第百五十話 彼女が夢中なもの
図書館にいるので、声は控えめに。
だけどひめの声はよく通るので、聞こえやすかった。
「お姉ちゃんがお家で勉強できるように、参考書を借りようと思ってきたのですが……皆さん考えることは同じみたいで、すでに全部借りられているみたいですね」
たぶん、俺の意図も既に読み取っているのだろう。
どうして急に図書館に来たのか、という質問を投げかける前に教えてくれた。
「それで、せっかく図書館に来たのにすぐ帰るのは少し思うところがあって……そんな時に本を物色していたら興味深い本を見つけたので、それを読んでいました」
そう言ってひめは、持っていた本を俺に見せてくれた。
内容は……うーん、よく分からない。難しそうな学術書である。
「ごめんね、読書の邪魔をしちゃって」
やっぱり、探しに来る必要性はなかったのかな。
ひめの邪魔をしたみたいで、すごく申し訳なくなってくる。過保護かもしれないという負い目もあるからか、今日はやけにネガティブだ。
「いえいえ。本はいつでも読めますから、気にしないでください」
しかしひめは明るい。
いつものように嬉しそうな表情で、俺をまっすぐ見つめていた。
「陽平くんとのオシャベリの方が貴重な時間です」
「いやいや。俺とだっていつでも会話できるよ」
「そんなことないです。陽平くんとオシャベリするには、陽平くんがいる時しかできません」
……お世辞、ではないんだよなぁ。
ひめは素直だ。自分が思ってもいないことを、こんなに明るい表情で言えような人間じゃない。
良くも悪くも、この子は感情を偽らない。
そのせいで苦手なことに対しては無表情になるし、好きなことに対しては……表情が緩む。
そして今のひめは、すごくゆるゆるな笑みを浮かべていた。
だからこそこれは、本心だ。
「本よりも、わたしは陽平くんとお話しをしている方がすごく幸せなので」
邪魔とは思わないでほしい、と。
そんなことよりもこの会話の時間がすごく大切なのだ、と。
ひめはそう言ってくれていた。
先ほどまでは、たしかに本に夢中だった。
でも俺が来てからは、本に向けていたはずの意識が全てこちらに向いている。
その証拠に、ひめの視線が先程からずっと俺から外れない。
今のひめが夢中なのは――俺だった。
そっか。だからこの子は、俺が探しに来たと知って喜んでくれたんだ。
心から深い親愛の情。それが嬉しくない、わけがない。
「でもそれならどうして、わたしが空き教室に帰らなかったのか……という疑問が次は生まれてしまいますね」
ん? いや、そこまでは考えてなかったけど。
しかし、頭のいいひめは俺が至らない場所にまで思考が及んでいるようだ。
「陽平くんとの時間の方が本よりも大切なら、なぜ図書館で読書をしているのでしょうか。図書館で時間をつぶさずに、陽平くんのいる場所にまっすぐ帰るべきなのに――と、矛盾が生まれます」
「そ、そうかなぁ」
本が読みたい気分だった、とかその程度かと思っていたけど。
しかしひめは、このあたりに関してもちゃんと説明がしたかったらしい。
「当然、わたしも『陽平くんと一緒にいたいな』という思いました……でもふと思ったのです『そういえば今って、お姉ちゃんと陽平くんが二人きりだ』ということに」
「まぁ、たしかに二人きりではあったけど」
「はい。せっかくの二人きりという状況です……これは好機と思いました」
「好機って……もしかして」
「はい。二人が仲良くなる、絶好のチャンスだと思いました」
つまり、ひめが図書館にいたのはあの件が理由だったらしい。
俺と聖さんの縁談を、この子は忘れていなかったようだ――。




