20. 始まりは好奇心と母への感謝
「そういうわけで、私には一度だけ、どんなお願いも叶えてもらえる権利があるって事。ババ様は凄い人だからきっと助けてくれると思うの。ババ様自身ができなくても、きっと一緒に方法を考えてくれると思う」
休むことなく手を動かしながら話し終えたレイラに、ユリアはほうっと大きく息をついた。
まるで不思議な昔話を聞いていたかのような気分だった。
森の奥に住む何でも知っている薬師のおばあさん、なんて、まるで物語の中の不思議な力を持つ魔女みたいだ。
「レイラ様のお母様は、領主様が視察で回った街の平民だったと聞いていましたが、そんな不思議な育ちの方だったのですね。レイラ様は、どこかの森の中で育てられたとだけ聞き及んでいましたから、驚きました」
森の中と聞いていたから、どこかの別荘の管理人が面倒を見ているのだとばかり思っていた。
まさか母親の身内が引き取っているとは、誰も思いもしなかったのだ。
領主様の娘が育てられているのだから、と言う思い込みで勘違いしていたが、確かに誰からも「領主様の采配のもと………」などの言葉を聞いた覚えはなかった。
つまり、レイラは父親より育児放棄されていたため母親の身内が引き取り育てられていたこととなる。
と、なると。
領主は生まれてこの方、省みなかった娘の存在を、自分の都合のみで無理矢理愛する家族の元から連れ去ったこととなるのではないだろうか?
「なぜ、レイラ様は呼び出しに応じられたのですか?」
ふとよぎった疑問を、ユリアは抑える事ができずに思わず問いかけていた。
少なくともユリアならば、そんな父親の呼び出しになど答えたくないし、家族として過ごした娘がそんな理不尽にあったら、なんとしても抵抗しようとしたと思う。
まっすぐに自分を見つめるユリアにレイラはクスリと笑った。
「う~~ん。しいて言うなら好奇心だったんだよね」
「・・・・好奇心、ですか?」
予想外の答えにユリアがきょとんと眼を見開く。
「そう。家族の元を離れても自分の夢を追いたいと思ったお母さんが、その夢をあきらめてもいいと思った人に会ってみたかったの」
赤ん坊のころに森の家に引き取られたレイラは父親を知らない。
母親の話は、ババ様や母親と兄弟のように育った義父に聞く事ができたから、たぶん、どんな人かも良く知っている。
自分の命を懸けて生み出してくれた母親を、尊敬しているし愛していると胸を張って言える。
ただ、父親のことはほとんど何も知らない。
森も含めた近隣の土地周辺の領主であること、可もなく不可もない統治をしている事。
それくらいだ。
育ての親も個人的に話した事も会った事も無いと言ったから、レイラの知る父親は領民が知る一般的な領主様の情報でしかなかったのだ。
「まあ、まさかほとんど言葉を交わす機会もないままに、嫁がされるとは思ってなかったけど」
少し困ったように笑うレイラに、今度こそユリアは言葉を失った。
会った事の無い父親を知りたいという子供らしい思いは、結局、最悪の形で裏切られたことになる。
それでも、不遇の中でも腐ることなく、前を向いて歩き続けたレイラの強さを思えば、下手な慰めの言葉は逆に失礼に思えたのだ。
「それにね。一族から離れて歌うことを選んだはずなのに、その夢をあきらめてまで愛した人のそばを選んだお母さんの為に、一度だけあの人の言う事を聞いてあげてもいいかなって、思ったんだよね」
しかし、そんなしんみりした空気をぶち壊すようにレイラがあっけらかんと笑う。
「私がここにいるのは自分の命を懸けて産み出して、その後も心配して”最後の願い”を使って守ってくれたお母さんのおかげだから。お母さんはもういないから、代わりに最後の親孝行してみようかなって」
「そのために自分が家族から引き離されて、こんな不遇を買うことになったのにですか?」
「それだよ!もう少し気にかけてもらえるものかと思ったけど、送り出したらなしのつぶてなんだもん。さすがにびっくりしたよ」
けらけらと笑うレイラの様子は、どこまでも明るい。
そこに、露ほども父親に対する恨みのようなものは感じられなくて、ユリアは怒るよりも呆れてしまう。
ある意味、レイラらしい、どこまでも前向きでカラッとした言葉だった。
「それに、ユリアが一緒にいてくれたしね。1人だったらさすがにめげて、さっさと森に帰ってたと思うわ」
「・・・・・それは、むしろ私がいなかった方が良かったのでは」
ため息とともに、ユリアはかき混ぜっていた鍋を火から遠ざけた。
話している間にすっかり鍋の水分は飛んでねっとりとした緑の塊が出来上がっていたのだ。
「あ~~~、いい感じ。ありがとう、ユリア。代わるね」
鍋を覗き込んだレイラが、先ほどからすり潰したり混ぜ合わせたりしていた乳鉢を手に場所を変わる。
「それに、ね。今は本当に感謝してるのよ?ここに送り出されたこと」
まだ熱い鍋の中身を、少しずつすり潰した粉に混ぜ込みながら、レイラは笑った。
「最初は大変だったけど、森の中を自由に散策する日々は悪くなかったし………。
お母さんの気持ちも……分かったから」
ほんのりと頬を染めるレイラに何を思いだしているのか察して、ユリアも微笑む。
「そうですね………。悪いことばかりではありませんでしたね」
部屋に、少ししんみりとした空気な流れる。
居心地の良い沈黙の中、レイラがゆっくりとすり鉢の中身を掻き回す微かな音だけが響く。
しかし、その優しい沈黙は、レイラが最後の仕上げとばかりに小さな丸薬を投げ込んだ数秒後に破られた。
「ゴホッ!ゴホッ!!ちょ………レイラ様!何ですかこの匂い!!」
立ち上る真っ白い煙と共に広がる甘いような苦いような酸っぱいような、なんとも言えない香り。
「あ〜〜、そうだった。混ぜ込んだ瞬間の香りが1番やばいんだった!窓!窓開けててユリア!!」
「もうやってます〜〜」
刺激臭に涙目になりながらも、すり鉢をかき回す手を止めるわけにもいかず、どうにか耐えながら叫ぶレイラに、珍しくバタバタと音を立てて動き回るユリア。
「なんなんですか、この匂い!」
「特別なインクの素〜〜!温度が下がれば匂いも落ち着くから、もうちょっと耐えて」
ゴホゴホと咽せつつも、窓を開け終わったユリアは別の部屋に走っていったかと思えば、すぐに舞い戻ってきた。
その手にはどこから持ってきたのか大きな扇子が握られている。
そうして涙目で咽せながらも鍋をかき回すレイラの背後に立つと窓の方へ向かって全力であおぎ始めた。
「匂いが出るものを調合するときは、事前に報告してくださいと再三申し上げてましたよね!」
「ごめんなさ~~い。私も小さいころ一度だけ作り方を習ってただけだから忘れてたのよ~~」
「本当に昔からレイラ様は~~~」
ユリアの必死の努力の甲斐があり、ゆッくりと煙が窓の方へ流れていく。
少しずつ薄れる匂いの中、しばらくユリアの説教は続いたのであった。
レイラ曰く”特別なインクの素”が無事出来上がり、窓を開け放した調合室から逃げ出した二人は、お茶を飲んでようやく一息つく事ができた。
最も、せっかくの薫り高い紅茶も先ほどの騒ぎで受けた鼻のダメージのせいで、半分ほども嗅ぎ取れないのだけれども・・・・。
「そういえば、その薬師を生業にしている一族の方がどれほどの数いるのかは分かりませんが、本当に力になっていただけるなら、それは凄いことのような気がします」
本当に方々から相談者が訪れるほど高名な薬師なら、王城の中にも知っている人がいるかも知れない事に気づき、ユリアは目を輝かせる。
(今度つてをたどって、王城の医師か薬師の方に話を聞けないかしら?)
そんな事を思いながら、ユリアは最初に感じた疑問へと戻ってみる。
「でも、レイラ様。おばあ様はアルライドにいらっしゃるのでしょう?手紙を送るにしても往復するだけで一月以上はかかってしまいますが……」
それでは遅いのでは……、と心配そうに眉を寄せるユリアにレイラはにこりと笑った。
「そんなにかからないわ。うまくいけば、3日とかからずババ様に手紙を届ける事ができるはずよ。そのために、王妃様にお会いしてお願い事があるの」
「お願い、ですか?」
「そう。街に出る許可が欲しいのよ」
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