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24.ここでやりたいこと

 昼寝から起きたフロラの娘にも別れの挨拶をしてから、灯花は別邸を後にした。

 懐中時計で時間の余裕を確認し、帰宅ついでにとある工房へ寄るべく馭者に指示を出す。


 移動中はラナに話を聞いてもらいながら、この国の社交界について考えをまとめる。エドガルドはしきりに「ヴァリデガラート辺境伯家は社交を求められていない」と言っているが、その理由がようやく腑に落ちた。


 辺境伯家は便宜上、保守的な王家派に属している。しかし社交の結果、なんらかの理由で議会派に傾かれると国防に割いているリソースがそちらの政治運動に回される可能性がでてくる。

 だからといって王家派が完全に囲い込むと、国内の武力バランスを懸念する議会派の反発が強くなる。よって、出来る限り中立に近い立ち位置でいることが望まれているのだろう。


 そして領外から国防以外を求められないためには、まず領内が揺るがないようにしなければならない。エドガルドが真っ直ぐ立っているのは、そういう場所だった。

 他国からも忌避される厄介な土地ゆえ国の支援はあるが、基本的に自力で真ん中に立つことが求められる。なんとも面倒なことだと心底思う。


 フロラによると、オスヴァルドは議会派の友人も多いという。エドガルドの交友関係は灯花にはまだよくわからないが、隙間時間によく手紙を書いているので、相手に議会派の関係者がいても不思議ではない。


 ところで、これは後の雑談で灯花が知ることなのだが、この面倒な舵取りをしている最中にちょっかいを掛けられた何代か前の辺境伯が、盛大にブチキレたことがあるらしい。

 彼は素早く走り回って土地を荒らすダチョウのような見た目の魔物を、街道をうまく使い誘導して、そのちょっかいを掛けてきた人物が治める領に数羽送り込んだ。

 その魔物は人間を襲わない性質のため、爆走に巻き込まれた怪我人以外は出なかったが、農地が大打撃を受ける。


 領民の怒りは当然辺境伯家へ向いたが、黙殺するどころか悪びれずに言い返した。「お前らのところの領主の頭が悪いのが問題なので、文句はそちらに言え」という子どもの喧嘩のような理屈で。

 力を持つ狂人を恐れた領民は、自らの領主に矛先を向ける。結局はその後、王家が両家の仲裁に入る形で騒動は治められた。

 ちなみに用いられたダチョウのような魔物は討伐にコツがあり、辺境伯領とその近隣では小さな村の自治組織が自力で対処できる程度の強さ。辺境伯領がいかに国の盾になっているかを、世間に思い知らせた事件だったと語り継がれているという。


 情報の整理をあらかた終えると、ちょうど目的地に着く。意識を切り替えた灯花は、自分がまずやりたいことに集中することにした。



「おお、奥様! いらっしゃいやせえ!」


 ちょうど出迎えてくれたのは、この工房の親方。灯花が頼み事をしているその人である。


「もう、奥様にはまだ早いんですよ……頼んでいたやつ、どうです?」

「一年くらい誤差ですって! 頼まれていたやつはいくつか揃えられたんでご確認を頼んます」

「どれどれ……ああ、良いですね!」


 婚約を発表してから街中で言われるようになった軽口を流し、物を確認する。ここは灯花が細かく注文をつけた算盤を作った工房で、それの子ども向け簡易版の試作をお願いしていた。

 それは算盤での数遊びをパズルのように、というコンセプトで日本の玩具を思い出しながら灯花がデザインしたもの。子どもの柔らかい手でも怪我をしないようにと全体的に丸みを帯びさせ、五桁程度のものでパッと見のとっつきにくさを軽減させる。

 かつて見た幼児向け玩具のように、カラフルに色を塗りたいが今後の量産を考えるとコストが気になってくるので泣く泣く見送っている。


「うん……いい感じ。さっそく邸の使用人の子どもたちに試して貰いますね」

「修正点なんかがありやしたら、すぐに取り掛かりますんで!」

「ありがとう、頼りにしてます」

「いやあ、商人が使う計算盤とは違う形で面白いんでねぇ」


 灯花がやりたいのは、辺境伯領のちょっとした教育改革。

 国の基準に沿った平民向けの学校は既に存在しているのだが、教材がお堅く楽しいものではない。その教材は灯花も文字を学ぶ際に利用したのでよくわかる。それは大人が学ぶには手堅く良いものだが、子どもが学ぶには退屈であろうもの。

 簡単な計算を学ぶ教材も同様だったので、灯花はまず学びが楽しいことを知ってもらいたいと思ったのだ。


 うまくいけば、辺境伯領の事務処理人材不足の解消に一役買える。

 現場レベルの処理だけでも個々に任せられるようになれば、今の状況でそれらの手続きをしている有効な人材を運営側に引き抜けるようになる。そのため、もう一歩踏み込んだ教育についての検討も必要になってくるが、とりあえずは基礎の基礎からだ。


 とはいえ、こういった社会制度において、いきなり民衆に学を持たせるのは様々な危険をはらんでいる。

 王都の識字率はここより遥かに高いようだったので、これくらいはまったく問題なかろうが、念のためエドガルドと都度相談しながら細部を詰めていこうと心に決めている。


 なお、灯花が使っている物と同じ形の本格的な算盤の販売許可は既に出している。学校で簡易算盤を学んだ人が、それを買い求める日が来たら嬉しい。

 帰路を進む馬車の中で、そんな未来を期待した灯花はひとりでこっそり笑い、向かいに座るラナの首を傾げさせた。

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