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指輪の選んだ婚約者  作者: 茉雪ゆえ
番外編:○○は見た!

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とあるお針子は見た!

某月 よく晴れた日


 今日も忙しい。

 夜会のシーズンが忙しいってことは、平和ってことよね、とも思う。

 それにしても、この一週間で一体何着の納品があるんだろう? 裁断部隊もお針子部隊も刺繍部隊もレース部隊も総出で休む間もなく回しているけれど、終わりが見えない。


 だと言うのに、エマがまた仕事をねじ込んできた。しかもあたしの指名で、だ! この忙しい時期に割り込みとか何考えてんの! 

 腹が立ったけれど、エマのムチャはいつものことだし、ルナ・マーレさまのご依頼じゃあ、仕方がない。なにしろエマやあたしの成功の道は、ルナ・マーレさまが作ってくださったものなのだから。

 初めてお会いしたときは、なんて可憐なお嬢様だろう、これがうわさの妖精姫か、と思ったものだけれど、あの人はとんでもなかった。今まで何着、斬新と呼ばれるものを作っただろう。すぐに、斬新ではなくトレンドと呼ばれるようになるのだから、ルナ・マーレさまの目は本当にすごい。


 でも、二週間で仕上げるってのはさすがにちょっときびしい。エマはさっきからずーっとデザイン画を描き殴っている。……今度は一体、どんなご依頼だろう?





某月 夕方から雨の降った日


 急ぎの仕事に集中していたら、エマが暴れ馬のようないきおいで飛び込んできた。興奮して跳ね回っているのをどうどうとなだめる。……あらやだ、本当に馬のようね。落ち着いたところで話を聞いたら、どうやら今回のルナ・マーレさまのご依頼の件で、面白いことがあったらしい。


 今回のご依頼はルナ・マーレさまの弟君(それってあの銀の騎士様のことよね!?)の婚約者さま(ご婚約されていたなんて知らなかったわ……今日の雨は都乙女の涙雨なのかしら)が、政敵の夜会に出るためのお衣装だとのこと(戦闘服よ! とエマは言っていた)。

 婚約者さまはお可愛らしい方で、けれども弟君やルナ・マーレ様のように美しいというわけではないらしく、ならば『衣装で攻めたい』のだという。新しくて美しくて誰もの目を引くようなドレスが必要な理由が、それで分かった。貴族の世界って怖いわぁ。

 でもその心意気や良し。バラデュールの第一お針子のあたしの腕が鳴るというものだわ。


 狂ったようにデザインを書き散らしていたエマが、思い出したように持ち込んできた刺繍のサンプラーに驚いた。白いリネンに黒の糸で、すばらしい夏の森が描かれていたの! なんでも例のお嬢様が、自分で考えて刺したものらしい。

 お嬢様にしておくのがもったいないと叫びながら、刺繍職人のジャンが大興奮で図案に落とし込みをしていた。





某月 朝から気温の高かった日


 エマのデザインを見て驚いた。地が白なのだ。しかも、そこに刺す刺繍は黒の糸。白黒のドレスなんて、見たことがない。

 夜会ではダメなカラーじゃないかとジャンが言うと、エマはだからこそだと言った。鼻息も荒い。ほんとに暴れ馬みたい。若い娘さんらしい型が基本になってるけど、これじゃあただ目立つのではなくて、悪目立ちするんじゃないかしら。

 とは言え、デザインは相変わらず冴えてる。デザイン中のエマはいつも猛牛みたいだけど、出て来るものを見ると、やっぱりこいつ天才なんだなって思わされる。夜会で人目をひく、という目的はまちがいなく達成できるはずだ。駆け出しのひよこだった頃から、エマのセンスの冴えは変わらない。


ところでこのお嬢様の採寸データ、バストサイズと腰周りがそうとうなやましいかんじ。

……ルナ・マーレ様のデータと比べるのはやめておこう。





某月 曇りの日


 なんて素晴らしい生地だろう!

 甘いミルク色でほんのわずかに偏光性。光にかざしてあっちこっち眺めれば、なんとなく薄紅掛かって見えたり、ごく淡い若葉色に見えたりする。極光の女神の衣装みたいだ。

 さわればびっくりするほど滑らかで、なでれば指に吸いつくよう。いつまでだって、ふれていたくなる。こんなに素晴らしい手触りは、ルナ・マーレ様の婚礼衣装以来だと思う。まだ婚約者でしかないご令嬢にこの生地を用意するなんて、クラヴィス侯爵家の気合いが怖いくらい。

 ハサミを入れるのがもったいなくなるような生地だけれど、こんな生地を任されて、腕の鳴らないお針子なんているだろうか?


 午後、エマが前身頃の生地を持って出かけていった。お嬢様自身が刺繍をするらしい。この前のすばらしいサンプラーを刺したお嬢様。確かにあの技術なら、ドレスの刺繍だってこなせるだろう。とはいっても、時間もないし、結構面積も広いし、大丈夫なんだろうか。ジャンも心配して、いざという時の職人を手配していた。……ご隠居したはずの伝説のマダムを連れてきたときは、ちょっとめまいがしたけど。

 それにしても、刺繍に夢中なお嬢様かぁ……。本当に、一体、どんなお嬢様なんだろう?





某月 晴れの日


 あんまりにも忙しくて日が空いてしまった。


 今日、例のお嬢様のドレスの縫製が終わった。

 完成したドレスを見たとき、あたしは久しぶりに、言葉が出ない、っていうのを経験した。

 あのなめらかな白い絹に、刺繍部隊とお嬢様の刺した黒いバラがからみついてて、遠くから見ると上は白く、裾に行けば行くほど黒く見える。なんだろう、色っぽい……なまめかしい? 図案は清純な感じの、爽やかな夏のつるバラに小鳥なのに。見れば見るほど、心臓がドキドキして痛くなった。エマと組んで、バラデュールに入って、それからもう、数え切れないくらいのドレスを作ってきたはずなのに、こんなに胸が高鳴ったのはいつ以来だろう。


 お嬢様の刺した刺繍も、素晴らしかった。つややかなグレーの生地に、花びらの形をしたアラベスク文様を刺して、それを幾重にも重ねて、コサージュのようにしているの。そのバラは胸元に縫い付けてあって、そこから脇と腰へ向かって、バラのつると葉が伸びている。それも、よく見たらバラのところに使われている文様をアレンジした細かい柄になっているのだ。貴族のお嬢様が数日で刺せるもんじゃないと思う。……ジャンは安心したらしくて、酒飲んだのかってくらい泣いてた。そうよね、これで下手くそな刺繍がついていたら、予備で用意してた刺繍をなんとか誤魔化してくっつけなきゃならなかったものね。

 それにしても、やっぱりエマだ。刺繍のなまめかしさを隠すように、若いお嬢さんらしい初々しささえ感じる形で、裾は薄い絹を重ねに重ねてたっぷりふんわりしているのに、ちっとも重く見えないし、腰の大きな帯とリボンが腰をギュッと細く見せる。


 ああ、これなら、って思った。色と形と相まって、どんな地味なお嬢さんだって、夜会の主役になるだろう。隣りにいるのが銀の騎士様だっていうならなおさらだ。誰だって、目が釘付けになって、そこから離せなくなるに決まってる! それに、ドレスに興味津々の年頃の娘……いいや、女なら誰だって、敵だろうがなんだろうが、噂にせずにはいられないだろう。


 このドレスはまちがいなく、次のトレンドになる。三ヶ月後には、少し前まで白いドレスはだめ、なんて言っていたなんて信じられないって思うくらいに、みんながこんなドレスを着ているだろう。

 ……忙しくなるだろうなあ。でも、ぞくぞくするぐらい、楽しみだ。





某月 よく晴れた日


 今日は例のドレスのお嬢様の夜会の日だ。

 生まれて初めて、夜会に出られない身分が悔しい、って思った。

 ああ、どうなっただろう?

 きっと、週が明けたら、あのドレスを見たお嬢様たちがドレスを注文してくるだろう。採寸に呼ばれるだろう助手達が、うまく話を聞いてきてくれるといいんだけど!





 某月 曇りの日


 いそがしい! いそがしい! いそがしい!!

 全然書いてる暇がなかった。今日はやっとのおやすみ。いつぶりだろう?

 工房のお高い魔石ランプが魔力切れになるくらい、夜中までみんなが働いている。あたしももう二週間は、ベッドに辿り着いた記憶がないわ。


 今年の最後の夜会(ソワレ・フィナール)のための注文の数が、多分去年の倍はきてる!


 それもこれももちろん、エマの作ったあのお嬢様のためのドレスのせい。完成品を見たルナ・マーレ様が夜会よりも先に同じようなスタイルのドレスをご注文なさったから、これは絶対流行る、間違いないわ、とは思っていたけれど、まさかこれほどだなんて。


 あの夜会の翌日、いつもは屋敷にあたしたちを呼びつけるキルステン侯爵の奥方が、侍女を五人も従えて店に飛び込んできたのを皮切りに、夜会に出ていたという若い娘さんたちからの注文が、ひっきりなしに舞い込んで、ついにはあのドレスのようなデザインを、『朝と夜(ラ・ニュイ・エ・ル・マタン)』という名称で売り出した。そしたらもう、飽きそうなくらいにそればっかり。すっかり『今年のウチの看板』だ。最近じゃ、似たようなデザインを他の仕立て屋でも作っているというから、その流行りようが分かるというものよね。本物はうちのものだ、ってことが誇らしいったらないわ。


 そうそう、この前、例のお嬢様がウチの工房にいらっしゃった。あたしは戦いの真っ最中だったのでお会い出来なかったし、もちろん、激戦区である縫製室にはお通しできなかったけど、刺繍室や資料室を覗いて行かれたそう。初代や先代のサンプラーコレクションやエマの昔のデザイン画なんかをご覧になって、感涙されていらしたらしい。

 ジャンは、『お召になっていた外出着の刺繍が素敵だった』と感激していた。季節に合わせた柄で、いくつかはお嬢様自身の手がけられたものらしい。お会い出来なかったことがとっても残念。あ、もちろん、婚約者の月の騎士様もご一緒だったとのこと。洗練されたご衣装で、お嬢様を見る目が見たこともないほど甘くて、美貌が一層輝いていたとか。


 ……世間なら絶対そっちが騒がれるところなのに、お召し物の話ばかりで持ちきりになるのは、職業病ってヤツよねえ。





某月 朝に小雨


 例のお嬢様の最後の夜会(ソワレ・フィナール)の衣装の依頼が入ってきた!

 忙しすぎてエマの助手の手が足りないので、あたしが明日、エマに同行することになった。

 ……ついに、あのお嬢様ご本人に会えるのね。ああ、次はいったい、どんなドレスになるだろう?


 楽しみすぎて眠れないわ!






 


腕利きのお針子さんの日記風。


エマ、ジャン、アンヌ(語り手)は若かりし頃下町で「三度の飯より針と糸」な「裁縫三馬鹿」と呼ばれていたドレス制作に情熱を燃やす職人で、揃ってバラデュールに引き抜かれた幼馴染なんじゃよ、という特に本編に関係のない設定が。あったりなかったり。

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