっちっぽい。勘だけど」


 などと不確かなことを言いあいながら、港から出る細い道のひとすじに入って、右に折れ、左に折れするうちに、


「おっと?」


 先を歩いていたファルマキアはぴたりと足を止め、続くアラクネも止まった。

 ふたりの前をふさぐように立ちはだかったのは、見るからに人相風体のよろしくない五人組の男たちだ。


「お嬢ちゃんたち、どこ行くの?」


「女の子のふたり歩きなんて、珍しいねえーッ」


「旅のとちゅうか? いい宿があるから、俺たちが案内してやるよ」


「なんと……ほんのちょっとしか歩いてないのに、早くも、ろくでもなさげな連中が絡んできちゃいました! 『すみれの冠いただまち』とうたわれたアテナイの治安は、いったいどうなってるのでしょうか!?」


「アァン!? 何だとォ!?」


「もっぺん言ってみろやコラァ!」


「なんか……喜劇コモイディアにでも出てきそうな反応っすね~」


 実況するファルマキアと感心するアラクネに、激昂する男たち。


「誰がろくでもない連中だコラ!? そっちこそ、若い娘が外をふらふらしてよ、どうせ、ちゃんとした娘じゃねえんだろ?」


「ほーん?」


 とぼけた顔で首を傾げるファルマキアに、男たちのひとりがずいと詰め寄る。


「いくらだ、って聞いてんだよ、お嬢ちゃん」


「あー」


 ファルマキアはあごに手を当て、ふた呼吸ほどのあいだ考えて、


「それじゃ、おひとりさま一オボロスずつご用意いただきまーす」


「安くないっすか!?」


 思わずといった調子で、アラクネが叫ぶ。

 一オボロスといえば、だいたい、傭兵の日当の六分の一くらいの額だ。

 だが、ファルマキアはにこやかにかぶりを振った。


「いやいや、わたしが取るんじゃないから。冥府の川ステュクスの渡し賃にね! はい、用意できた方から、順番にどうぞでーす!」


「なるほどっす!」


 心から納得した、という顔で、アラクネ。


「五人もいるんだから、各自が前もって小銭を用意しとかないと、冥府ハデス行きの船着場でゴタついて渡し守カロンさんに迷惑っすからね~!」


 ふたりの態度に、男たちの目の色が一気に険悪になった。


「おまえら……俺たちをなめてんのか?」


「いや別になめてるっていうか……うん。まあ、なめてるかな」


「こンの、くそ女どもがァ!」


「泣くまでアレしてコレしてソレしてやらぁ!」


「クッハハハハァ! おもしれー! できるもんなら、やってみりゃいいじゃーん!」


「めんどいっすねえ……まとめてサクッとアレしとくっすか~?」


 こうして一触即発の事態となった、そのときだ。


「おやおや」


 あまりにも場違いな、落ち着いた、低い、穏やかな声がその場に割って入った。

 全員が、バッと首を振り向けてそちらを見る。

 小汚い細い道を、悠然とした足取りで歩いてくるのは、やや背が低くがっしりとした体格で、パッと見の姿が「シレノス像」にそっくりな、四十がらみの男だった。

 明らかに人相風体がよくない五人組を前にしても、その男は、どこかとぼけたような、飄々とした顔つきを崩さず、ずんずんと近づいてくる。


「ねえ、君たち。僕の目には、君たちが五人がかりで二人のうら若き女性を襲っているように見えるのだがね。どうかな、僕のこの見方は、間違っているだろうか?」


「ハァ? 何だ、このオッサン……なんか、しゃべりが異様にイラつくぜ」


「失せろや。アレするぞ」


「いやいや」


 五人組が凄んでみせても、男のとぼけたような態度はすこしも変わらない。


「ここはひとつ、立ち止まって考えてみてほしいのだがね。もしも君たちが本当に五人がかりで二人の女性を襲っているのだとすれば、その行為は、はたして正義にかなっていると言えるだろうか?」


「ハアァ!?」


「言えなきゃ、どうだってんだ、アァン?」


「俺たちを止める気かぁ? なら、ごじゃごじゃぬかしてねえで、腕ずくで来いやァ!」


「『正義』ってのは、『力』のことだろォ……」


 拳を振りかぶり、ひとりが叫ぶ。


「弱ぇやつが、かっこつけて、正義なんか語ってんじゃねえよッ!」


 ゴギンッ!


「いぃぎゃああぁぁッ!?」


 響いた悲鳴は、シレノス像に似た男のもの――ではなかった。

 殴りかかったほうの男が、その腕をかばうように体を折り曲げ、絶叫している。

 あらぬ方向に手首が折れ曲がっているのは、どうやら関節が外れたらしい。


「ふむ、『正義とは力である』という君の説が正しいとするならば、今、君よりも、僕のほうがいっそう正義にかなっているということになったわけだね。それは確かにそうであると、僕も思うのだが」


 ボゴギッ!!


「しかし、君のその説は――つまり『正義とは力である』という考えは、本当にいかなる場合においても正しいと言えるのだろうか? たとえば、過去を振り返ってみれば、明らかに不当な理由をもって戦争をしかけた側が勝利をおさめる、という例が、残念なことに、数多くあったのではないかね」


 ゴギョリッ!!


「そういった場合には、勝利をおさめた、すなわち『力』において勝った側に『正義』はなかった、ということになる。そうすると、君の説はだいぶ論拠があやしくなってくると思うのだが、君はこのことをどう考えるだろうか」


 メリッ!!!


「ねえ君、対話によって物事を解きほぐそうというときには、そんなふうに黙っていちゃだめだよ。双方が真剣に問い、また真剣に答えなくては、対話ディアレクティケーは前にも後ろにも進まないのだから――」


「あのー、おっちゃん、おっちゃん」


 注意をひくように、片手をぱたぱたと振って、ファルマキア。


「そいつ、たぶん、もう喋るどころじゃないと思いますよ?」


「おや?」


 手首や足首がいろいろな方向に曲がって泡を吹いている男の体をぼとりと取り落として、シレノス像似の男。


「ま、こっちは、永遠に喋らないと思いますけど」


 ショールの下から突き出した、鈍い紫色に光る毒針をヒュッと引っ込めて、ファルマキアが言う。

 その足元には、残る四人の男が苦悶の表情もなまなましく、ひっくり返っていた。

 傷痕は虫に刺された程度しか残っておらず、あとから誰かが調べたとしても死因を見極めることは難しいだろう。


「さすがっすね、ファルマキアちゃん! ウチの出番なかったっすよ~」


「ごめーん! でも、アラクネちゃんのやり方だと痕がつく・・・・でしょ? それで後々、めんどいことになっても嫌だしさー」


「確かにそうっすね。じゃ次、屋内で偽装しやすいときには、ウチがやるっす!」


「僕の助けなんて、君たちには、まるで必要なかったようだねえ」


 シレノス像似の男が、感心したように言う。


「まるで復讐の女神たちエリーニュエスの怒りのように速やかで、容赦がない」


「うん。ところで」


 ショールの下で毒針をもてあそびながら、ファルマキアは気軽な調子で聞いた。


「おっちゃんは、いったいどなたですか? めちゃくちゃ強いし、こうなっても全然びっくりしてないし、どう考えても、ふつうの善良なる市民じゃないよね?」


「いや、僕はこのアテナイの善良なる市民だ。少なくとも、常にそうあろうとつとめている者だよ」


 シレノス像似の男はにこにこと言い、左手の人さし指、中指、薬指をそろえて自分の毛深い胸を三度叩いてから、拳をかためて、胸からへその前までゆっくりと下ろした。

 ファルマキアとアラクネは顔を見合わせた。

 三本の指で胸を三度叩いてから拳をかためて下ろすしぐさは、出発前にニカンドロスが教えてくれた、Εエイの合図だったからだ。


「僕は、アロペケ区のソプロニスコスの息子、ソクラテスというものだ。

 我が愛するアテナイへようこそ、お嬢さんたち! さあ、さっそくうちへ来て、旅の疲れをとってくれたまえ」


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― 新着の感想 ―
[一言] 穏やかにとんでもねぇおじさんが現れた! お迎えに来てくれたのでしょうかね。頼もしい!(というか、油断ならないというか!) アレされちゃった皆様はご愁傷さまでした……
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