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55.葡萄酒と蜂蜜酒

本日二度目の更新です。

5日16時にも投稿があります。

 観劇の翌日、フロレンティナに御礼状――まだ字の練習中のため代筆をハウスキーパーに頼んだもの――を送り、更に善は急げとカイトへの支援の手配も進める。

 そうして灯花は慌ただしいけれども穏やかな日常に戻る……かと思えたのだが、そこから更に翌々日にはエストラドゥリア公爵家のコンサバトリーにその姿があった。


 春真っ盛りの今は、陽の差す暖かな部屋に季節通りの花と緑があふれている。

 公爵家にいくつかあるコンサバトリーの中でも特に落ち着いた設えのこの部屋は、フロレンティナが友人などの個人的な客をもてなすためによく使われるものだと、案内役が誇らしげに解説していた。

 あまりの畏れ多さに緊張を隠せぬ硬い笑顔で、橙色のデイ・ドレスを身に纏った灯花は本日も麗しいフロレンティナと一対一で向き合っていた。


「決して脅かしたいわけではないの、どうか楽になさって。ただ、貴女と好きなもののお話をしたいだけなのよ」


 部屋に咲き誇る春の花のようなフロレンティナの微笑みは王城で見た麗しい大輪の花ではなく、早く秘密を打ち明けたい少女めいた可憐なものだった。

 人心掌握のための笑顔の使い分けが上手い……と勉強になりつつ、かつて同じ台詞を聞いた時と同じ程度には他意が無いという表現に灯花の肩の力が抜ける。つまりは、本当に作品のファントークがしたいだけなのだろう。


 本題にすぐ入ってもいいところだが、先に課題(・・)を済ませておくことにする。

 実は招待状と共に届けられたフロレンティナからの手紙には、変化した髪の色について聞きたいと書かれていた。

 昨年の王城時代、ユイの後ろで影のように控えていた灯花の容貌を覚えていたとは流石だと驚きつつも、どう返答したものかをエドガルドと一緒にひたすら悩むことになったのだ。なにせ、何故なのかは誰にもわからないので。

 結局のところ、今回は「何もわからない」という事実を話すしかないとの結論になった。辺境伯領に行けば、街の人も知っている程度の事が全てである。


「まぁ……辺境地方の守護色にはそんな意味もあったのですね」

「あくまで推測未満のものなのですけれど……。あの、守護色って他の場所にもあるのですか?」

「えぇ、我が国では辺境伯家で受け継がれているものが有名ですが……旧帝国にルーツを持つ国には特にそういった地がありますわ」


 他国にも辺境伯領のような魔物の発生が多い場所というのは存在するため、そこのことだろうと当たりをつける。夜会の騒動の元となった西の国にもあるということで、後でエドガルドに聞いてみようと頭の隅に書き込んだ。


 その後は、自然に舞台と歌姫ルシアの感想へと話題が移り変わっていく。


「男性役者の歌声も迫力があって格好いいと思うのですけれど……やっぱりルシアさんの歌が一番素敵だとわたくしは思うのよ」

「わかります。他の役者の方々も本当に素敵だったのですが、ルシアさんの歌声は飛び抜けて印象に残りましたから」


 どこまでも伸びるのに儚さの印象が強く残る不思議な歌声は灯花も気に入ったため思わず盛り上がり、ふたりのお茶とお菓子が進んだ。

 恋を尊ぶ何も知らぬ少女の歌は可愛らしく、結ばれることが叶わぬと知った悲哀の歌は胸をうつ。多感な年頃の少女の感情を見事に表現しきっていたのだ。

 しかし周囲の令嬢はもちろんルシアの歌声も評価するが、どちらかといえばヒーローの役者ファンが多いため、なんとももどかしい思いをしていたという。


 フロレンティナはこういった些細なことについて、家の格を使って周囲に押し付けないというバランス感覚を持ち合わせている。だからといって彼女が軽んじられているわけではなく、派閥の上位者として正しく多くの令嬢の取りまとめを出来ているように思える。つまりはほどよい関係を築けているのだろう。


 ちなみに一階席にも及ぶ風の魔石による演出だが、直に体験してみたかったフロレンティナはホールを貸し切ったらしい。本当は他の客と共に楽しみたかったのだが、警備上の問題で許可が降りなかったのだそうだ。

 公爵令嬢は大変だなと思いつつ、今は自分も似たような立場であることに灯花はまだ気づいていない。

 

 会話の流れで、席にて供されたスパークリング・ワインが美味しかったことについて雑談のひとつに加えたところ、フロレンティナの反応が妙に良かった。

 あれは公爵領で作られているものだが非売品のため、辺境伯家の王都邸にいくらか送ってくれるというのでお返しの品を考えなくてはならない。しかし脳内にある領地の名産品リストを漁るものの、釣り合いが難しいのではないかと悩む。


 なお、後日届いた特徴的な形のボトルを見たエドガルドが仰け反っていた。

 王家に献上されるか、公爵家が催す個人的なパーティーで振る舞われる以外では滅多に見られないものらしい。同志が得られて嬉しい公爵令嬢の本気が怖い。

 フロレンティナからすれば、何も知らない状態からちゃんと特に良い物を言い当てた灯花に対する賛辞みたいなものでもある。もちろん、あのスパークリング・ワインがフロレンティナの好物であることは言うまでもない。


 そこでエドガルドの助言を受け、最終的に同ジャンルの返礼品として辺境伯領で少量生産されている蜂蜜酒(ミード)を贈ることに決めた。

 辺境伯領のミードは希少性があるものの、比較するとブランドの格は落ちる。しかし家格の差を考えると丁度良いとのことで、貴族社会は大変だと灯花は身に沁みることになったのである。

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