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「クラヴィス様は魔法騎士だったのですね」
「ああ」
婚約者とのお茶会という名目で、花と菓子折りを携えたフェリクスが現れたのは、夜会から一週間が経った週末だった。なんでも、母と姉に、婚約者のご機嫌伺いは男の義務だと言われたそうである。婚約者らしい振る舞いとはいったいなんぞや。それはフェリクスには分からなかったが、破談にするまでは婚約者らしくしておいたほうが良いだろうと、先達の言うことにおとなしく従っておくことにしたのだという。
先達と言うよりは、母姉の物言いに逆らえなかったのではなかろうかと推測しながら、アウローラはまだなじまない婚約者を迎え入れた。
今日の彼は騎士服ではなく、藍色で品のいいフロックコートを着ていた。内側に着込んだベストの、控えめな刺繍が素晴らしいし、丁寧に髪を撫で付けた彼はきちんと貴公子に見える。土下座の面影はない。服を褒めれば、『刺繍は騎士服と同じところの手によるものだそうだ』という返答があった。アウローラにとっては満点以上のお返事である。
穏やかな日差しに満ちた昼下がりの庭で茶を淹れ、持ち込まれた菓子を出す。ふたりの他には侍女がいるだけの静かな空間は、会話が弾まないせいで小鳥の鳴き声がよく響く。そう、ちっとも会話がないのだ。なにせ、フェリクスというこの人は、返事が簡潔で膨らまない。
所謂『女性的な世間話』をひと通り試した上、アウローラがたどり着いたのは『仕事の話』だった。さすがにこれなら、返事が出来ないということはないだろうと踏んだのだが、どうやらそれはあたりだったらしい。頷きの後に「近衛隊の魔法騎士班に所属している」と、やや長い返答があった。
「わたくし、お恥ずかしながら存じませんでした」
アウローラは刺繍をしながら言った。フェリクスを迎える為に刺繍の手を止めていたら、会話を持たせる自信もないから好きなだけ刺すといい、と情けないのか潔いのか分からないことを言われたので、言葉に甘えることにしたのだ。
紅茶を片手に持ち、アウローラの手元を興味深げに眺めていたフェリクスは、彼女の言葉に首肯した。
「騎士団の編成など知っている方がおかしいだろう」
「クラヴィス様のお噂を知らないなんてと、わたくしは女中にさえ呆れられました」
「……女性の情報収集力と伝達力は恐ろしいものだな」
青い瞳が眇められる。わたくしもそう思います、とアウローラも遠い目をした。
アウローラの降って湧いた婚約のお相手がフェリクス・イル・レ=クラヴィスだと分かった時の屋敷内の阿鼻叫喚は、熱の下がりかけていた兄の体調を悪化させるほどの大騒ぎだったのだ。
『お嬢様、クラヴィス様ってあのクラヴィス様ですか! 雪華の騎士様ですか!?』
『お嬢様が本当に? フェリクス様? 銀月の貴公子様?? 何かのお間違いではなく??』
『お嬢様、絶対に騙されてらっしゃいますよ! そりゃあ、お嬢様は良い方ですけれど、そのう、ラエトゥスの若奥様とか、クラヴィスの奥方様を見慣れてらっしゃる殿方がお相手では、どう考えても、そのう、おつらい思いをなさいますよ! 落ち着いてお考えなおしくださいまし!』
『おおおおおおお嬢様! お輿入れの時にはぜひ侍女としてわたくしをお連れください!』
『抜け駆けは許さなくてよハンナ! あたしを、お嬢様あたしをお連れください!』
騒がしさを思い出し、アウローラは目眩を感じて口を閉ざした。
慈善事業の、いうなれば偽装婚約である。このまま嫁ぐわけではないのだが、もし万が一などという事があった場合には、嫁ぎ先に人を連れて行くのはやめようと真剣に考える。
「クラヴィス様が高名な魔法剣士であることを知らないなど、貴族の娘としてはモグリだと、滔々と諭されました」
「大げさな」
気を悪くしたふうもなく、かと言って嬉しげでもなく、青年の応答は淡々としている。
「謙遜ではなく、私の腕など大したものではない」
「でも、近衛隊にお勤めの時点ですごいことなのだと、侍女ははしゃいでいましたわ」
「確かに私は第一騎士団の王太子殿下付き近衛騎士隊第一小隊第四班に属しているが」
「長いですね」
「所属を言わずとも私の名を出せば伝わる」
相変わらずの端的さで、フェリクスは答えた。
「私の目から見て素晴らしいといえる実力を持つ者は、隊長と副隊長、それぞれ小隊長くらいだ」
「まあ」
「剣の腕が、魔法の腕が、という話ではなく。彼らは『人の上に立つ』力を持っている」
ふ、とフェリクスが小さな息を吐いたので、アウローラは口をつぐんだ。
この、物事を端的に語る口下手としか思えない青年にとって、その力を手に入れるのは難しいのだろうな、と思ったのである。それと同時に、彼は生まれついたその家と嫡男であるという立場によって、その力を必要としているのだろうな、とも感じた。
それ故に憧憬するのだと物語る横顔は物憂げで、アウローラは小さくため息を付いた。
「気にすることないと思うけど」
あ、いけない。とアウローラが口を抑える。うっかり身内への口調になってしまった。
それに、口には出されず表情からようやく読める、といったことは、気がつかないふりをしておいたほうが、相手の矜持を傷つけずに済むのだ。よく知らない人間に対しては特に。
フェリクスが不思議そうに目を瞬いた。不意をつかれた表情は、奇妙に幼い。
「人の上に立つ力を、生来持っている方は、稀だと思いますわ」
慌てて言い直せば、じいと睨まれる。アウローラはこほんとわざとらしい咳をひとつした。
「わたくしの父は若いころ、いわゆる『優男』で、全くそういったことに長けていなかったそうです。けれど、今ではそれなりに伯爵らしくしております。今、王都にいないのも、因縁の相手と決着をつけるなどと言って、領民を率いて小競り合いしているせいなのです。……母が大変気丈な人ですので、その影響もあったのだろうとは思いますけれど、年を経てそれなりに、人の上に立っております」
女顔であるアウローラの兄を、もう少し男臭くすると、父親そっくりになる。甘く整った、けれども絶世という程ではない顔立ちだった父は、親しみやすさからか女性にはよく好かれ、若い頃は大変にフラフラしていたという。しかし、そんな父でも今はちゃんと伯爵である。母の尻に敷かれながらではあるけれど。
侯爵家の将来を嘱望される若者と、ダメ青年だった父親を比べるものでもないかと思いつつ、アウローラは言う。
「きっと、まだ、これからですわ」
ろくに知らない相手に慰められても、腹が立つだけだろうか。返事は期待せず、アウローラは刺繍を刺す手を止め、冷えつつある紅茶へと手を伸ばす。
フェリクスは答えなかったが、その表情は少しだけ、和らいだように見えた。
「……そうだわ、単純な、騎士としてのお力だけ見たら、どなたが一番ですの?」
このお話はこれでおしまい。
気分を変えるように、アウローラは話題を切り替える。む、と考えこんでから、フェリクスは答えた。
「剣ならやはり隊長、副隊長が別格だ。次いで第一小隊長が素晴らしい」
「クラヴィス様は?」
「……十指には入るか、というところか」
「お強いのですね」
「力だけなら」
一小隊の所属人数は分からないが、それは結構強いということではないか。そう考えての素直なつぶやきに、青年は明後日の方向を向いて小さく言った。
「では、魔法も加えると?」
「魔法騎士は得意な魔法の系統がそれぞれに違うので、順位をつけることは難しい」
「クラヴィス様のお得意は?」
「氷だ」
「まあ、見た目にはぴったりですね」
「皆そう言う。もっとも模擬戦で魔法を使うことはあまりないが」
やっぱり、仕事のことなら饒舌になれるらしい。アウローラは我知らず、目元を緩めた。
「模擬戦ですか。機会があれば拝見させていただきたいですわ」
「女性が見て楽しいものかは分からないが、機会があれば案内しよう」
少しだけ柔らかに口角を上げるフェリクスを見て、いつもそうしていればいいのにと、アウローラは思った。




