とある執事見習いは見た!
私、ヘッセと申します。ウェルバム王国の栄えある侯爵家・クラヴィス家にて、ご嫡男であるフェリクス・イル・レ=クラヴィス様に、執事としてお仕えしているものです。
とは言え、フェリクス様――若様にお仕えしているのはまだ、ここ四年ばかりのことでございます。諸事情ありまして、二十五歳の時にそれまでの仕事を辞めざるを得なくなった私は、伯父が侯爵閣下の執事としてお仕えしているご縁で、当時まだ学生でいらっしゃったフェリクス様の執事――いえ、執事見習いとなったのです。
フェリクス様は十五の時から士官学校で学ばれ、十八で卒業されてからは騎士団にお勤めという、ご実家でお過ごしになる時間の短い若様です。私が本格的にお仕えすることになるのは、彼の方が騎士団を引退され、侯爵閣下のお仕事を手伝われるようになってからになりますでしょう。
そんなわけで、今の私の仕事は、伯父であり筆頭執事であるマーヴィスの補佐として学びながら、若様がお戻りになられた際に、身の回りのお世話をさせていただくことでございます。
しかし、士官学校で身の回りのことをご自身でやるようにと躾けられた若様は、ほとんどのことは私どもを呼ぶことなく、お一人でこなしてしまわれます。まだ、侯爵家のお仕事もされておりませんし、騎士団のお仕事を持ち帰られることもありませんから、ご自宅で仕事をされることもほとんどございません。
こうなってくると、私が若様と関わらせていただくのは、日々の朝晩の短い時間と、数少ない社交のご連絡やご衣装を整えることと、私的なご手配程度。そんな状態なものですから、もう四年もお仕えしているのですが、今ひとつ、若様のお人柄を掴みきれずにおりました。
何しろ若様ときたら、奥方様譲りのとびきりの美貌をお持ちですのに、社交がお得意ではなく、大変無口な方なのです。短い挨拶と物事の是非、多少の相槌。若様のお言葉はいつもそのくらいで、下手をすると頷くだけで終わってしまい、一日に一度もお声を頂戴することのないような日もございました。
これは、大旦那様(侯爵閣下のお父君、先代のクラヴィス侯のことでございます)のご教育の影響であるとお伺いしておりますが、やんちゃの盛りのお年頃から大人しいお子様だったそうですから、生来のご気性なのだろうと、私始め使用人一同、皆そう考えておりました。
わがまま放題で、使用人を人間とも思わぬ貴族の方もいらっしゃいます。それに比べれば無口でほとんど文句もない若様は、ありがたい主ではございます。けれど我ら若様付きの使用人一同は、少々物足りぬこと、と思っていたこともまた本音なのです。
若様の姉君であるお嬢様が、わがまま――と言うよりはご意思の強い、使用人たちを振り回すアグレッシブなご婦人であったこともまた、我ら若様付きにとって幾ばくかの、『寂しさ』を感じさせる理由となっておりました。
侯爵家は歴代、賑やかなご一家です。厳格な大旦那様の頃であっても、大奥様が華やかな方でしたのでその家風は変わらず、そのお子である現侯爵閣下とその弟君もまた、明るい質の方々です。……しかし、若様がお継ぎになられることには、静かな家になるのだろうと、我らは思っておりました。
――若様が、ご婚約されるまでは。
*
「若様が、ご婚約?!」
「さすがの私も驚きましたよ」
「そんな、いつの間に……私、お伺いしておりませんが」
「ええ、そうでしょう。私とてお伺いしておりませんでした。――何しろ若様はご令嬢を昨晩の夜会で見初め、そのままご婚約となったそうですから」
「ええっ?!」
行儀が悪いですよ、と伯父に窘められ、私は慌てて口を閉ざしました。しかし、私の口から思わず飛び出た頓狂な声、これは私以外の使用人全ての代弁だったと言っても過言では無いでしょう。
若様の姉君の嫁ぎ先であるラエトゥス公爵家の夜会の翌日。慌ただしいご一家に驚く使用人一同にもたらされたのは、あまりにも大きな驚きでした。
なんでも、若様が突然ご婚約なさったというのです。
それも、夜会で見初めたお嬢様に、その場で!
一般に、高位貴族の婚約は、吟味に吟味を重ねた上、家長同士の了解によって成立するものでございます。もちろん、愛情をもって結び付く方々もいらっしゃいますが、それ以上に、政治におけるパワーバランスや派閥内での立場、財務状況や領地経営、生産品の利権など、様々な物事への『契約』やその『対価』として結ばれるものがほとんどです。
夜会で見初めてその日の内になど、まるで大昔の時代の物語のようです。
それに。私の記憶が確かならば、若様は女性を苦手とされていたはずです。
美貌と地位、ご職業の関係で、若様は大変、女性に好かれる方なのですが、どの様な美姫に言い寄られても冷徹にあしらい、決してその手を取ろうとはなさらないのです。その結果、若様には浮いた噂のひとつもなく、それどころか女性の大勢いらっしゃる場所や、夜会は極力避けて通られるほど。女性より男性がお好きなのではとの噂さえ、社交界にはあったようです。
活発な奥方様とお嬢様に振り回されてお育ちになられた為だろうと、私どもは考えていたのですが、噂を払拭しようにも、真実なのかそうでないのか、それを判断できるような特定のお相手の絡むお話は、今までついぞ、聞いたことがございません。ですから、真偽はさておき、若様は色恋に縁遠い、淡白な方なのだろうと、使用人は皆考えておりました。
ですから私は呆気にとられ、ポロリとこう呟いてしまいました。
「若様にそのような情熱的な一面がおありだったとは、恥ずかしながら存じませんでした」
「私も寝耳に水ですよ。しかし、考えてもご覧なさい。若様はお嬢様と同じご両親からお生まれになっているのです。あのお二人はご姉弟なのですよ。似たところがあっても不思議はないでしょう」
伯父の言葉に私は目から鱗が落ちるような思いでした。
嫁がれたお嬢様――ラエトゥス公爵夫人は、大変情熱的で精力的に活動されるお方です。その弟君だと思えば、内に情熱を秘めている可能性は大いにありました。
今まで、その様な情熱を向けるお相手に出会わなかっただけなのかもしれません。
「あの若様が、燃えるような恋をなさるお相手のお嬢様は、一体どんな方なのでしょうねえ……」
「びっくりするほどお美しい方だとか?」
「でも、若様って美女には見慣れてるんじゃないかしら」
「お嬢様にも振り回されていらっしゃいましたもんね」
「ものすごく色っぽい方だったりして……」
「お嬢様と真逆のタイプの方かもしれませんわよ。地味だけどものすごく癒し系……とか」
「ああー!」
「ありえますね!」
「こら、静かに。勝手な憶測で語ることは身を滅ぼすことに繋がりますよ」
皆が興奮を抑えられず、好き勝手に言うことを諌めながら、私もまた、想像せずにはいられませんでした。
あの、女性に対して興味のない風情の、どちらかというと苦手にされているらしき若様が、ひと目で恋に落ちた女性。
一体どのような方なのでしょう。
*
そんな風に、使用人一同、少々浮かれていたものですから、初めて若様の婚約者となられたポルタ嬢が当家にいらっしゃいましたその時、私達の反応はお叱りを覚悟で正直に申し上げれば、『意外である』というものでございました。
アウローラ・エル・ラ=ポルタ嬢は一見、良くも悪くも、『普通のご令嬢』でいらっしゃったからです。派手でなく、かと言って地味すぎず、美女ではないが、醜くもない。若様の苦手とされていた華やかで賑やかなタイプではないけれど、大人しくて引っ込み思案というタイプでもない。育ちの良さから、貴族としては中位以上の家柄の令嬢だろうとはひと目で分かるのですが、夜会で『その場で見初める』きっかけになるような、なにか突出したものがあるようには見えなかったのです。
不思議がる私達に、奥方様からもたらされた情報は、とんでもないものでした。
曰く、このご婚約は、若様が会場でお酒を過ごして、クラヴィス家の嫡子に代々伝わる婚礼の指輪を放り投げ、当たったご令嬢に婚約を申し込むという暴挙に出られ、結ばれたものだというのです。
――確かに若様は、お酒に弱くもありませんが、強くもございません。騎士団の行事で飲みすぎたとおっしゃって、フラフラとお帰りになられることも時々ございます。なんでもお酒に強い上官の方が多いそうで、その上若様はいつも冷静な顔をしていらして、それはお酒が入っても変わらないものですから、余計に飲まされてしまうのだそうです。
しかし、それでは、お嬢様の方は腹を立てるのが当然でしょう。いくら家格は侯爵家より下とは言え、ポルタ家といえば辺境伯、他の伯爵家よりも地位は上です。未婚のご令嬢の名に傷がついたと、名誉毀損で訴えられたり、結婚を迫られたりしても仕方のないことです。
そのようなことを私が申し上げましたら、奥方様はこうおっしゃいました。
「それがねえ、ヘッセ。翌日あの子が謝罪にお伺いしたら、お嬢さんの方から、『酒の席の上のことだから、冗談だということにしましょうか』みたいなことを言って下さったそうなのよ」
「……それは、なんと申しますか……お若いのに達観していらっしゃるというか、随分寛大なご婦人でございますね」
「そうよね、わたくしだったら何が何でも責任を取れ、嫁にしないならいい男を紹介しろと迫るところよ」
「………………しかし、若様はそのまま婚約を継続していらっしゃるのですね」
「そうなのよ。あの子のことだからこれ幸いと破談にするかと思ったのだけれど、どうやらルナがあのお嬢さんを気に入ったようでね。ちゃんと婚約しろとあの子に迫ったみたい」
「……それは、また、その、お嬢様らしいと申しますか。でもそれですと、若様はご本意でない婚約をされたということでしょうか?」
「うふふ、そう見えるわよね。でもわたくしピンと来てよ。あの子もまた頑固者だもの、ルナの発言が理不尽だと思えば、絶対に首を縦には振らないの。それなのになんだかんだ受け入れてしまったのだから、あの子も多分、満更でもないのだわ」
「……そう、なのでしょうか」
「そうよ。見ていなさい、ヘッセ。あの子はまだ無自覚のようだけれど、今にあのお嬢さんに恋をしてよ!」
ほほほほ! と高笑いなさる奥方様を横目に、私は若様とお嬢様を、注意深く見守ろうと心に決めました。
そうして、さほどたたぬ内に奥方様のお言葉が、正しかったことを知るのです。
*
そして今。
「ヘッセ」
「はい、ご用でしょうか」
「お前、婚約者はいるか」
「執事は結婚しないものでございます」
「最近はそうでもないだろう。それなら、恋人はいるか」
「現在はございません」
「過去にはいたのか」
「若様にお仕えする前でしたら、それなりに」
ご私室で机に向かっていらした若様が、私の方を振り返り、驚いたように目を見開かれました。
「何かございましたか」
「……恋人、に書く手紙とは、一体何を書けばいいのか、と思って、な」
歯切れ悪く仰られた言葉に、今度は私の方が目を見開きます。
若様のお言葉に驚いたのではございません。その時若様が、照れたような、不機嫌なような、拗ねたような、そういった表情を浮かべられたからでございます。
「……やはりお気持ちを素直に書かれるのが一番ではないでしょうか」
「そうは思うが、結局いつも伝えたいことは同じなのでな」
「でしたら、先日お会いした時の話題についてなど、綴ってみられては?」
「ああ、なるほど。感謝する。……手紙に添える花束を手配しておいてくれ」
「畏まりました。お花にご指定は?」
「ない……ああ、白バラにしてくれ。好きだと前に言っていた」
「畏まりました」
真顔で頷かれた若様の目元が、ほっと和らいだことに気づき、私もまた、表情には出さず、ほっと胸をなでおろしました。
若様は奥方様の言葉通り、みるみるうちにポルタ嬢と恋に落ちて行かれました。すると、驚いたことが起こったのです。恋に落ちた若様は、恋をすれば誰もがそうなるように、ポルタ嬢に関わる時、驚くほど表情が現れるようになり、そればかりか、使用人たちに助言を求めるようにすらなられたのです。
氷のようなと評された美貌の騎士も、恋する人に対してはごく普通の戸惑う青年なのだとようやく気づき、私共――いえ、私は初めて、主に対して親しみのようなものを覚えたのでした。
「花束に、髪飾りに使えるような、緑のリボンなどを添えられるとよろしいかもしれませんね」
「ああ……そうだな、彼女によく似合うだろう」
「銀の飾りの入ったものにいたしますか? 若様の御髪のような」
「……っ、そ、そうだな、そう、して欲しい」
「ではそちらも手配いたします」
「助かる」
私などの提案にどこか嬉しげに、微笑みのようなものすら浮かべる若様をみて、私は確信いたしました。
若様が継がれた際には、厳格で静かになるだろうと思っていたクラヴィス家は、今後もきっと、賑やかで明るい家風を維持していかれるのだろう、と。
ところで、2017/5/2に「指輪の選んだ婚約者2 恋する騎士と戸惑いの豊穣祭」が、一迅社文庫アイリスNeoから発売されることになりました。本編ほとんど全部が1巻に収まってしまったので、今回はまるっと書き下ろしになります。
詳しくはここ最近の活動報告をご覧くださいませ。




