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56.恋を識る少女は悩む

「……ね、トウカ様。想い合う方と一緒になれる気分ってどんな感じかしら」


 話題の区切りで、フロレンティナは湯気を立てる紅茶を一口含むと物憂げに呟いた。

 エドガルドの妹であるアンヘリタとの事情もあり、王太子とフロレンティナの関係性について、灯花は今も気になっていたのだ。


「フロレンティナ様はその、王太子殿下のことは……」

「わたくしね、王太子殿下が初恋でずっと続いてるの。もう何年かしら」


 思わず灯花が言いよどむと、自嘲するように目を細めたフロレンティナがはっきりと言葉にする。


 アンヘリタよりひとつ歳下のフロレンティナが王太子と出会ったのは、彼らが婚約内定という関係になってからだという。

 やがて王城にあがることになるアンヘリタのため、生家の爵位と歳が近い同性の友人がいたほうがいいと、王太子の側近候補と揃って引き合わされた時のことらしい。


「アンヘリタ様は素敵な方なのよ。優しくて、強かで……でも可愛らしくて。慣れない環境で自分も大変なはずなのに小さなわたくしの面倒をみてくださって……なんとか真面目にやれることだけが取り柄で面白みの欠片も無いわたくしとは正反対」


 やがてアンヘリタが病に伏せ、その死が知らされて暫く経つと、王太子の婚約者候補として新たに名が挙げられたのがフロレンティナだった。

 アンヘリタを失った王太子の憔悴は凄まじく、外ではなんとか王族としての仮面は保ち続けているものの、改めて他国の王族と添わせるのは厳しいとの判断がされた。

 もともと彼の代は国内貴族と縁付かせる方向だったのもあり、事情をよく知るフロレンティナが選ばれたのである。


「だからわたくし、アンヘリタ様のようになろうと思ったのよ。そうしたらあの方にはわたくしの無理がよく見えたのでしょうね……アンヘリタのようにならなくていい、君は君のままでいいって……おっしゃったの」


 あの強く優しいアンヘリタのようにではなく、フロレンティナのあるがままで良いと言ってもらえたことが心から嬉しかった。


 アンヘリタの持つ不思議なカリスマでなくていい、フロレンティナには周囲をよく観察して集団のほどよいバランスを探れる優れた視野がある。

 アンヘリタの持つ奔放な強かさでなくていい、フロレンティナの実直さは得難い美徳であり、国内外の社交に役立つことだろう。

 そうしてフロレンティナが領地を愛する心を、これからは国土全体へ向けて欲しい。

 だから無理して変わろうとしなくていい、と。


 アンヘリタを想う寂しげな瞳でそう語る王太子に、フロレンティナは恋に落ちた。

 大切な者の死に深く傷ついた状態でも、彼はフロレンティナの努力を見てくれていた。無理をして壊れそうな彼女を案じてくれた。

 だから彼の心にアンヘリタが残ったままでいい、フロレンティナはただそんな王太子を支えたいとだけ願ってここまでやってきた。


「それでも結局……わたくしは欲深くなってしまったの。わたくしもあの方に愛されたいなんて今更思ってしまって。ごめんなさいね、急にこんな話を」

「いえ、いいえ……私にお話してくださったことが光栄です」


 あえて単純化してしまえば、彼女のそれはただのマリッジブルーなのだろう。フロレンティナの長きにわたる婚約期間は終わりに近づき、婚礼の日が二ヶ月後に迫っているのだ。

 知り合ったばかりでまったく異なる価値観を持っている灯花だからこそ、その胸の内を晒せたのかもしれない。


 灯花は王太子のことについて、王族としての仮面を被った姿でしか知らない。そしてエドガルドは彼のことを高く評価している。

 きっと王子として素晴らしい人なのだろう。だからこそ、この可愛らしい人にこんな顔をさせるなんて……との憤りが正直に言えばある。


 しかし問題はそう単純ではない。王太子と公爵令嬢、彼らはもともと国を背負って立つことを定められた存在なのだ。自らの強い意思を以て、感情と立場の折り合いをつけなければならない。

 だからといって簡単にその折り合いがつけられるものでもない。その葛藤は灯花には想像もできないほどの苦痛なのだとも思う。



 もう一口紅茶を飲み、気を取り直したフロレンティナによって別の話題に誘導される。

 実は当初ユイを保護していた高位貴族とは、エストラドゥリア公爵家のことだったらしい。王太子に会いに行っていたユイは後ろのフロレンティナを一切気にすることもなかったので、意外な縁に驚いた。


「我が家に来られた際にご挨拶はしたのですけれど、わたくしはどうも避けられていたようで……」

「そう、ですね……そんな気がします」


 ユイは灯花のことを利用する気満々であったが、フロレンティナを利用することは避けたのだろう。何らかの企みが露見したときのデメリットが大きすぎる。何よりも聡いフロレンティナに色々と悟られぬよう、出来る限り距離を置きたかったのだと今なら推察できる。


「更にセイジョユイ様は我が国の言葉に不自由でいらしたでしょう? ですから漂流人の方とこんなにしっかりとお話ができるなんて嬉しいの。せっかくだから故郷のことを色々聞きたいわ」

「それはとても光栄で……私もフロレンティナ様とお話ができて嬉しいです」


 現代日本的な舞台――オペラとは違った音楽劇であるミュージカルや、歌舞伎などの伝統的なもの――の話題から始め、そこから服飾の話題などにも広がった。

 兵庫の某歌劇団のような女性が男装する舞台、歌舞伎の女形のような男性が女装する舞台について、フロレンティナは心の底から驚いていたように見える。彼女にはフィクションですら異性装の概念が無かったらしい。

 もしかしたら庶民層ではある程度許容されているのかもしれないが、貞淑さの求められる高位の女性――特に王族に属する彼女のような人にとっては遠い世界なのだろう。


 そうして会話をしながらも灯花はフロレンティナの心を案じる。

 しかしその後に、あれ以上彼女の事情に踏み込むことのできるタイミングが訪れることはなかった。

予想以上に文字数が増えているので18時にも更新します。

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