大晦日(おおつごもり)
「指輪の選んだ婚約者」より。
本編の前年の、年末のクラヴィス家の男たちのお話。
クラヴィス家直系の男にとって、年越しの夜というのは祭事だった。
屋敷の裏にある古い遺跡に野営し松明を焚いて、歳神が代わるその晩ずっと、その篝火が消えぬよう守り、朝日が昇るとその燃え残りの薪の状態から、新年の先行きを占うのである。
それは、王家がまだ祭祀を司っていた時代に、大晦の神事を執り行う王を一晩中守っていたことに端を発している。クラヴィス家は、古い時代に王を守っていた騎士を始祖に持つ家柄なのだ。
王への献身を認められて地位を与えられ、広大な領地を治める侯爵家となり、王を守る騎士ではなくなった今でも、この儀式だけは脈々と続けられている。厳かで粛々とした、旧い魔術の祭りである。
――はずなのだが。
フェリクスは一心不乱に、一刻も早く太陽が目覚める事を祈っていた。
今宵の自分が完全に生贄であり、酒の肴であることを、開始早々に深く思い知っていたからである。
クラヴィス候の館の裏、ちらちら舞う雪の中に煌々と灯された篝火の元で、明々と燃やされる焚き火を囲むのは、四人の男たちだ。
火に最も近いところできつい酒を煽る、威厳に満ち満ちた白髪の老人が先代のクラヴィス候。薪を適度に放り込みながら、黄金の髪を赤銅に燃え上がらせている華やかな美貌の中年男性は、当代のクラヴィス侯爵。その隣でニヤニヤと甥を眺めているのが、兄とよく似た美貌に野性味を漂わせる男らしい顔立ちの騎士、クラヴィス候の弟。そして——父や叔父とは真逆の方向性の美貌を凍らせて、沈黙の中で火を眺めているのが、次代クラヴィス候であり本日の贄である、フェリクスである。
「それにしても、今年は静かな年越しだな、兄上」
「ルナがどれだけうる……賑やかだったか分かろうというものだなあ」
フェリクスは喉の奥でこっそりと、ため息を噛み殺した。何故こんなに贄のような思いをしているといえば、姉が嫁ぎ、家からいなくなったせいなのだ。
フェリクスの姉、ルナ・マーレは、『社交界の女神』とさえ呼ばれた美貌の姫である。父親似の顔立ちは華やかで、真っ青な瞳は晴天の空のように輝いている。そして彼女はその外見通りの性格を持っていた。——賑やかで楽しいことが大好きで、勝ち気で少しばかりわがまま。そのまわりの人々を、祭りのような気分にさせてしまう。
そんな姉は当然のように社交界を我が物のように闊歩し、最終的には王国の三大公爵家の若き嫡男を射止め、今年の夏至に嫁いでいった。
そんな姫君がいなくなり、残されたのは口数の少ない弟——フェリクスのみとなれば、家の中が静かになってしまうのは仕方のないことではある。
「そうだなあ。ちび姫が生まれるまでは、義姉上だけでも存分に華やかだと思ってたはずなんだが」
「ああ、そうだったそうだった。我が家に火が灯ったどころか、業火が燃え上がったくらいに明るくなったからな。しかしまあ、娘一人嫁いだだけで、こんなに静かになるとはさすがに思わなかった。お前の奥方は大人しいしな」
「あれは、猫。大きな猫かぶってんの。でもまあ確かに、クラヴィスにいる間は静かにしてるでしょうから、賑やかにはならないな」
「お前はいつもそう言うが、一度だってあの方が羽目をはずしたことはないのだから、猫どころの騒ぎじゃなかろう」
「山猫か虎かもしれんな。……しかし、こう静かになるとそれはそれで調子が狂うな。はやいとこ新しい太陽を迎えないと、義姉上が爆……暴……寂しがられるんじゃないか?」
あの、美しいが苛烈で逞しく、誰よりも力強かった姉が——フェリクスは、彼女を反面教師としたのか、姉に比べてずいぶんと大人しい弟であったから——恋に頬を染め、幸せの絶頂の面差しで浮つくことがあろうとは思わなんだ。世の中はまだまだ不思議に満ちている。
姉が嫁いだ時、フェリクスはそんなふうに思ったものだが、火の消えたように静かになった家で彼はついに、『静かにしていても目立ってしまう』という情況に陥ったことに気がついたのだった。
「そうだなあ。迎えるまで行かずとも、予約ぐらいはしておかないとなあ」
「この歳まで決まらないとは思わなかったがなあ」
「……お二方のどちらが王太子となるか決まるまでは、うかつに動けなかったから仕方あるまいよ、なあ?」
「そうですね」
楽しげに酒を酌み交わす父と叔父を横目に、フェリクスはため息を飲み込んだ。今年の社交シーズンが終わってからこちら、何度となくちらつかされてきた話題である。家の中ではまだ逃げようもあったものの、こうして一晩火から離れられないとなると、直接水を向けられなくとも、ちょっとした拷問のようであった。
「とは言ってもなあ。お決まりになってもう4年だぞ? 兄上にしては腰が重いじゃないか」
「なんというかこう……うちから申し込むには、今一つ、丁度良い姫君がいないのだよ。みな素晴らしいが、決め手に欠けるというかねえ。本人が乗り気になるとか、どこかで出会ってきてくれれば、後押ししようとも思うのだが」
「……ないのか?」
「…………ないんだろう?」
「………………何のお話でしょうか」
「女」
げんなりとする顔も隠さず、フェリクスは遠い目になった。
「なあ、フェル坊。あっちこっちが片付いた今、お前は釣書よりどりみどりだろうよ? お前は顔だっていいんだし、声を掛けてくる女だってたくさんいるだろう? そんなにもいないかね?」
「……父上のご意見に完全同意です。これぞ、という女性は覚えがありません」
「そうか? そういえばフェル坊の女の好みは全く知らんな」
「わたしも知らぬな」
「どんな女が好みなんだお前は?」
「考慮に入れてやるから、あるなら言え。沈黙も過ぎれば美徳じゃあないんだぞ」
「……美貌によろめかないのは大したもんだがな」
注がれる視線が一つ増えたことに気がついて、フェリクスはげんなりと息をつく。
フェリクスの祖父、先代のクラヴィス候は家督を譲ってから、息子のすることに口を出すことはない。フェリクスの婚姻についても、なにか口を出す気はないようだった。
しかしだ。『面白そう』なことは別らしい。ため息も出ようと言うものだ。
フェリクスは女性を若干苦手としている。特に、華やかで賑やかな性格の女性を。それはそのまま気の強い姉と同じタイプの女性であり、さらには、それを育てた母の影響だろうと本人は思っている。更に、方向性の違う美貌の母を姉を見慣れてしまっているためか、美しい女性たちを見ても、心が動くことはない。
どうだと父に提示される女性たちの釣書や姿絵を眺めても、派手な顔立ちの女性はできれば遠慮したいし、かと言って風が吹けば折れてしまいそうな華奢な女性も、騎士として力のあるフェリクスにしてみれば不安である。閨でうっかり傷つけるどころか、日常的に何かしら怪我をさせてしまいそうだ。
「……姉上や母上と似た方は遠慮させていただきたいですが」
はっはっはと三者の笑い声が上がり、フェリクスは自棄になって杯を煽った。
「かと言って華奢で可憐な女性、というのも心許ないですし」
喉を焼くきつい酒に、目が座る。手酌て更に酒を注ぎ、フェリクスは再び杯へ口付ける。
「強いて言えば、わたしの性格に耐えられる女性ですか」
「……いきなり間口が狭まったな!」
「無口で会話が続かなくても気にせず、美女ではないが見劣りするほどでもなく、それなりに肉のある女で、侯爵夫人になりうる家柄の娘か……難しいことを言うなお前も」
「いるか?」
「ピンと来ないな……」
「ミラ家の姫はどうだ?」
「華奢すぎる気がするな……オリエンス家にも娘がいたかな」
「あれは駄目だろう。ルナの親しい友人だし、かなりの美人だ」
再び兄弟で盛り上がり始めた父と叔父へ目をやって、フェリクスは口を閉ざすことに決めた。日々を騎士団で過ごす自分に、女性との出会いはないし、シーズン中に呼ばれる夜会はどうにも苦手で、時間をやり過ごすことに注力してしまう。自分の外見が女性に騒がれていることは知ってはいるが、やり過ごそうとしていることを見抜かれれば、幻滅されるのは目に見えている。
——あと10年も一人で居れば、クラヴィス家に益のある結婚を父が用意するだろう。幸いにも、男は『嫁き遅れ』などと言われることもないし、10年したって30歳だ。
侯爵夫人となって、自分の子を生むことを了承してくれる女性なら、それで構わないのだが、父は何をそれほどこだわっているのだろう。
初恋すらまだに見える息子に、せめて幸せな結婚を用意してやりたい——そんな親の心子知らずでため息をつくフェリクスの背を、祖父がぽん、と叩いた。
*
翌朝、魔術師として薪占いを視たフェリクスが『待ち人は北に』なんて結果に首をかしげるのも、初夏に指輪をぶん投げて、北生まれの婚約者を得るのも、今はまだ見ぬ、未来のお話である。
以前活動報告に上げたものの再掲……を『みじかいお話』という短編集に完結まで隔離していたもの……を更にこちらに移動して『みじかいお話』を削除しました、という経緯でござる。
(というか『検索除外』にすればいいということを知らず、うっかり消しちゃったのである……)




