第17話 「宴」
「はいそれ嘘ォー!」
男たちの乱入にも一切動じず、ファルマキアは笑顔を崩さなかった。
「そう言えば局面が動くかな!? と思って、とにかく言ってみたんだと思うけど、無理でしたー! 残念! だって、本当にソクラテスさんの家族を人質にとってるなら、その証拠に、今、この場に連れて来てなきゃおかしいよね? 来てるなら出してみ? 出してみ? ほれほれ」
「……間抜けどもめ」
アルキビアデスがうんざりとしたように吐き捨て、わざとらしく白目をむいてのけぞる。
「人質だって? 無い頭で、どうにか僕を救う策を考えたんだろうけど、つくなら、もう少しまともな嘘をつきたまえよ」
「はーい、それも嘘ォー! 残念!」
アルキビアデスの声に重ねる勢いで、ファルマキア。
「『人質だって?』じゃないよね。あなたの差し金だよね?
わたしたちが屋敷に向かいはじめたとき、スペーケスも消えたけど、道々、あなたが目配せして、取り巻きが二人くらいスーッと道を曲がって消えるのを、ファルマキアちゃんはきっちり目撃していたのでしたー!
あなたは、わたしがΕの者だって、最初から気付いてた。そのあなたが、わたしを屋敷に入れたってことは、当然、自分の身を守るために、何かしらの手を打ってたはず。たとえば、スペーケスを寝椅子の下に入れとくとか、ソクラテスさんの家に手下を送り込んで、家族を人質にとっておく、とかね!」
「では――」
「で、空振りしたと」
声をあげかけたソクラテスを目で制し、ファルマキアは、おろおろと戸口のあたりに突っ立ったままの男たちに言った。
「あなたたちは、ソクラテスさんの家に行ってはみたものの、そこには誰もいなかった。そうでしょ? だって、そうじゃなかったら、あなたたちが生きて帰ってくるはずないもんね!」
「なるほど」
アルキビアデスが、目を細める。
「仲間がいたのか。きみは今『生きて帰ってくるはずがない』と言ったね? ソクラテスの妻に、そんな芸当はできっこない。きみの仲間が、ソクラテスの家に残っていたんだ。これは想定外だったな……」
「あ」
片手で口をおおって、ファルマキア。
「うっかり口が滑ったッ! ファルマキアちゃん、まさかの凡ミスッ」
「で?」
もはやファルマキアのほうも見ず、あごをのけぞらせ、天井に描かれた精霊たちの姿を眺めながら、アルキビアデス。
「これからどうする? ぼくはもう、いい加減、退屈でいらいらしてきた。ぼくをやる気なら、さっさとやりたまえ。その気がないんだとしたら、さっさと、ぼくの上からどいてくれないか?」
「えー? うーん……えー、どうしよっかなー!」
「うるさいな。くだらない言葉遊びはもういい。きみはさっきから、いったい、何のために時を稼ごうとしているんだ――?」
そのときだ。
最初に聞こえたのは、かすかな笛の音だった。
緊迫した状況にあまりにもそぐわない、宴会めいた陽気な調べに、一瞬、全員の目が点になる。
その笛の音は、どうやら、表通りから聞こえてくるようだ。
いや、聞こえてくるどころではない。
明らかに、どんどん近づいてくる。
それどころか、がやがやとにぎやかな大勢のざわめき、竪琴の響きまでが、一緒になってこちらに近づいてくるのだ。
「何事だ!」
「よ……」
部屋の外をうかがったアルキビアデス配下の男たちが、とんでもないことになったという顔で振り向き、叫んだ。
「酔っ払いです、アルキビアデス様! 酔っ払いの、大集団です! それに、笛吹きと、竪琴弾きまで来ます!」
「酔っ……何だって?」
「おやめください、帰りなさい! いったい何なんです、あなたがたは――」
「おい、いかん! そこは入ってはいかん! 止まれ、出ていけ!」
召使いたちの混乱しきった制止の声と、それを今にもかき消さんばかりの歌声、喚声、どら声が、音楽と一緒になって押し寄せてきた。
「スペーケス!」
アルキビアデスが叫び、一瞬でソクラテスから離れたスペーケスが、仕掛け箱の逆戻しのような勢いで寝椅子の下に滑り込む。
ファルマキアもまた、たわんだ弓が弾ける勢いで飛びすさり、針をしまって、衣のすそを直した。
アルキビアデスがさっと髪をはらって起き直り、ソクラテスが首をさすりながら突っ立っているところへ、どやどやと乱入してきたのは、酒臭い男たちの一団だった。
「どうも、どうも、アルキビアデスさん!」
一同を代表してか、腹の突き出た、気のよさそうなおっさんが赤ら顔で一礼し、完全にできあがった胴間声を張り上げる。
「いやぁ、聞きましたよぉ! 戦の準備の景気づけに、皆に、酒を振る舞ってくださるって話じゃ、ないですかぁ! まったく、お若いのに、感心、感心!」
「さっすが、将軍ともなると、度量が違うよぉ、度量が!」
「いよっ、将軍! あんたが一番!」
「俺ぁねえ、アルキビアデスさん! あんたに、投票しましたよ! あんたなら、絶対やってくれるって、なあ、皆!? そうだよなあ!?」
ウエーイ! と盛り上がる酔っ払いの集団を、アルキビアデスはしばし、目をしばたたかせて見ていたが、
「そうさ、皆さん!」
一瞬後には、あの輝くような笑顔を見せて両腕を広げた。
「今日は、遠慮なく飲んで、くつろいでいってくれたまえ。すべて、ぼくの酒蔵から出た秘蔵品だよ。さあさあ、座って。おや、明らかに椅子が足りないじゃないか? おい、おまえたち何をしてる、葡萄酒と混酒器、杯を! 席を作れ、なければ、ありったけのクッションを集めてきたまえ!」
「行くっすよ、ファルマキ……ファルマコスくん」
プァーン! と景気よくアウロイを鳴らして、一団を先導してきた笛吹きの女――アラクネが囁いた。
「今のうちに抜け出すっす。ソクラテスさんも、さあ、こっちへ!」




