28.目的と計画、あと手段
デシデリアは、灯花が思っていた以上に追い詰められているのかもしれない。
描いていた理想と現実が乖離していくことをどうしても認められない。だから理想に繋がる小さな現実の欠片を握りしめて、それで全てを上書きしようとしている。たとえそれが、他者からどこまでも道化に見えたとしても。彼女にはもう、自分の姿が見えていない。
これは早めに報告したほうが良いと、役場階での用を済ませてエドガルドの執務室へ急いで戻るが――――遅かった。
ラナによる控えめなノックの後に入室すると、エドガルドの執務室は泣きじゃくる声とペン先が紙を擦る音で満ちていた。
クレトはエドガルドの後ろに控えているが、いつも笑顔の彼も流石に困惑を隠せなくなっている。
この気まずい空間を打ち破ったのは、冷えた響きのバリトンだった。
「エリファロス子爵令嬢、ここは本来部外者が居ていい場所ではない。用が済んだのなら去れ」
「わたしが部外者って……この女は居るじゃない!?」
「この女とはなんだ、叔母上はお前にどんな教育をしてきたんだ?」
「お母様は関係ない!」
「大有りだ、なんだその態度は」
眼前で厳格な父と反抗期の娘のような会話が繰り広げられる。エドガルドも、灯花に対する態度に気を取られているのかわざとなのか、問題がすり替わっている。
「……そもそも、トウカはここが仕事場だ」
「じゃあ、わたしもここで仕事する!」
「お前に何ができる。叔母上からちっとも帰らず王都で遊んでばかりだと聞いているが」
「遊んでない、社交してるの!」
「ただの真似事だ。それが社交だと言い張るなら、お前は今までに何を成した?」
「それは、みんなと仲良くして、人脈をつくって……」
「つまり、ただのごっこ遊びをやっていただけだ」
「そんなことない!」
騒がしく交わされる会話と、オスヴァルドの妻のフロラから聞いた未婚の子女の話と、エドガルドから事前に聞いていたデシデリアの話も合わせるとなんとなく見えてくる。彼女は、未婚の子女によるティーサロンの集まりも、派閥の茶会も、本番前の練習の場だという認識が抜け落ちてしまっているようだ。
(……その辺は理解できる。人間が認識できる世界は狭いし、まだ十代の半ばなら尚更でしょう)
そこは親や教育係など、周囲の大人が都度認識の訂正をする必要があったはず。しかし、デシデリアはここ数年、親元を離れて王都に入り浸りだったというので、うまく機能しなかったというところか。
だからといって、一見しっかりと淑女の仮面を被っていた少女の素顔に誰も気づかなかったというのは、あまりにも不幸ではなかろうか。
「……まぁ、あの場が人脈形成の地盤であるのは、広い目で見れば間違ってもいない。ではエリファロス子爵令嬢、ここで働きたいというのならお前は何をする、辺境伯領に何をもたらせるのか」
「ええと、ここには何もないでしょう? 大きな劇場を作って、流行の発信地にしたいわね!」
「中央より危険が多いこんな国の端まで、そんな優雅な客と劇団が遥々と大勢来ると思うか? そのためにお前のその人脈は生かせるのか、仮令それで呼べたとして持続性は?」
「え? えっと……その……劇団のほうは、ここで育てて……」
「育てるためのノウハウは、ここには無いぞ。どこから引っ張ってくる?」
王都から辺境伯領の都までは、短くみても長距離馬車で一週間ほど。魔物の危険がなければ他の観光資源の開発などと合わせ、長期滞在客を見込んでそういった路線の検討も悪くなかったかもしれない。
だが、ここは辺境地方だ。中央よりも魔物が多く、小型の魔物が街に入り込むことも少なくない場所。ここでは自警団が対処してしまうことも多々あるが、王都だったら大騒ぎになって最悪騎士団が出てくる案件。それくらい感覚が違うらしい。
「誘致で人を集めるのなら、辺境伯領なら学術系のほうが現実的な気がします。土地柄、魔物そのものや魔法学の研究所などの、そういった魔物との戦いに関係するものが専門になると思いますけど……あっ」
「……続けてくれ」
執務室にいるため普段の感覚になり、つい考えがぽろりと口から溢れる。一拍遅れて気づき焦るが、部屋の主に促されたので続けるしかない。
「その、現在は魔物知識の蓄積を守護兵団が独自にやっているので……国防強化を理由に国の協力を得られれば、魔物の研究所を作れないかと。研究者を招くことができればその家族、関連する業務の人員の移住も見込める……今はその程度の思いつきです」
「なるほど、中央で燻っている生物系や魔法系の研究者を、護衛付きを条件に引っ張ってこられれば研究所の基礎案は比較的すぐにできるか」
「学問としてまだ駆け出しの分野になりますから、研究の自由度が高いのは勧誘の売りになりそうですが……」
「国の協力があっても、研究者の勧誘は派閥の囲い込みが懸念事項だな」
「はい。ならば在野の魔物研究者とか……そちらを探す方が困難そうですね」
その後も問題点を連ね、改善案を詰めていく。しかし、そもそも兵団に蓄積されている魔物知識は団員の誇りなので、そことの兼ね合いをどうするかが最大の問題である……との結論で一旦締められた。
「……とまぁ、これがここの仕事のごく一部だ。まず領の現状を知り、その先をどうしたいかの展望が必要だが、どうだ?」
あれから押し黙っていたデシデリアに顔を向け、エドガルドは感情を窺わせぬ声で淡々と尋ねた。




