第百九十七話 魔法の呪文
そういえば、姉が最近こんな愚痴をこぼしていた。
(アラサーになってから体がよく痛くなる……ピチピチの高校生だったあの頃が懐かしいなぁ。喧嘩しても翌日にはもう全回復してたのにさ)
姉さんは時代錯誤の元ヤンキーである。『男女平等だから殴ってもオッケー』というよく分からない無茶苦茶な理論を振りかざして、拳一つで地区内の悪童を統べた肉体派の姉さんですら、年齢による衰えには敵わないらしい。ピチピチという単語がもう若干古い気もしたのだが、それを指摘したら機嫌が悪くなるので何も言わなかったけど。
ともあれ、若さのおかげで今の俺は怪我がしにくい体なのだろう。
(……大丈夫そうかな)
先ほど、聖さんと事故が起きた。二重の意味で柔らかくて、柔らかくさせられた事件である。
最初こそ大きな痛みがあったものの、今はかなり軽減していた。そういえば、ネットの記事で『お相撲さんは怪我しないよう、最初のうちは内出血するくらい股割りさせられる』と聞いたことがある。真偽は定かではないものの、意外と人間の体は頑丈なのかもしれない。
痛みが完全に引いたわけではない。ただ、心配するほどでもなかった。
そういうわけなので、俺は無事なのだが。
「陽平くん、まだ痛みますか?」
現在、聖さんのダイエット企画を中断して休憩に入っていた。
木陰にブルーシートを敷いて、三人でのんびりしている。とはいえ、穏やかな気持ちでいるのは俺だけかもしれないけど。
「大丈夫だよ。心配しないで」
「そうですか……それなら、いいのですが」
ひめは少し心配そうだった。
事件の直後は落ち着いていたように見えるのだが、意外と心中は穏やかじゃなかったのかもしれない。先ほどから俺のすぐそばを離れようとしない。
「ご、ごめんね? よーへー、飲み物どーぞ?」
「ありがとう。聖さんも気にしなくていいから」
「そ、そう? えっと、じゃあとりあえず肩とか揉んであげるねっ」
そして聖さんはバツが悪そうだった。
悪意がなかったことは理解しているので、別にいいのに。ぐーたらだけど、この人も善良な人間なんだよなぁ……ひめと同じで、他者に対してすごく優しい。だからこそ、過失とはいえ迷惑をかけたことを申し訳なく思っているように見えた。
罪滅ぼしなのか、肩も揉んでくれている。気持ちはありがたいのだが……い、痛いなぁ。
『ぎゅっ! ぎゅっ! ぎゅっ!』
まるでパン生地をこねるかのように、肩の筋肉がこねられている。
明らかに力加減を間違えている気がしてならない。ただ、本人は一生懸命なので、拒絶することは難しかった。まぁ、体力はない人なのですぐに疲れてやめるだろうし、放置しておこう。
「……ひ、ひめは何してるの?」
「お姉ちゃんの真似です」
そう言って、ひめの小さな手が患部の股内部分をさすっていた。
聖さんが肩を揉んでいるので、それに触発されたのかもしれない。ただ、くすぐったいだけで、効果的と言えるか懐疑的である。
「陽平くん。痛みが取れる魔法の呪文をかけてあげますね」
「呪文?」
それはいったいなんだろう?
詳しく聞き出すよりも先に、ひめがそれを実行してくれた。
「『いたいのいたいの、とんでけ~』」
……ま、まさか、ひめからその呪文を聞くことになるなんて。
大学の卒業資格まで修得している、大人びた天才幼女である。その呪文が論理的に意味がないことなんて理解しているだろう。
でも、その呪文を唱えるひめは、すごく愛らしかった。
(――か、かわいい)
ただただ、かわいい。
そのせいで、わずかに残っていた痛みさえ全て吹き飛んでいった――。
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