13. 目を逸らし続けた心の中
茫然と固まるレイラを見かねたユリアが促して、一同でソファーに座り、出されたお茶で一息ついて。
(あ、鎮静効果のあるハーブティーだ〜〜。流石ユリア)
ようやくレイラは思考が戻ってくるのを感じた。
そうして、対面に座りお茶を飲んでいる、見慣れない姿をした見慣れた顔を、マジマジと観察する。
「第5王子様、だったんですか……」
ポツリと漏れた声は意識したものではなく、だからこそ真っ直ぐにマリオンの心に届いた。
その言葉の中に含まれた戸惑いや困惑‥‥そして、微かな恐れも………。
「………黙っていた事は申し訳なかった。君の態度で気づいていない事に気づくべきだったのに」
迷いながらも言葉を選ぶように話すマリオンに、レイラはそっと首を横に振った。
「いえ………。私も、自分の素性を黙っていたのですから、同じです」
現実逃避、だったのかもしれないけれど、見知らぬ青年と過ごす穏やかな時間を、レイラは確かに楽しみにしていた。
大切な人たちから引き離され、味方はたった1人だけ。
ユリアと2人で肩を寄せ合うように、息を潜めて暮らす日々。
レイラは、不遇から眼を逸らして笑って過ごすようにしていたけれど、そこには、理不尽を恨む心もやるせない切なさも確かにあったのだ。
だけど、マリオンと会っているあの場所では、レイラはただの『下働きの少女』だった。そう言葉にする事はなかったけれど、そう思わせるような行動はしていた。
森を自由に歩き、なんのしがらみもなく好きな事をして、たわいのない話に笑うことが出来る。
そうしてマリオンと過ごすのは、レイラにとってあまりにも穏やかで楽しい時間だった。
『いつか養父母のように心を預けることが出来る人と、共にささやかでも幸せな家庭を作りたい』
そんな風に思い描いていた、幼い頃の夢の世界への入り口のように感じていたのかもしれない。
そして、その時間を失うことが怖くて、意図的に自分の素性を隠した。
他にもいろいろな思惑はあったけれど、1番大きな理由はそれだと、レイラは、今ようやく自覚した。
それでも、言い訳させてもらうなら。
あの森の中で、ひと時を語り合う。
本当にそれだけが全てで、それ以上があるなんて思ってもみなかったのだ。
自分はこの国の国王の側妃であると、実感はなくとも自覚はしていたのだから。
他の人に眼を奪われるなどあってはいけない事なのだと、潔癖な少女の心は、雁字搦めに自己を縛り付けていた。
それに、詳しい素性は知らずとも、城内にある森を自由に散策できる騎士ならば、その未来は明るいものであるはずと、世間知らずのレイラでも簡単に想像はできた。
レイラの存在は、その未来を壊す物でしかないだろう。
だから、素性を隠した。
だから、名前以上の話を聞こうとしなかった。
だから、自分の気持ちを見ない振りをした。
知らなければ、泡沫の上に立つようなこの時間を、少しでも長く続けていけるような気がしていたのだ。
無くしたくない。
無自覚だった自分の心が、見ないようにしていたマリオンの背景を知る事で、浮き彫りにされた瞬間だった。
レイラの頬を、涙が伝っていく。
「なぜ、泣くんだ?」
「あまりにも自分が愚かで……」
問いかけに、レイラは、溢れる涙を拭くこともなく、ただ、マリオンを見つめた。
「貴方が好きです」
囁くような声だった。
それは息吹一つ聞こえぬような静かな部屋の中で、どこか凛とした響きを持ち放たれる。
「だけど、コレは持ってはいけない心です。生まれてはいけない想いです。だって………。だって、私は………」
そのまま、言葉にならずただハラハラと涙を溢すレイラをマリオンはじっと見つめていた。
そうして、フワリと笑みを浮かべたのだ。
心の底から嬉しそうに、瞳に愛しさを滲ませて。
「なんで、笑うの?」
あまりにも予想外のマリオンの表情に、レイラは、呆然とつぶやいた。
それに、マリオンは笑みを浮かべたまま答える。
「君があまりにも愛おしくて」
力強く真っ直ぐに響く言葉は、マリオンの気持ち、そのままだった。
「レイラが、俺が何者かを気づいてない事はすぐに分かったよ。そして、何かを隠そうとしていることも。それに………、一線を踏み超えないようにしている事も」
そうして続けられた言葉に、レイラは息を飲んだ。悟られていたことも、それを許容されていたことも驚愕だった。
驚いたように自分を見つめるレイラに、マリオンは少し人の悪い笑みを浮かべた。
「こう見えて、人の感情には敏感なんだ。そうでなければ、生きられない場所で過ごしてきたからね。だから、最初の頃は、俺の事を知らない、知ろうとしないレイラの存在を都合よく思ってた。とても気楽で、息がしやすかったから」
人の感情に敏感だからと言って、器用に立ち回れるかは、また別の問題だった。
むしろ、感情を読み取れるからこそ、不用意な自分の言葉で誰かを傷つけてしまうのが怖い。そんな少年だったマリオンは、黙り込んでしまう事の方が多かった。
幼い頃から騎士を目指したのは、王位を狙う気はないというアピールとともに、言葉少なくとも剣の腕さえあれば認めてもらいやすい世界だと、当時の剣の師匠に教えてもらったからだ。
そうして飛び込んだ騎士の世界は、言葉の海を泳ぐようなあの場所よりは、思惑通り、幾分息がしやすかった。
だけど、他の見習い騎士達と同じように泥に塗れて過ごしてなお、『王子』と言う肩書はどこまでもマリオンに付き纏った。
たわいのない会話の筈が、いつの間にか薄暗い闇を滲ませ、実力で勝ち取ったはずの勝利や地位ですらヒソヒソと揶揄される。
もちろん、そんな事ばかりではない。
ちゃんと心に寄り添ってくれる存在も居ると知っていたけれど、それでも些細な積み重ねは心を疲労させていった。
そんな中、ただ「騎士様」とマリオンを呼び、真っ直ぐにこちらを見つめてくるレイラの存在は、驚きとともに深い安らぎを与えてくれた。
森の木々の影。
レイラの前でだけはただの「騎士のマリオン」でいられたのだ。
疲れを見せれば心配して手を差し伸べ、細やかな出来事にともに喜んでくれる。
裏のない素直な言葉は、その眼差しとともに真っ直ぐに心の中に飛び込んできて、気づかぬうちに根づき、ゆっくりと育っていった。
月の輝きが目に止まれば揺れる柔らかな髪を思い出し、紫の色を見れば楽しげな笑い顔が浮かんだ。
ついには傷薬の香りに、それを塗り込んでくれた細い指先の感触を思い出すようになった。
日常のささやかな全てが記憶の中のレイラと結びつくようになり、恋を自覚した頃には引き返せぬまでになっていたのだ。
あの存在を、手放す事などできない。
共に笑い合う楽しさをを、ただ沈黙の中寄り添い過ごす心地よさを忘れて、今更1人で生きていけるはずがなかった。
その気持ちはレイラの正体を知って尚、揺らぐ事はなかった。
むしろ、流されるように生きてきた自分の中にそんな強い感情があった事に改めて気づき、驚いたくらいだ。
そして、レイラの不遇な環境を知り、心の底から歓喜した自分をろくでなしだと思いながらも、弾む心を押さえる事などできなかった。
本来なら、自分には届くはずのない存在だった。
義理とはいえ母と息子なのだ。
ただの臣下に下賜するのとは訳が違う。
だが。
レイラが幼い頃に後宮にあげられ、顧みられぬ日々は誰もの知る所。
明らかな「白い結婚」。
それは、ひとつの可能性を夢見るには、充分な条件だった。
「レイラの不幸な日々はこの為に有ったのだと、そう喜びと共に思い出せる未来にきっとしてみせる。どうか、オレと同じ気持ちだと言うなら、この手をとってくれないか?」
差し伸べられたその手を、レイラはまだ涙の残る瞳でじっと見つめた。
………本当に私は、この手を掴んでも良いの?
読んでくださり、ありがとうございます。
レイラの心の中は結構ぐちゃぐちゃになっておりました。
そして、改めて読むとなんだか文章が伝わりにくい気が………。
後にちょいと改変するかもしれません。
マリオンは先に知っていた分、まだ心の余裕がありますね。きっと、その結論に至るまでいっぱい考えたんでしょう。




