41.辺境の赤い髪
外城壁下の喧騒をぼうっと聞きながら少し休んでいると、灯花に背後から抱きついているラナがぐすぐすと鼻をすすりだした。彼女も流石に怖かったのだろうと思うと、今更ながら申し訳無さが湧いてくる。
「ラナ、ごめんね。あー、違う、付いてきてくれてありがとう」
「う゛っう゛うう……トウカ様の゛お゛口゛が゛悪゛く゛~~~~~」
「えっ、口調!?」
「あぁ……ワイバーンに向かって“お前”と言っていたやつですかね」
「ええ…………?」
長く続いた緊張と安堵による落差が大き過ぎたせいか、ラナが訳のわからないことで泣いてしまっていた。タデオが補足をしてくれているが、あの時の灯花は必死すぎて自身の発言をあまり覚えておらず、どうしようもない。
「…………トウカ」
「ひゃっ!?」
この状態のラナをどう宥めようかと悩み始めたら、急に現れた大きな影がぬっと灯花を覆う。気がつけば斜め前に居たタデオが横にずれ、エドガルドが座り込む灯花を見下ろしていた。
そもそもエドガルドは外城壁の外側に居たはずでは……と混乱していると、オスヴァルドが下から跳び上がってきた。おそらくエドガルドも同じように上がってきたのだろう。しかしここの城壁は目算で高さ十メートルを軽く超えているのではないかと思う。
この世界の誰もが出来ることではないが、異世界人によるこの身体能力は何なんだろうとしみじみ思う。しかし考えても意味がないので、灯花は考えることを止めた。
「あの、その。ご無事で何よりです……エドガルド様」
「ああ、トウカは何故……いや、怪我が無いようで良かった」
エドガルドはすっとしゃがんで灯花に目線を近づける。既に状況の報告は下で済んでいるのだろう、エドガルドの後ろでオスヴァルドが灯花に向けてひらひらと手を振っていた。エドガルドも灯花がここにいることに対して言いたいことが山程あるが、とりあえず飲み込んだ。
「それでトウカ、その髪は…………一部が赤くなっているのだが?」
「髪が? いえ特には何も……あれ?」
「僭越ながら申し上げます。トウカ様の御髪の色は、ワイバーンの討伐が完了した頃には既に変わっておりました」
本人に心辺りが全くないため、ラナが補足する。エドガルドの存在があるためか、既にラナは普段通りに振る舞っている。若干鼻声が残っているのは気にせずともよい部分だろう。
灯花はとりあえず自分で確認できる範囲の髪を手に取ってみると、エドガルドの髪のような赤に染まっている房が確かにすぐ見つかった。
「守護者の色って感じだね。義姉さんが【世界】に守護者の伴侶だと認められたってことでいいんじゃない?」
「そんな適当な……そもそも守護者の色とは一体……?」
「聖殿に見つかるとまた面倒そうだが……まあ、悪い気はしないな」
「……わっ!」
オスヴァルドの適当な提案に乗り、嬉しそうに表情を緩めたエドガルドが座り込んだままの灯花の膝裏を掬って抱き上げる。驚いた彼女は慌てて太い首に腕を回し身体を寄せ、体勢の安定に協力した。
「腰が抜けているのだろう?」
「なんでバレてるんですかー……そ、そういえばクレトは?」
「帰る途中、武器の重さで馬が潰れかけた。それであいつに馬を任せて俺は走ってきた」
「走っ………………!?」
エドガルドが来ても尚ぺったりと座り込んだままの時点で予測はできるであろうが、あらゆる意味で恥ずかしくなった灯花はエドガルドの首元に顔を埋める。周囲の視線から自らの顔を隠すことで、せめてもの抵抗をした。ついでに流れを変えようと話題を変えたら、驚愕の事実を知ることになった。
森で一報を受けて急ぎ帰還を試みるものの、ワイバーンが何処へ行くかは出発段階では判断ができなかった。
兵団本部にも相当の武器が置いてあるが、領都以外に行った場合は武器が置いてある所にまで足を運ぶのは時間のロスにしかならない。そのため森の砦のものをそのまま持ち出したが、それが重すぎるため途中の小砦にて馬を換えても駄目だったという。
結局、馬をクレトに任せてエドガルド当人は武器を背負い残りの距離を走ってきたということで、何やら本末転倒の気配がする。
いや、途中まで馬が頑張ってくれたからエドガルドが間に合ったのだと思えば、馬には感謝しかない。
「そんなに遠い場所ではなかったから、あっちもそろそろ到着するだろう」
灯花はエドガルドに抱き上げられたまま移動し、馬では彼の前に乗せられ、そのまま兵団本部までたどり着く。そこには確かに、馬を二頭連れたクレトの姿があった。クレトがエドガルドの傍に戻ると、いつもの光景が戻ってきたようで安心する。
なお、灯花とラナが乗ってきた例の馬は変わらずラナが乗り厩舎に戻した。問題馬が大人しくラナに従っている状況に、先に戻っていた兵らがぎょっと二度見以上をしていたのが灯花の印象に強く残った。
落ち着くと色々なことが頭に入ってくるようになる。エドガルドからは汗と土埃の匂いがするが、不快ではない。思わず身を寄せるが、自分もだいぶ汗をかいただろうからと、その臭いは気にしてしまう。
灯花は疲労もあり、まだあまり身体に力が戻ってこない。だからこそエドガルドに支えられつつも日常の大切さを噛み締めて、緊張の抜けた笑みをふわりと溢した。




