第5話 「アテナイの男」
その夜。
「ただいまから、ファルマキアちゃんの歓迎会をはじめるっすよ~! イエーイ!」
「イエーイ! みなさんよろしくでーす!! 二人しかいないけどー!」
「関係ないっす、二人で盛り上がるっす~!」
「イエーイ! これがうわさの肉祭りィィィ!」
床の真ん中に据えた持ち運び可能なかまどを囲み、ファルマキアとアラクネは、皿にどっさりと盛られた肉をじゅうじゅう焼いていた。
すこし前に、ニカンドロスの使いの者が食材を運んできたのである。
「もぐもぐ! うまー! これはいいお肉だ! おかしなクスリも混ぜられてないみたいだし!」
「肉の感想が殺伐としすぎっすよ! なんでいきなり一服盛られるのを警戒してるっすか!?」
「いや、職業病っていうか……ほら、一般人には肉って珍しいから、がっつきがちだよね? だから、そこに毒薬を仕込んでおけば、標的は異変に気づく前に飲み込――」
「ファルマキアちゃん、食事中におそろしい話はやめるっす!」
「いや、アラクネちゃんだって、暗器で絞め殺す的なこと言ってたじゃん……」
「暗器じゃないっす、芸術っす。……さあ、殺伐とした話はやめて、じゃんじゃん食べるっすよ! つけあわせに、豆の酢漬けとキャベツの酢漬けと、ボルボスの酢漬けもあるっす!」
「酢漬けしかない!? じゃあボルボスを……すっぱッ! そして苦ッ! でも、やみつきになる味だ! もぐもぐ!」
「いやぁ~、毎日のことながら、指懸垂を百回やってから食べる肉は格別っす! 筋肉が喜んでるっす」
「指ひっかけただけで懸垂を百回って、だいぶ人間わざじゃないよね!? 筋肉が喜んでるって何?」
「いやいや。そういうファルマキアちゃんも、さっき家の前で暴れてるから、何かと思ったら、見たことないコンビネーション蹴りの練習してるから驚いたっすよ!」
「いやあ、修行を積んで、いつかニカンドロスさんを倒そうと……」
「初日から下剋上の計画っすか!?」
「そのためにも、しっかり肉を食べて、筋肉をつけないとね! さっそくふくらはぎのあたりにパワーがみなぎってきたような……あ! これが『筋肉が喜んでる』ってこと!?」
「そうっす、そうっす! わかってくれたっすか!」
余人には理解不能な話題でキャッキャと盛り上がったあと、
「そういえば、たぶん、もうすぐウチらに仕事が回ってくるっすよ~」
串にさした肉をほおばりながら、アラクネがさらりと言った。
「標的は、たぶん、アテナイのアイツっすね!」
「誰? ……ていうか、その話、そんな軽い感じでわたしに話しちゃって大丈夫!? 歓迎会で口が滑って組織に消されるとか、そういうの大丈夫!?」
「あー、全然大丈夫っす! ウチらは、もうΕの仲間どうしっすから。外部の人間にしゃべったら、もちろん消されるっすけどね~」
「当然のような口ぶりッ!」
「そりゃ当然っすよ。……で、標的の話っすけど、たぶんアイツっす。アルキビアデス」
「アルキビアデス? あー、なんかめっちゃ聞いたことある、そいつの名前!」
生肉を並べてぶすぶすと串にさしながら、ファルマキア。
「何だっけ、あの……ほら、前の夏のオリュンピア競技祭で、戦車競走で勝ちまくった男!」
「そうっす、そうっす! ひとりで七台、戦車を出して、一位と二位と四位をかっさらったっすよ~」
「馬の維持費ってめちゃくちゃ高いのに、四頭立て戦車を七台ってことは……えーと、あー……二十八頭!? どんだけ金持ちなの!?」
「もう、やばいくらい金持ちっす。神託所のお得意様なんすけどね~」
「お得意様をアレする計画!? なんで!? デルフォイの『過度は慎め』の警句に反しまくってるから?」
「……まあ、そうと言えないこともないですね」
言いながら、いきなり音もなく扉を開けて入ってきたのはニカンドロスだ。
「あ、おにいさん! こんばんはー。もしかして、ファルマキアちゃんの歓迎会に来てくれた感じですか?」
「神官長と呼びなさい。まあ、そういうことにしておきましょうか。あ、これ追加の肉です」
「やったー肉だァァァ! もう微妙にお腹いっぱいだけど、やったー!」
「だめっすよ、ファルマキアちゃん。新人は、この三倍は食べないとっす!」
「だからそれ、新人レスラーが強引に体をつくるときのやつだよね!?」
「なんの話ですか」
あきれたように言いながら、ニカンドロスもかまどのそばに座り、肉を焼きはじめる。
「すでにアラクネが話していたようですが、次の仕事が決まりました。君たちには、アテナイのアルキビアデスを片づけてもらいますよ」
「はい先生、質問いいですかー? もぐもぐ」
「ちゃんと飲みこんでからしゃべりなさい。そして先生とは? ……まあいいか。質問はなんです」
「どうして、そのアルキビアデスさんを片づけることになったんですか?」
「フ……理由など知る必要はない。君たちは命令を遂行するだけでいい」
「絵にかいたような悪の幹部セリフだッ!」
「ちょっと言ってみただけです。今から説明しますが――」
「いや~、説明なんかいらんっすよ。ウチらは、やれと言われた相手をやるだけっす」
「アラクネちゃんのほうがドライな暗殺者キャラ!?」
「冗談っす。神官長、説明お願いするっす!」
「話が進まないので、二人ともしばらく黙っていてもらえますか?」
ややげんなりとした顔でボルボスの酢漬けをかじりながら、ニカンドロス。
「いきさつを話せば長くなるので省略しますが、とにかく今、アテナイのアルキビアデスは、シチリア島への遠征を計画しています」
「シケリア? って、あの、イオニア海の向こうのでっかい島?」
「そうです。そこでは今、エゲスタとセリヌスというふたつの都市国家がもめているのですが、アルキビアデス率いる一派は、エゲスタを支援するという名目で、シケリア島に軍勢を送ろうとしているんです。もちろんその狙いは、ゆくゆくはシケリア島全土を支配することにある。民衆の多くは、アルキビアデスの計画を熱狂的に支持しています」
「なるほど」
「しかし、アテナイによるシケリア支配が実現しては困る、という勢力がたくさんあるんです。
ひとつはシケリアの有力都市国家、シュラクサイ。人口がアテナイとほぼ変わらない強国だ。
もうひとつは、海をはさんで南に位置する強国、カルタゴ。数十年前の戦争以来、カルタゴ本国はシケリア島に介入していませんが、アテナイがシケリア全土を支配する動きを見せたとなれば、ただ静観するはずがない」
「ふんふん」
「そしてもうひとつが、スパルタ。アテナイとスパルタは形ばかりの休戦状態にありましたが、今回のアテナイの動きは、その均衡を大きく崩すことになる。また戦争になります」
「ほうほう」
「巨大な利害関係がからみあうシケリア島に、今の状況でアテナイが手を出すのは、危険が大きすぎる。シケリア遠征をきっかけに、ギリシャ全土に取り返しのつかない混乱が起こり、そこに、ペルシャ帝国が乗じてくる可能性もあります。だから、何としてでも、主戦派の急先鋒であるアルキビアデスを止めなくてはならない」
「はっは~ん」
「…………ちゃんと聞いてますか、君?」
「聞いてますよー。ま、要するに、アルキビアデスさんを止めなくちゃって話ですよね!」
「それはなぜかって君が質問したから、わざわざ説明したのですが!?」
「もぐもぐ。肉うまい」
「しっかし、ふしぎっすよね~」
叫ぶニカンドロスと、肉をかじるファルマキアをよそに、アラクネが首をかしげる。
その動作で、長すぎる金髪がさらさらと流れて、彼女の顔のほとんどを隠してしまった。
「今、神官長が話したような事情って、アテナイ人たちも、さすがにだいたいは分かってるはずっすよねえ? それなのに、そんなに大勢がアルキビアデスを支持するってのは、いったいどういうわけなんすかね~?」
「ああ、それは」
まるでため息をつくような調子で、ニカンドロスは言った。
「彼が話すのを、その目で見ればわかります」




