47.異世界のシェイクスピア?
異世界ロミジュリの小説版は既に読了しているのもあり、その後はレグロ侯爵夫人も交えた雑談がよく弾んだ。
フロレンティナはメインでヒロイン役を務める歌姫の大ファンなようで、その澄んだ歌声を是非聴いてほしいのだと力説される。
彼女の出演スケジュールを後日連絡してくれるそうなので、それと灯花の都合を合わせて訪問の希望日を劇場に直接伝えれば良いらしい。推しの布教のために至れり尽くせりであった。
そうして思わぬ楽しい時間を満喫していると、用事を終えたエドガルドが迎えに来る。
今回は騒ぎの当事者でもあるため、今更ホールに戻るのも少し難がある。よって今日はもうそのまま帰るということだ。
「あら、そうなの……ではまたの機会にお会いできたら嬉しいわ、トウカ様」
「はい、フロレンティナ様。またの機会に」
入室時とはうってかわって和やかな空気の中で別れを告げ、灯花たちはエストラドゥリア公爵家の控室を後にする。
レグロ侯爵夫人は感謝を受け取ったあとでホールに残っている侯爵の元へ戻り、灯花とエドガルドは帰りの馬車に乗り込んだ。
「レグロ侯爵夫人には本当に頭があがらなくなりますね……」
「俺の気持ちが少しはわかったか?」
「いま痛感しています」
楽しかったが疲労の蓄積もあり、灯花が深い溜息を吐いた。
この恩をどう返せばいいのかと、エドガルドも常々思っている。しかし当の侯爵からは「自分らに万が一何かあったら、息子たちを頼む」という言葉が返ってくるのみだ。これはエドガルドの両親が言ったことらしく、それを実行しているだけだという。
領地持ちの貴族同士なのですべてが単純ではないが、何はなくともあちらのことを今後は気にかけていきたいところだ。そのためにも灯花はまず、自分が一人前にならなければならない。おそらく先方の嫡男の婚約者より、よっぽど頼りないはずなので。
「しかし、随分と仲良くなったんだな」
「フロレンティナ様ですか? とても素敵なお方で……あ、デシデリアさんの件のお詫びということで王立劇場の席を使わせてくださるそうです」
「お詫び……?」
灯花の失敗の記憶ではあるが、エドガルドに隠すものでもない。フロレンティナに先制で仕掛けられ、そのまま罠に嵌った顛末を含めてエドガルドに事情を説明した。
「……ああ。あの件は完全に辺境側の不始末だとは思うが、そういう見方もあるのか」
「あの時点で辺境が対処しきれず、王都に戻ってきた彼女が“聖女”に関して在ること無いことばら撒いたら流石に厳しい処分があったそうです」
「それで嫌になった灯花がこの国を出るとか言い出したら損失では済まないからな」
「無事に国を出られるとは思いませんけどね……」
「大丈夫だ。俺が一緒に行く」
「まぁ心強い」
実際にエドガルドが辺境伯領を捨てるなんてことをするとは思わないが、その気持ちがとても嬉しい。灯花だって辺境伯領を出ていくことなどはもう考えられないため、徹底的に抗うだろう。
つまりは、何の瑕疵もない“聖女”にそういう攻撃を仕掛けた時点で貴族令嬢として失格。言ってしまえば、たかが子爵令嬢の横恋慕という、個人的でくだらない事情によって国益を損なう可能性のある試みをしておいて、お咎めなしなんて道理は無い。
まだ婚約者の立場でしかない灯花が既に領主夫人と同等に遇されているのも、この国の身分を持たぬ彼女を守るため――悪く言えば国に留め置くためなのだ。
それをわざわざ壊して自国の子爵令嬢を辺境伯に娶せたとしても、国のメリットは現状何も存在しない。
そもそもこの国は「漂流人の久楽下灯花」を表面上の情報だけを見て軽んじ、一度大失敗をしている。彼女の勤勉さと献身を評価し正当に遇していれば、今は王城で国のためにその力を振るっていた……という論調さえ今はあるという。
灯花からすれば、あのまま王城にいても国が望む奇跡が発現したとは思えないのでそれは捕らぬ狸の皮算用。辺境風に言えば「生まれた仔山羊を、魔物が攫わぬよう祈る」ようなものだ。
「それで、私へのお詫びとして通年で公爵家が押さえている席を融通してくださるという話になって。その……今やっている舞台は少し気になることもありますし」
異世界ロミジュリは悲劇的な結末に変更はないものの、架空の都市国家同士の話になっていたり、すれ違いによる死ではなく明確な心中となっている。
あらすじはほぼ同じなのでなんとなくの感覚でしかないが、名シーンを含めシェイクスピア節とも言えるような部分が敢えて意識的に削ぎ落とされている気がするのだ。
よってあの物語は異世界のシェイクスピアの誕生ではなく、異世界の人間が強い意志をもってあらすじを流用したのではないかと灯花は考えている。ただの盗作ではなく、他の漂流人に自分の存在を知らせるための策。そんな気がしてならないので、実際に会って確認したい。
「……わかった、俺も行こう」
「お時間大丈夫ですか? 議会もあってお忙しいですよね」
「灯花が色々やってくれているから、正直なところ今までよりかなり余裕がある」
「あら、それは……エルドのお役に立ててなによりです」
今は灯花が各種報告資料の下読みを済ませたり、そもそも彼女の担当である内向きのことを処理している。そのぶんエドガルドは議会に集中できるため、時間も気持ちも余裕があるらしい。
どさくさに紛れて、辺境伯領の権益をピンポイントで奪いに来る法案を通そうとする輩が一定数いるため、迎撃準備が欠かせないという。いったい議会では何が行われているのだろうと、灯花は少し不安になった。
「ああ、そういえば…………これは観劇デート、だな?」
「……そうですよ! 初観劇、初王都デートです!」
エドガルドのつぶやきに、灯花の瞳が少女のようにきらりと輝く。
オスヴァルドから聞いていた、王都における婚約者交流の定番「観劇デート」を図らずとも実行できそうで心が躍る。己の目的が別にあることは理解しているものの、灯花は純粋に楽しみになってきたのであった。




