21.エピローグ
灯花とエドガルドの婚約は、急速に形が整えられていった。
あの日にさっさと帰した王城の使者を追い抜く勢いで、もはや宣言書とも称せる内容の婚約許可願を携えた辺境伯領の使者が勢いよく送り出される。
漂流人と王国貴族の婚姻は前例がなく、担当部署はどう対処すべきか考えあぐねた。その後、実際に追い抜かれていた王城の使者が上司に報告をしたのかなど実際に内部で何があったのかは不明だが、結果的に王族から直々に「諾」の返事が下った。
「いやー、しつこく進捗確認に行ったら王太子殿下が突然現れたので冷や汗かきましたよ」
使者として王城に赴いていたのはクレトの兄。彼は辺境伯領に近接する下位貴族家の出身で、彼も弟も貴族的な教育を受けている。そのため、こういった王城や他貴族に向ける使者としてよく便利に使われると、笑いながらぼやいていた。
そんなことがありつつも、灯花には驚くことがもうひとつあった。なんと王城でお世話になった教師である老婦人が、辺境伯領に現れた。
異世界人なので当たり前だが、灯花は貴族的な作法に疎い。王城時代に少し教えてもらったくらいで不安なため、ある程度は勉強しておきたいとエドガルドに頼んでおいたのだ。
老婦人はもともと、王城で『聖女ユイ』に言葉と作法を教える仕事を終えたら暫くゆっくり休む予定だったらしい。その仕事は中途半端に終わったが十分な報酬が出た上に、追加でヴァリデガラート辺境伯家からも謝礼が出たため、予定通り婚家の別荘でのんびりしていた。そんな時に、エドガルドから声がかかったという。
「夫はとっくに墓の下だし、孫も大きくなったしでやることがなくってね」
老婦人はおっとりと誇らしげに、だがどこか寂しさを滲ませて笑った。
そうやって日々は過ぎ、辺境伯家から正式に領主と聖女の婚約が発表された。
貴族の婚姻は周知のための時間として、最低でも一年ほどは婚約期間を設ける。なのでまだ婚約の段階だというのに、街では盛大に祝われ多数の贈り物が領民から続々と届いた。
その中には返却したはずのあの籠が、贈り物の本体ごと可愛らしくラッピングされたものがあり、あの顔役の女性の遊び心にエドガルドは苦笑いし、灯花は頬を赤く染め両手で覆う。
見る人が見れば、あの頃にはもうお互いが誰を見つめていたのか丸わかりだったのだろう。
ちなみに辺境伯家は高位貴族としては例外的に、国土防衛を最優先させるために社交を然程求められているわけではないという事情がある。
もちろん領として全く必要がないという事はないため作法の教育は必須だが、それと並行して灯花は今までと同じような業務を続けている。何故なら辺境伯領の事務処理は気を抜くとすぐに滞ってしまうから。灯花にとっては、両方大事なことなのである。
近隣の領地の貴族らとの挨拶などは先に少しずつ済ませ、辺境伯の婚約者の存在を周知させていく。王城へはどうせ社交シーズンに合わせて行くので、と後回しになっている。それでいいのだろうかと灯花は思うが、辺境伯家はそれでいいとエドガルドが言うので許されているのだろうと自らを納得させた。
ところで灯花の聖女発覚の原因となった足場の崩壊事故だが、聖堂の隅にそのまま潜んでいた小型魔物が、無事だった足場の接続部の目立たない箇所を執拗に攻撃していたのがあの後に発見された。
問題の小型魔物は慎重な性質で、更に蝙蝠と似たような生態と大きさや色をしているためなかなか見つけにくく、発覚が遅れたらしい。すぐに対処がなされたが、事故も含めて怪我人が出ていないのは不幸中の幸いである。
小聖堂の修繕と同時に潜みやすい箇所を塞いだり、今後は定期点検がなされることになった。
◇
「――私が全然慣れていないのもありますけど、格式張った挨拶は肩凝るんですよね」
「まったくだ、もっと楽にならないもんかとよく思う」
執務室での休憩時間、クレトとラナも気を利かせて退出しているため今はふたりきり。せっかくのその時間を色気のない会話で過ごす。その他も業務連絡のような内容だったり、ちょっとした日常の出来事だったり。
そんな他愛もない話ばかりを満喫していたところ、思いついた灯花から急に提案があげられた。
「そうだエドガルド様、落ち着いたらデートに行きましょう!」
「デート? したことないな……」
「あっ、そうなんですか」
「俺はこの通りだったからな」
エドガルドがわざと眉を顰めてみせる。灯花は一瞬焦るが、悲壮感に近い感情は何も感じられないため、少しは彼の傷が癒えているのかもしれないと安堵した。ちょっとしたことでいいと付け加えたが、お互いにこの辺りの常識を知らないのでまずは調査が必要だ。
「オスヴァルドにでも聞いてみるか」
「喜んでいろいろ教えてくれそうですね」
少し先のことを考えて笑い合える。とても些細だが大切なことだと灯花は思う。
小さな腕時計はまだ時を刻んでいるがそのうち止まる。けれど彼女の時間はエドガルドと共に先へ進んでいく。
光景を想像し嬉しくなって笑う灯花の頭をエドガルドが引き寄せ、そのまま唇を重ねる。それは数秒で離れるが、更に嬉しくなってしまった灯花がエドガルドの唇に自ら寄せる。
文字通り違う世界で育ったふたりが共に歩むのはまだ困難が待っているかもしれない。それでも手を取り合ってこの熱を離さなければ、怖いものなどそんなに無い。そう思えるようになった。
だから灯花はもう、あの星空を恐れない。
第一章、完結となります。お読みいただきありがとうございました。
ブクマや評価、各話のいいねなどもありがとうございます。とても励みになりました。
ところで、予定していた以上に綺麗にまとまったので『本編完結』ということにします。
もともと想定していた二章以降も書きますが、番外編的な表記にする予定です。
(内容は変えませんが、本編扱いにするには蛇足すぎる気がしてきたので)
とはいえ、大筋しか無くプロットがこれからなので少しお時間いただきます。
もしよろしければ、引き続きお付き合いをいただけますと幸いです。




