ひとさらい~ある王の独白~
「お前は莫迦か」
言葉のかぎり罵ってやりたかった。しかしその権利は彼女のもの。
そして彼女にとっては自分も、目の前で項垂れている男と同じ“ひとさらい”の範疇に入るに違いない。
彼女の、冷静すぎていっそ冷淡にすら聞こえる声が耳の奥で蘇る。
“自分たちの望みは叶えろと強いておいて、わたしの望みは叶えてくれないのですか”
そう、自分もこの男も、彼女にとってはたいした違いはないのだろう。
最悪か、最悪に近いかの、わずかな違いしか。
こちらへ呼ばれたのは、ほんの娘にみえる女性だった。
こちらの女性たちに比べ、頼りなく見えるほど華奢な様子から、年若い娘を呼んでしまったのかと罪悪感すら頭をかすめた。
こちらの事情に付き合せてしまうが、可及的速やかに元居た場所へ帰してやろう、そう思っていた自分は、酷く冷静な声に驚いた。
彼女はこちらの事を人浚いと言い捨て、こちらの話を拒否していたのだ。
それを言われると返す言葉もなかったが、彼女のような存在が必要なのは事実。
ちらりと胸を掠める罪悪感など見ないふりで、彼女には帰還と引換えに協力を取り付ける。
我ながら吐き気のするような振る舞いだが、それを呼吸するような自然さで為すことが出来る。
その事実にもまた吐き気がした。
そのような思いは被り慣れた笑顔の仮面で綺麗に押し隠す。
もう慣れた事だった。
彼女をこちらへと呼んだ、高位神官である従兄弟の感情に気付いたのは、かなり早い時期だったと思う。
誰にでも冷静な表情しか見せない従兄弟が、誰に対しても深入りしない従兄弟が、誰かに感情を向けるのを初めて見たのだから。
ただ、吐き出す言葉のことごとくが鋭利に尖っていて……それらで彼女が傷つかねばいいのにとは思っていた。
従兄弟は、神官という立場を離れれば酷く不器用な人間だった。
自分の気持ちも上手く言葉で伝えられないような。
つきあいの長い自分などはそれを知っているから、鋭利に尖った言葉を上手く避けて、その真意を読みとる事も出来るが、従兄弟をよく知らない人間にしてみれば、触れれば切れるような言葉は凶器にしかならないだろう。
それを自分は知っていたのに。
そして……恐ろしく彼女への執着を強めていく従兄弟を、知っていたのに。
王宮で彼女を保護している時だった。
彼女は毒を盛られ続けていたらしい。
自分で料理を作るなどして、彼女は用心していたけれど、相手は狡猾であり、また彼女一人で防ぎきれるものでは、なかった。
毒に倒れた彼女を抱きあげた従兄弟は、普段の冷静さなどどこかへ置き忘れていた。
彼女の手をとり何度も彼女の名を呼んでいた。
治療の邪魔だと医師である叔父に部屋を叩きだされるまで、彼女の傍に付き添っていた。
知らせを受けた自分がかけつけた時、見たもの。
それは閉じられた扉の前で、凍るように冷たい目を、物騒に光らせた従兄弟だった。
彼女を害そうとした者たちへの、従兄弟の報復は苛烈を極めた。
幾つかの家の当主がすげ変えられた。従兄弟が特段、政治的な権力を持ってはいない。
けれど神殿が大きな力を持つこの国で、高位の神官である従兄弟の発言は大きな影響力を持つ。
首謀者たちが何を考えこのような事件を起こしたのか。
それは均衡を図るためとはいえ、他の世界から人を呼び続けることへ疑問を持つ者も居るのだ。
また呼ばれた者に特別な力があると思いこみ、手に入れようとする者も後を絶たない。
そして今回に限っては、こちらへ現れた時の彼女の印象があまりよくなかったらしい。
それらが合わさり、彼女を害そうとする方向に動いてしまったのだ。
被害者である彼女への説明は、彼女自身により拒まれてしまった。
いずれあちらに戻るのだから、必要はないと。
彼女ははじめから帰るのだと言っていた。
それを曲げたのは自分たちだった。
呼ばれた人がこちらへ留まるももとの場所へ帰るのも、それは彼女たちの心ひとつだった。
不均衡なこの世界のため、他の世界から人を呼び始めたとき。
呼ばれた人は、それはそれは大事にされた。
いつ頃からか、呼ばれた人はこちらの人間と恋に落ち、こちらへ残るようになった。
傍に居て、ずっと大事にされるのだ、そういう感情に落ちるのもある意味当然だろう。
呼ばれた人が選ぶのは、神官や王族、あるいは警護の者など……傍にいた人間が殆どだった。
そして彼女らが選んだ人間のことごとくが、のちに名を残すような人間になったことが……ある意味それ以降の呼ばれた人の不幸だった。
彼女らには特別な力があると誤解されたのだ。
呼ばれ、役割を終えた彼女が攫われる事態が起きた。
権力を得ようとした者が起こした事件だった。やがてその男が捕えられたが、男はこう叫んだという。
その女は偽りだ、何の力もないじゃないか、と。
彼女は見るも無残な状態で発見されたという。
実のところ、彼女たちには特別な力は何一つない。
彼女たちの役割は、均衡を図るための要になる、それに尽きた。
だから彼女たちを得ても、特別な力を手に入れられるわけでは、ない。
この事件以降、彼女たちの身を守る事には神経を尖らせる事になる。
帰ると望んだ者は、まだよい。婚姻すると決めた者も。
事情があってあちらに帰らないと決めた者には、不用意に手出しできないような者との婚姻もしくは、後見を立てる事をすすめた。
それらもやがて変質して、彼女たちを引き留めるために、強引に婚姻をすすめた例もあった。
今回など、まさにそれだ。
滅多に何かを望んだりしない従兄弟が望んだ事。
それを叶えようとしたのが間違いだったのだ。
従兄弟の妻になった彼女から、会いたいとの連絡を受けた。
知らせを持ってきたのは、医師である叔父。彼は時々彼女のところへ顔を出しているという。
不器用な従兄弟だけであれば心元なかったが、穏やかで気配りの出来る叔父がいるなら、そう心配する事にはならないだろう。
そう楽観的に思っていたから……彼女の言葉には声も出なかった。
彼女は叔父とともに王宮を去った。
もう従兄弟の屋敷には戻らないと言って。
舌うちしたい気分のまま、会見した部屋の、脇の部屋へと飛び込んだ。
そこは控えの間で、普段であれば警護の者が控え、侍従もしくは付き添いの者がいる部屋だった。
しかし、今そこにいるのは、顔を蒼褪めさせ、項垂れた従兄弟だったのだ。
侍従に、陛下と呼びかけられたが、それには手を振って答えた。
侍従は黙って従う。
扉が閉ざされ、部屋の中は自分と従兄弟の二人だけになった。
「今の話を聞いていたのか。それなら話は早い。彼女とお前の婚姻は解消だ。彼女自身も死んだことにする。彼女の望みのとおりに」
自分の言葉に従兄弟は顔をあげた。縋るような光が目に浮かんだが、すぐに目を伏せ、彼女の望むとおりにして下さいと答えた。
その全て諦めた様子に、頭に血が上った。
「お前が彼女を望んだんだろう!なのになぜ、彼女を傷つけるような事をしたんだ!」
従兄弟はゆるく首を振った。疲れたように息を吐く。
「傷つけたいはずがないでしょう。けれど、どうしても彼女を前にすると何も言えない。今日まで結局、碌な事を言えないままできてしまいました」
せめて謝罪をしたかったのだと従兄弟は呟いた。
「彼女を私から解放しなければ、私は彼女を傷つけ続けるでしょう。だから彼女の望むとおりに婚姻を解消して……子どもが産まれるのだから、静かな土地で信頼できる者をつけようと思っていたんですよ。ですが……きっと受け取ってはくれなかったでしょうね」
私が贈った物は全て屋敷に残して行きましたから。
そう力なく呟く従兄弟に、厳しい言葉を浴びせた。
「それだけのことをお前がしたからだろう。彼女に会ってからこれまで、お前は何をしていたんだ?」
「……私は何もしなかった、そうですよ」
彼女に言わせればねと従兄弟はある女性の名をあげた。
従兄弟の亡き友人の妻で、従兄弟が社交に出る時にいつも連れている女性だった。
何度か言葉を交わした事もある。煩い縁談を退けるために、互いに利用しているのだろうとすぐに気がついた。従兄弟が結婚したあとも、社交の場には必ず彼女を連れていたが、妻となった女性を宝物のように隠しておきたいのだろうと……自分は気にも留めなかった。
噂のように、従兄弟と彼女の間に、特別な感情など無いとよくわかっていたから。
「何もしなかった、とは」
「言葉通りです。優しい言葉をかけることも、労わることもなかった。どうしても言えないまま……それでもいつかはと思っていました。時間はあるのだからと。すべては私が招いたことです」
「お前はそれでいいのか。彼女と二度と会えないんだぞ」
「いいも悪いもないでしょう。それが彼女の望みなら叶えるだけです。私は彼女の一番の望みを握りつぶして、自分の傍に縛りつけました。それならせめて他の望みを叶えるしかないでしょうね」
二度と自分は彼女に会わない。関わりをもたない。そう彼女が望むなら。
そう呟きながらも、従兄弟の肩はこわばり震えていた。
間違えたのは自分も同じ。そして謝罪すら拒まれ……彼女は去った。
いつか再び、会う事はあるのだろうか。
「……彼女は帰りたがっていました。今は道は閉ざされ、繋げる事は叶いません。いつか道が安定したら……その時は彼女に伝えて下さい。帰る事が出来ると」
従兄弟は立ち上がり、部屋を出ていった。
歩き去る様子はいつもとまるで変わらぬもので、先程の嘆きや悲しみを微塵も感じさせないものだった。
誰も居なくなった部屋で、椅子に腰かける。
彼女は去り、従兄弟は自分の望みを手放した。
彼女の望みは遠からず叶う。けれど、叶ったところで……誰にも喜びをもたらしはしない。
それをとても悲しいと思ったのだ。
子が産まれる彼女のために。
これからも望まぬ地で生きる彼女のために。
せめて穏やかな日々が訪れるよう、願った。
END




