第17話 ジークリンデ、笑顔の練習
「ジークリンデ、お前表情が怖いんだよ。リリィが怖がるのも無理ないって」
「…………そうか」
昨日ヴァイスに言われたことを思い出す。
…………私の顔に可愛げが無いのは承知していた。恐らくトントン拍子で出世したことに対するやっかみもあるのだろうが、職場でも仏頂面だの無愛想だの散々言われてきた。その手の揶揄は慣れたもので、今更反応する気にもなれない。
だが、想い人に言われると流石にショックだった。
「…………笑顔か」
部屋の鏡の前で、頬に指をあててみる。
「…………」
口は笑っているのに目は全く笑っていない、見世物小屋のピエロみたいな不気味な顔の私がそこにいた。
「…………そもそも面白くないのに笑えるものか」
私は首を振ると、支度をしてヴァイスの家へと向かった。今日は朝から子守を頼まれている。
◆
「りりーおえかきするー!」
リリィがドタバタとリビングを走り回ったかと思えば、紙と鉛筆を持ってテーブルに齧りついた。
傍に寄り手元を覗いてみる。子供ならではの大胆な筆致で紙に何かを描いているが、それが何なのかは皆目検討もつかなかった。新種の魔物か何かだろうか?
「それは、何を描いているんだ?」
「じーくりんでおねーちゃん!」
「…………そうか」
新種の魔物だと思っていたものはどうやら私らしい。しかしその情報を踏まえた上で改めて覗き込んでみても、やはり分からない。どこが頭でどこが身体なのか。私は赤髪だが、その絵に赤色はまだ使われていないように見えた。
この独特な感性を持つハイエルフの少女は、ヴァイスの娘らしい。
────「ヴァイス・フレンベルグと名乗る男が会いたがっている」と連絡があった時は、流石に驚いた。
『ヴァイス・フレンベルグ』と言えば10年前から魔法省が探している男の名で、それは門兵にも周知はされている筈なのだが、門兵も忘れてしまうくらいには彼の存在は風化していた。未だに熱心に彼を探していたのは、恐らく私しかいなかったのではないか。
なにせ10年だ。10年という歳月は、魔法省の新人職員だった私を長官補佐にするほどには長い。彼が死んだとは考えられなかったが、もう帝都には戻ってこないのではないかと不安にならなかったと言えば嘘になる。そういう意味では、彼のことを考えなかった日はこの10年で1日も無かった。長官補佐に任命された際も、特に喜びはなく「これでもっとヴァイスを探せるようになる」と考えていた。
けれど、ヴァイスは見つからなかった。
実家フロイド家の財力と魔法省長官補佐の権力、さらに陰で組織している私兵の武力。それら全てを総動員しても、この10年間彼の噂は全く集まらなかった。目撃情報のひとつすら私の耳に入ってこなかったのだ。一体この10年奴はどこで何をしていたのか。
いい事ばかりではないのだろうな…………と私は予想する。
何故なら学生時代のヴァイスは別に優等生ではなかったからだ。寧ろ、その逆と言っていい。成績こそ私を差し置いて主席だったものの、その素行はお世辞にも良いとは言えなかった。
…………思い返せば、ヴァイスとの記憶ばかり蘇ってくる。魔法学校において中心人物では無かった私の、学生時代の思い出と言えば、そのほとんどがヴァイスと共に行動した時のものだ。
ヴァイスは当時から『帝都の歴史上1番の天才』などと持て囃されていて、その気安い性格も相まって学校では人気者だった。常に人に囲まれていたヴァイスは、基本的に1人で過ごしていた私とは正反対の存在だった。
「お前、眼鏡外したら可愛いじゃん。似合ってないぞこれ」
────あれはいつだったか。
場所は魔法学校の大図書館だったと思う。当時の私は暇さえあれば大図書館に籠り魔法書を読み漁っていた。知識を蓄えるのは好きだったし、主席で卒業するよう親に言いつけられていた事も影響していたと思う。
ああそうだ、そういえば私は最初ヴァイスの事が嫌いだったんだ。ヘラヘラしているのに、私より成績の良い唯一の男。ヴァイスの存在は私にとって大きな目の上のたんこぶだった。嫉妬も混ざっていたように思う。
「髪型ももっと気を使ったら良いと思うけどな。勿体ないぞ」
そんなヴァイスが、ある日大図書館にやってきたかと思えば、私の眼鏡を持ち上げそう言ったのだ。2人きりで話をするのはこの時が初めてだったのではないか。
「…………うるさい。眼鏡を返せ」
「お前ずっと勉強してるよな。遊びとか興味ないわけ?」
ヴァイスは私の眼鏡を手で弄びながら言った。
「遊びだと? 下らん。私にはそんな事をしている暇はない」
「ふうん。ジークリンデ、お前クラスの奴らに『魔法書の虫』って言われてるんだぞ」
「事実だろう。構わないさ。それよりはやく眼鏡を返せ」
「ほいほい…………また気が向いたら来るよ」
ヴァイスは眼鏡を返すと、軽い足取りで大図書館から出ていった。私はその背中に色々な感情の籠もった言葉を吐き捨てた。
「…………二度と来るな」
結局それからヴァイスは割と頻繁に大図書館にやってくるようになり、共に過ごす時間が増えた私達はたまに一緒に帰るようになり、いつの間にか私はヴァイスを好きになっていた。




