50.劇場とは社交場である
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貴族の観劇とは社交の一種である。
瀟洒な建物は火属性の魔石を使用した灯りによって煌々と照らされ、夜の王都にその存在を主張していた。
そんな場へ向かう灯花は真紅のイブニングドレス、エドガルドは黒のロングテールコートの装いだ。
本日の灯花のドレスは、綿とオーバースカートで軽く膨らませたバッスルスタイル。美しい座り方についてはライムンド夫人に徹底的に仕込まれたので、それをうっかり忘れないようにしなければならない。
そしてエドガルドのテールコートは灯花の故郷で言う燕尾服に似たものではあるが、別にいわゆるホワイトタイの形式ではない。そもそも世間的に黒がフォーマルというわけではないし、首元はボウタイだと決められているわけでもない。今の彼もクラヴァットのようなタイを着用している。
なんにせよ体格の良い彼によく似合うもので違和感はない。灯花からすれば眼福だ。
「礼装のエルドは格好いいのに、見る機会が少ないのが残念です」
「なら、灯花の夜会用のドレスも増やそうか」
「あら藪から蛇が出てきました」
生粋の貴族であるはずのエドガルドは、どちらかというと己は戦士であるとの自意識が強いため、動きにくい礼装はあまり好まないという。灯花に至っては言わずもがな。
お互いに微笑みながらの話題は、礼装に対する本気の遠慮というなんとも情けないものである。遠巻きにされているため、聞こえる範囲に他人がいないのが幸いというべきか。
最近姿を見せたばかりの辺境伯領の聖女と、社交の場へ出る機会が少ない辺境伯。周囲の視線を集めながら、エドガルドの知人に軽く挨拶をしつつもふたりでゆったりと歩く。
積極的に社交をする必要はないが、存在は示しておかねばならない。珍しく姿を見せたふたりの仲睦まじい様子が、明日には各所で噂されることだろう。
この後に落ち着くのがエストラドゥリア公爵家のボックス席なのだから、話題性は更に高くなるはずだ。
流れでフロレンティナの誘いに乗ってしまったが、それより辺境伯家の立場に問題が無いかは灯花の気になるところだった。
遅まきながら前日にエドガルドに確認しておくと、次期王太子妃である彼女であるなら許容範囲であるという。相手が議会派の高位貴族の場合は、辺境伯家に対して何らかの思惑がある可能性が高いので慎重になったほうが良いということだった。
だからといって王家派ばかりと付き合うのも余計な疑念を招いてしまう。エドガルドの交友関係と合わせて、その辺りの検討も重ねておかねばならない。
席に落ち着き、個室専用の給仕からスパークリング・ワインを受け取って開演を待つ。
灯花は日本に居た時ですら観劇の経験がほぼ無いというのに、いきなりこんな席に来ることになったので心構えがわからない。
どうにも落ち着かないでいると、隣に座るエドガルドから笑いが漏れた。彼は特に好んで劇場などには来ないものの、社交場そのものに慣れているため余裕そのものだ。
「特別なことは何もない。普通でいい」
「そりゃぁそうなんでしょうが……こればっかりは育ちの差ですので……」
「故郷ではこういった機会はなかったのか?」
「舞台はあまり。観るにしても一階席みたいなところでしたよ」
どちらかというと、灯花は映画のほうをよく観ていた。そう伝えてみれば当然映画についての説明を求められるが、うまい説明の仕方がわからずにどんどん話が遠回りになっていく。
なんだかんだ無声映画についてまで話が広がったところで開演の合図があがる。エドガルドに腰を引き寄せられた灯花は、彼に身を寄せたまま安心して舞台に向き合った。
◇
この世界で初めての観劇を、灯花は心から楽しんだ。
役者たちの演技と歌は見事で、舞台下の楽団による生演奏の迫力と臨場感。
風属性の魔石を使った舞台演出は一階席にまで及び、ちょっとしたアトラクション気分を味わえるものだった。後に聞いたことだが、この演出を間近で楽しみたいがためにわざわざ変装して一階席に座る高位貴族もいるらしい。
ロマンスありアクションあり陰謀あり。フロレンティナの一推し歌姫は、聴く者の哀れみを誘う悲恋の歌をよく通る声で儚く歌いあげていた。
しかし、こうして通しで舞台を観てみると、『ロミオとジュリエット』とはだいぶ違った印象の作品になっていたのが興味深い。
終演の後は一息つき、エドガルドと劇の内容や舞台装置についての話題で盛り上がった。
そして現在は目的の作家と会うべく、王族専用通路を通って移動している。人目を避けられるのは有り難いのだが、いくら公爵家の紹介といえど王族専用通路を使用してもいいのだろうかと不安になる。
エドガルドが言うには特に問題がないらしいが、日本の庶民感覚がまだ強い灯花には刺激が強い出来事であった。
美しい彫り細工が施された扉の前に到着すると、案内のスタッフによるゆっくりとしたノックの音が通路に響く。
誰何の声はなく、簡潔な応えによって開かれた扉をくぐり部屋へと入る。
王族が劇場を訪れた際に利用するための応接室だというその部屋は、長い毛足の絨毯が敷き詰められていて足元から暖かい。見渡すと、落ち着いた色合いで品のある細工の調度品の数々が目を惹いた。
しかしそれ以上に目を惹いたのは、ソファの手前に綺麗な立ち姿で待っていた人物。それはまだ幼さの残る顔つきをした、煌めく銀の髪の少年。
灯花とエドガルドの姿を目にした少年は、ゆっくりと深く頭を下げた。
「辺境伯閣下並びに聖女様、お目通りが叶いまして至極光栄にございます。私はカイト・マカツと申します」
エドガルドの合図に従い、少年は下げた時よりもゆっくりとした速さで頭を上げる。
そして日本人には決して見えない自らの風貌を気にすることもなく、感情を見せない笑顔で日本人風の名を堂々と名乗った。
読んでくださる皆様のお陰をもちまして、小説を書き始めたときの目標のひとつ一作十万文字を超えました。本当にありがとうございます。




