17. 立ちこめる暗雲
「では、マリオン様にけがはないけれど、村が襲われたのは本当なのね」
一時間ほどで戻ってきたユリアは、かなりの情報を持ち帰ってきていた。
確認してみれば、確かに聞いた通りの争いはあったそうだが、マリオンどころか直接マリオンが所属する部隊すらもかかわっていなかったため、余計な心労をかける事は無いだろうとレイラに連絡はなかったそうだ。
とはいえ、襲われた村は国境沿いでも明らかに自国側であった為、明確な領域侵犯となる。
今後の隣国の対応次第では、本格的な戦争になるだろうというのが大方の予想だった。
一通り話を聞き終えたレイラは、複雑な心境で口をつぐんだ。
マリオンが無事であったことは喜ばしいが、ほかにけが人が出たのは事実であり、今後も事と次第によってはもっと増えるだろう。
マリオンだって、今回はかかわりなかったけれど、次回はどうなるのかわからないのだ。
漠然としていた不安が、明確な形を持って迫ってきていた。
「なんで人は争うのかしら」
ぽつりとつぶやかれた言葉に、ユリアは返す答えを持たず黙り込む。
レイラとて、答えを期待してのつぶやきでもなかった。
そもそも。
この国は大国ではあるが、けして自分から領土戦争を仕掛けて大きくなってきた国ではなかった。
もともと豊かな領土があり、それを狙った他国が戦争を仕掛け、返り討ちにしていく結果、大国になったに過ぎない。
国民性は穏やかで朗らか。
困窮している国があれば、「出来る事があるなら」と助けの手を差し伸べるおおらかさと、それをなせるだけの国力も持ち合わせていた。
レイラがこの国に来ることになった原因の戦にしても、豊かさを妬んだ近隣国が手をだし、自国を守るための防衛戦であった。
結果、かつての同盟国の巻き込まれただけに等しいレイラの国は、ほとんど何の賠償を払うことも無く、今ではこの国の友好国として変わらずそこにあった。
「おおらかな対応が、少々やらかしても大丈夫と思われるのかしら?でも、過去に戦を仕掛けてきた国々は飲み込まれるか、辛うじて自治は許されても明らかな属国として扱われてるのに・・・・・」
「欲に飲まれた者の目は曇るのでしょうね」
「上の妄想に巻き込まれる民はたまったものではないわね」
2人で重いため息をつくと、レイラはとりあえず自分に出来る事をしようと立ち上がる。
「レイラさま、どちらへ?」
「薬草の在庫チェックをしてくる。いやな話だけれど、本当にどれだけあってもいいだろうし」
調合室へと向かいながら答えるレイラに、ユリアはひっそりと笑みを浮かべた。
どんな状況に置かれても、自分の最善を尽くそうとするレイラの前向きな姿勢をユリアは本当に尊敬していた。
この国に来たばかりで右も左もわからすくじけそうになった時に、レイラのまっすぐに伸びた小さな背中にユリアは何度も救われていたのだった。
「では私も、もう少し詳しい情報を集めてきますね。今この時期に隣国が動いた事情などもあるはずですから・・・・・」
愛すべき主人の「なぜ」に応えるべくユリアも動き出す。
「ん・・・・よろしく」
意識を半分薬草のことに飛ばしているレイラは、上の空で答えると隣室へと消えていく。
その背中を見送った後、手早く机の上を片付けるとユリアもワゴンを押して離れから足早に遠ざかっていった。
始まりは一地域の干ばつだった。
雨の量が減っている。
川の水量が少なくなった。
そんなささやかな報告から始まったそれは、うかうかしている間にあっという間に悪化していった。
生き物は、水無くしては生きていけない。
それは単純に人の話だけではなく、植物や家畜も同じだ。
水をやらねば作物は枯れるし、家畜は乾き死ぬ。
まず、影響が出たのは野菜や穀物などの作物。
収穫量が減り、値が上がるだけではなく、税を納められないと夜逃げを始める農民が増えてきた。
その段階で何らかの対策を行っていれば、まだどうにかなっていたのかもしれない。
だが、中央で暮らす王侯貴族にその深刻さが響く事は無く。
村が一つ消え、二つ消え。
気が付けば、辺境とはいえ大きな町ひとつが沈みかけていた。
ようやく中央が重い腰を上げた時には、一つの地域が飢饉の中にあった。
助けの手を伸ばそうにも、その頃にはじわじわと貯えをつぶしていた近隣の地区も、よそを救うほどの余裕はなくなっていた。
さらに、自身の腹が痛むのは嫌だとソッポを向いた貴族たちに、飢饉の波はジワリジワリと広がり続け、国の半分近くを飲み込むこととなる。
そこまで広がってしまえば、今更慌てたところで焼け石に水だ。
民は飢え、国力は下がり、王の求心力は地に落ち始めた。
そこでプライドを捨て、救いを求めて隣国へと頭を下げればよかったのだ。
だが、長く続いた国の肥大したプライドがそれを良しとせず、「無いならばある場所から奪えばいい」という結論をはじき出した。
どう考えても「愚か」の一言でしかなかったが、過去の輝かしい栄光に裏打ちされた無駄なプライドがその目を曇らせたのだろう。
少ない良識のある貴族達は反対の声をあげたものの、自領の地からの声は遠く、中央の王の元には届かなかった。
タイミングも悪かったのだろう。
実質国を纏めていた宰相が、その頃、急な病に倒れていた。
もともと高齢なのもあって体調を崩しがちになり、後進を育てようと仕事を割り振っていて、干ばつの発生に気づくのが遅れ、その対応に追われる中のことだった。
この状況でのんきに王都に侍っている貴族の声などろくなものではないというのに、もともと面倒ごとを嫌い楽に逃げがちな傾向のあった王は、やすやすと甘言に乗ってしまった。
「我が国が苦境の中、のうのうと甘露を享受している隣国より奪って何が悪い」と・・・・。
実質的な飢えに襲われていた民は、こうして、さらに戦争へと連れ去られることになる。
不満の声は出たが、教養も情報も制限された平民にとって、「お偉い方々」の言葉は絶対だった。
「お前らが飢えているのは隣国が悪い事をしているからだ。これは正義のための戦いなのだ」
おきれいな言葉でコーティングされた説明を繰り返されることで、不満の矛先は簡単に隣国へと向いてしまう。
基本自分たちの住む土地を離れない平民にとって、遠い地域で起こった干ばつの情報など噂話程度にしか広がらないのだ。
混乱の中大きな声を張り上げられれば、そちらが主流になってしまうのは世の常だろう。
この戦に勝てば、国は豊かになる。
明日の食事の心配もなくなる。
後の無い人間の集団心理は恐ろしい。
こうして、隣国は沈むしかない泥舟を出航させたのだった。
もちろん、そんな事とは関係なく理に聡い者たちはいる。
それは、国に縛られない商人達だ。
明らかな泥船に、乗る意味などない。
残るとしたら、腐りかけの果実の甘い汁をギリギリまで吸おうとする武器商人ぐらいの物だろう。
「あいつらはハイエナさ」
プカリとたばこの煙を吐き出して、年輩の男は言った。
「ああな、馬鹿な王様の治める国は大変だな」
たまたま酒場で知り合った男の話に、マイクは苦笑しながら酒瓶を傾け男のグラスを満たした。
レイラから薬を受け取った後すぐ、マイクは国境近くの町へと足を向けた。
その途中の宿屋で、隣国から逃れてきたという商人と知り合ったのだ。
いろいろとうっぷんが溜まっていたらしい男は、酒と共に話を聞けば、いろいろと話してくれた。
「俺は流れの一人者だから、すぐに抜け出せたけどな。家族持ちの奴らはそうもいかない。これから大変だろうけど、俺にはどうしてやることも出いないしな」
酔いとともに泣き出した男の話は、確かに当事者にしてみればたまったものではないだろう。
(治める上が違うと、こうも変わるもんかね?)
自国の生活を思うとしみじみ感謝したくなる。
「ちょっと前まではあんな国じゃなかったんだがな」
同じことを思ったのか男のボヤキは止まらない。
「しかし、これは、本当に戦が始まりそうだな」
「そうなるだろう。俺がいた時は、まだ一応任意だったけど徴兵が始まってたし、王都に向けて人が集まっていってたからよ」
赤い顔で男は机の上に突っ伏した。
「中には、飢饉の酷い地域から、ふらふらになりながら来てるやつもいたよ。兵士になれば明日戦で死ぬかもしれなくても、今日飢えで死ななくてすむからな・・・・・・」
小さくつぶやかれた言葉の悲惨さにマイクは顔をしかめた。
結局、ひどい目に合うのは底辺の平民なのだ。
「ああ、いやな戦だ。こうなったらさっさと始まって、さっさと終わってくれればいい・・・・・」
吐き捨てるように呟く言葉を最後に、男はついに眠り込んでしまった。
「ああ、飲ませすぎたな。まあ、部屋に放り込んどけばいいか」
赤い顔でピクリとも動かなくなった男にため息を一つこぼすと、マイクは残っていた酒をあおった。
どちら側にいたとしても、戦は嫌な気持ちを持ってくる。
それを飯の種にするには、マイクの感性は真っ当すぎたようだ。
「あれを持っていったら、さっさと王都に戻ろうかね」
レイラから格安で譲り受けた薬の数々を思い浮かべ、マイクは苦笑した。
あのかわいらしい少女の思い人が、傷つくことなく無事に戻ってくる手助けに少しでもなればいい。
「ダメもとで本丸にでも持って行ってみるかね。もしかしたら、レイラちゃんの思い人の噂でも拾ってこれるかもしれんし」
軽い気持ちで起こした行動に、度肝を抜かれることになるのは、もう少し後のことである。
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