第3話 「巫女の言葉」
ひとしきり焼き菓子をごちそうになったところで、
「では、そろそろ行きましょうか」
「お菓子、ありがとうございましたー! よかったら、またおすそ分けしてください!」
元気よくお礼を言って――ついでにさりげなく要求までして、ファルマキアは立ち上がった。
口のまわりや衣から焼き菓子のかけらをはらい落としながら、
「そうだ」
と、思い出したようにたずねる。
「そういえば、巫女さんのお名前は?」
「わたし? びっくりしないでね~。わたしの名前、実は、カッサンドラっていうのよ」
「えー!? ほんとですか? その名前の人に会ったの、初めてです! カッサンドラって、あの……ほら、古い歌に出てくる、あの人ですよね? イリオンの王女さまで、アポロン神に『予言の力を与えてやるからアレさせろよ』って言われて承知したけど、やっぱりアレさせなかったから、せっかくの予言を誰にも信じてもらえない呪いをかけられちゃった人!」
「そうそう、そうなのよ~! でも、この名前って、デルフォイの巫女としてはどうなのよって感じでしょう? だから、ふだんは名乗ってないのよね~。わたしのことは、ただピュティアって呼んでくれればいいから!」
「なるほどでーす! 了解です!」
「あなたは、ファルマキアちゃんよね?」
「ヌッ! いつの間にわたしの名を! さっそく出た、Εの情報網ッ」
「さっき、自分で勢いよく名乗ってたわよ~」
「ハッ!? そうでした。Εの期待の新人、ファルマキアちゃんをよろしくでーす!」
「自分で言いますか」
ニカンドロスがあきれたように呟き、これ以上は付き合っていられないとばかりに踵を返して、建物の外に出ていった。
「ファルマキアちゃん」
勢いよくニカンドロスに続こうとしたファルマキアを、後ろからピュティアが呼び止める。
「あのね。右脚に、気をつけて」
「はい?」
振り向いたファルマキアを見つめ、ピュティアは真顔で言った。
「もしかすると、今日、あなたの右脚によくないことが起こるかも。……蜘蛛が原因で」
「えっ。蜘蛛……えっ? 今の、神託ですか? それとも、暗号的な何か?」
「ああ、いや、別に、気にしなくていいのよ~! 忘れて忘れて!」
「逆にものすごく気になるんですけどッ!? 蜘蛛が原因で、ファルマキアちゃんの右脚にいったい何が!?」
ファルマキアは騒いだが、ピュティアは「いいからいいから、忘れて忘れて!」と繰り返すばかりで、それ以上のくわしい話は聞けずじまいになった。
「遅いですよ。どうしました?」
「いや、右脚……うーん」
ニカンドロスの苦情に、ファルマキアはそう言いかけて、
「いや……うーん。やっぱり、なんでもないです」
「なんなんです、思わせぶりな。……まあ、いいでしょう。これから君を宿舎に案内します。当面のあいだは、そこで暮らしてもらいますよ」
「やったー! いよいよ三食昼寝付きの夢が!」
「昼寝は付いてません。まあ、三食は保証しますが」
「イエーイ!」
「毎食、肉が食べられます。羊や牛など、いろいろね」
「やったー! 毎日が肉祭りだ! しかも牛! 一般庶民は祭儀のときくらいしか食べられないような高級肉ゥゥゥ!」
「神託うかがいのための犠牲獣としてしょっちゅう屠られるので、デルフォイでは肉は珍しくもないのですよ。むしろ神託希望者で混雑したときなどは、肉が余りまくって、細切れにしたものを、必死に皆で噛んでは飲みこみ、噛んでは飲みこみ……」
「それ、レスリングの新人選手が無理やり体をつくるときのやつでは!?」
「正直、肉にはもう飽きました」
「一度は言ってみたいけど、実際には言いたくないセリフ第一位だッ! ……あ、それだけ肉を食べてるから、おにいさんは、そんなに筋肉ムキムキになったんですね」
「神官長と呼びなさい。ふふふ」
「いや、特に褒めてないので、勝ち誇られても……」
そんなことを言い合いながら、各都市国家の戦果を誇る見事なブロンズ像の奉納品が並ぶ坂道をくだり、二人はふたたび神託所の敷地を出た。
そこから、さらに坂道をくだる。
途中で参道をそれ、けわしい崖のあいだに隠すようにきざまれた階段状の坂をしばらくのぼって、山腹にひらけた、ちょっとした広場のような空間に出た。
そこには二階建ての簡素な住宅がいくつか並んでいたが、崖の高さや木立が目隠しになり、参道を通ってデルフォイをおとずれる一般の訪問者たちの目からは、ちょうど見えないようになっていた。
「いちばん端の家が、君たちの宿舎です」
「イエーイ! 家だけに。普通にいい家ですね! ……ていうか今『君たち』って言いました?」
「ええ。Εの『掃除人』は、もちろん君だけではありません。今、任務で外に出ている者もいますが、君の同居人になる人は、ちょうど残っています。ちょっと変わった人ですけど、いい人ですから、まあうまくやってください」
「地味にいちばん不安になる紹介のしかただッ! 『ちょっと変わった』の『ちょっと』って、どれくらい!? そこ大切ッ!」
ファルマキアは騒いだが、ニカンドロスはひらりと片手を振り、
「わたしは仕事がありますので、これで」
と去っていってしまった。




