第七十六話 シリアスに
芽衣さんがひめの洋服に紅茶をこぼしたのは、やっぱりミスではなく意図的なものだったようだ。
(なんとなく、不自然だったんだよなぁ)
こぼした紅茶がアイスティーだった。だから火傷の危険性はなかった。
倒れたコップがテーブルから落ちなかった。おかげで割れずにすんだ。
入浴の用意がすでにされていた。今から夕食を食べるのであれば、もう少し後でも良かったはずなのに。
そもそも夕食の準備が遅れていたことさえも、よくよく考えてみると不自然な気がする。
だって芽衣さんは、俺を招くことを予定に入れていたと言っていた。
早めに迎えに来たのはそのせいだ。だというのに、夕食の準備が手間取るのは……明らかに不自然とまでは言えないものの、他の状況と合わせるとやっぱりおかしく感じてくる。
こうして字で見ると改めて感じる。
ミスをしたにしては被害が小さい上に、フォローも完璧だな……と。
これらの全ては、俺と二人きりになるための策略だったらしい。
芽衣さんは俺に、どうしても言いたいことがあるようだ。
「伝えたいこと、ですか」
「ええ。そうなの」
「……それは二人きりじゃないと、ダメだったんですか?」
「もちろん。二人きりじゃないとダメなの」
聞かなくても分かる。
それがシリアスな内容であることは、雰囲気で察することができる。
(なんて言われても、しっかりと胸を張ろう。後ろめたいことがあるわけじゃないんだから)
一度、大きく息を吸い込んだ。
覚悟を決めて、思いを固める。
たぶん芽衣さんは、ひめ……だけじゃないか。聖さんも含めて、星宮姉妹との交友関係に関して、何かしらの物言いをするのだと思う。
もともと、俺のような庶民が関われるような身分の二人ではないのだ。
星宮姉妹の面倒を見ているであろう芽衣さんからすると、俺があまり快くない存在であることは間違いない。
交友を断ってくれ、とまではさすがに言われないと信じたいが……苦言を呈されることは容易に想像できる。
『お嬢様はあなたのような身分の人と釣り合わない』
『うちのお嬢様をたぶらかさないでほしい』
『お菓子なんていう庶民の食べ物を勝手にあげるなんて困る』
なんてことを言われる予感がしてならない。
何を言われても、反論は控えめにして……なるべく芽衣さんを怒らせないように、それでいて星宮姉妹との関係が良好であることを、心がけたい。
俺にとって二人はとても大切な友人である。
聖さんもそうだし、特にひめはもう心の癒しだと言っても過言ではない。
関係を断つなんて有り得ない。
なので、星宮姉妹が慕っている芽衣さんとの関係も、なるべく穏便でいたいと思っている。
そんな決意をしてから、再び顔を上げた。
「はい、分かりました。なんでも言ってください」
もう覚悟はできている。
そんなシリアスな思いが、芽衣さんにも伝わったのかもしれない。
「……言いにくいことだけれど、たぶん今しか言えないことだから。この場を借りて伝えさせてもらうわ」
彼女もまた、真剣な面持ちで俺をまっすぐと見つめた。
色素の薄い瞳で俺を見据えて、それから彼女はゆっくりと口を開く。
重々しい仕草で、シリアスな雰囲気を醸し出しながら。
冷たい声音で、一言紡いだ。
その言葉は――
「うちのお嬢様と友達になってくれて……あ、ありがとう」
――あ、あれ?
身構えたのに、発せられた一言は意表を突く『ありがとう』だった。
「本当に、ありがとう」
聞き間違いである可能性はない。
二度目の感謝の言葉と同時に、芽衣さんは深々と頭を下げた。
九十度。頭のつむじはもちろん、後頭部の生え際までみえるような綺麗なお辞儀をされてしまう。
シリアスに紡がれたのは、否定の言葉ではなく。
まさかの『感謝』だった――。




