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指輪の選んだ婚約者  作者: 茉雪ゆえ
本編

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「え? フェリクス様から?」

「はい、お手紙でございますよ」


 来週から夜会シーズンの後半が始まるという頃になって、アウローラ達ポルタ一家は避暑地から王都のタウンハウスへと戻ってきた。春とは違い、今度は伯爵夫妻も一緒である。避暑地に行く前は亡霊のようになっていたルミノックスも、父の代行として諸々の事務や采配を取り仕切っていた重荷がなくなったせいか、単に気温が下がったためだけとは思われぬほど元気になり、賑やかな夫妻が在宅しているのと相まって、館の中は非常に明るい雰囲気となっていた。


 家族はまず体を休めようと、夕飯前のひと時にリビングに集合し、長椅子やひとりがけのソファにそれぞれ座って、のんびりと旅の思い出を語り合っていた。

 ポルタ伯爵は避暑地に持ち込んだおみやげを避暑地で倍近い量に増やしており、家令にたしなめられたり執事に苦言を呈されたりするのを物ともせず、『変な仮面でしょう?』『この置物の間抜けな顔が最高にチャーミングでさ』『この石は素朴だけど加工して髪飾りにしたら絶対ディーに似合うと思って!』などと言いながら、一つ一つ見せびらかしている。


 伯爵夫人は領地の騎士団へ送る書簡を書きながら夫の暴走を楽しげに眺め、『これは君に!』『やっぱり緑が似合うよね〜』『あ、この短剣良くない? 骨董屋さんにあったんだ!』と夫が差し出す大量の贈り物に埋もれながら『若様ったら相変わらずだなあ』『その石は私よりローラが似合うよ、多分』などと笑っていた。


 ルミノックスは、避暑地の小さな町の古書店や骨董屋に随分古い書簡が残っていたのだと、『古くからの別荘地だから、お屋敷を取り壊したり、没落したところの払い下げ品がかなり眠っているらしくて、貴重な品がかなりあったんだよ』『来年はちゃんと予算を用意して行かないと駄目だねえ』『物によっては図書館に寄贈したほうがいいかもしれないものもあるんだよ!』と何やらかび臭い羊皮紙や革表紙の本を大量に並べては悦に入り(そんな眺めを見るたびに、この人は顔だけじゃなく、中身も確かに父の息子なのだわとアウローラは思うのである)、自分の侍従に『捨てられたくなかったらちゃんと分類してくださいね』と小言を言われていた。


 そしてアウローラはというと、父の持ち込んだあらゆるおみやげを解いている侍女たちを眺めながらスケッチブックに向かい、避暑地で見かけた風景や花、小さな遺跡の壁にあった魔法陣や小物や山間の村の民族衣装、道端のおばあさんが刺繍していた古い模様などを、刺繍の図案として書き起こしていた。

 そんな、のんびりだらりとした団らん時間に、アウローラ宛の手紙が届いたのである。


 アウローラは、専属侍女が持ってきた銀のお盆に乗った淡青の封筒に首をかしげた。


「何かあったのかしら。週末のお茶会のお誘い? でもまだ、帰ってきたご連絡は差し上げていないわよね。最後に頂いたお手紙のお返事もまだだったと思ったけれど」

「ええ、出してございませんね」

「そうよね、今日、読みなおして明日持って行ってもらおうと思っていたもの」


 避暑地で別れた折に『頑張って返信する』と言った通り、あの日から今日まで、フェリクスからはまめやかに手紙が届いていた。それはいつも、アウローラの便箋一枚分に対して三行程度という、非常に短いものではあったが、最初は無事を尋ねる言葉と近況、最後は無事を祈る言葉が連なっていて、言葉を考えることが苦手だという彼が苦心して書いた跡が、あからさまなほどすけて見えていたので(中には、書き損じてしまったがもう書き直す気力もない、という言い訳の言葉と共に二重線が引かれている手紙さえあった)、アウローラは手紙が届くのを、とても楽しみにしていたのだった。


 来週の半ば頃王都へ戻る予定ですとアウローラが出した手紙に対し、旅の安全を祈願するカードが届き、それからすぐに出立してしまったためにまだ返信を出せていないから、それきり手紙のやり取りはないはずなのに。


 怪訝に思いながら封筒を持ち上げれば、確かに宛名はすっかり見慣れた、魔術文字に似た癖の強い男性の文字である。どうしても子供の頃に祖父に習った占術用の魔術文字の癖が抜けない、読みにくくてすまないと、最初の手紙に書いてあるのを見た時は、なんだか可愛らしいとさえ思ってしまった。

 細い銀のナイフで口を開けば、封筒と同じ肌触りの、質の良い淡青の紙からほのかに植物の香りが立ち上る。庭で書いたのだろうか、木の葉が一枚混じっていて――


「……あら、まあ、大変!」


 するすると文字を読んでゆき、二枚目にさしかかったところで、アウローラは悲鳴のような声を上げて飛び上がった。彼女らしからぬ姿に侍女は驚き、膝から転げ落ちた刺しかけの布を拾い上げる。

 いつもより少しだけ長い手紙には、いつものようにほんの数単語の挨拶文、無事に帰還したかと問う言葉と、帰還よりも手紙のほうが速く着くかもしれないという詫びと、そして。


『湖での約束を果たさせて欲しい。手芸用品店でも、仕立て屋でも、宝石店でも――』


「ど、どうしよう! こ、これって、これってデートのお誘いじゃない?!」


 最後の一文は、だから一緒に出かけないか、という誘いの言葉だった。





(どうしましょう、久しぶりってなんだか緊張するわ……)


 この日ほど、父の山程用意する『おみやげドレス』がありがたいと思ったことはない。

 父イチオシの、アウローラの瞳の色に合わせたグリーンのタフタの外出用ドレスは、共布のフリルと白いレースを交互に重ねた装飾で、袖や裾、襟ぐりが飾られた、華やかと清楚さを程よく併せ持った素敵な一着だった。一番外側の生地には夏の花が白い糸で、花びらを散らしたように刺繍してあって、それが可憐な風情を添えている。袖の絞りには白いサテンのリボンが揺れていた。


(別荘の町ででかけた時は、町娘風お忍びドレスだったから……街歩きドレスでお会いするのって、初めてよね)


 とびきりかわいいよ、森の妖精さんみたいだよ、と感動に打ち震える父親と、半笑いの兄を横目に、アウローラは侍女たちと半日かけて選んだ、ドレスによく合う白い帽子と日傘を携えて、玄関近くの居室でそわそわと、長椅子に立ったり座ったりを繰り返していた。

 しばらくは刺繍の小品を刺すことに集中して落ち着いていたのだが、小さな花束の刺繍だったためにあっという間に完成させてしまい、流石に新しい図案を刺し始める気にはなれなかったのだ。


(やっぱり鏡で見た時に、一番しっくりくる色ってこの色なのよねぇ……やっぱり親はよく見てる、ってことなのかしら。フェリクス様に頂いたバラ色の訪問着も素敵だったけど、今の季節には合わないし、それにやっぱりバラ色はちょっと気恥ずかしいのよね……)


「お嬢様」


(ところでこのドレスってポルタのいつもの仕立屋かしら? 若草色に白のみで花を刺す、だなんてやるわね。所々のビーズは……淡水の真珠よね、海水のものじゃ高すぎるものね。こっちの白いのは……なんだろう、ガラスかしら。すごく綺麗だけれど初めて見るわ。オールドローズも造花には見えない素晴らしい出来。コサージュ職人さんが増えたのかしら。そうだわ、コサージュの花びらに刺繍をしたら、あの夜会のドレスの胸元のバラみたいになるかも。領地に戻ったら会いに行かなきゃ!)


「ローラ?」


(それにしても、今までどおりだったら、緑の地には緑の糸で刺すところでしょうに、担当の職人が変わったのかしら? でも、夏らしくってすごく素敵。わたしも刺したかったわぁ……時間があったら、ちょっと足したのに。――あっ、これってもしかして、ルーミス侯爵家の夜会のドレスが話題になってるってこと?! ポルタは田舎なんだから、そこで流行ってるってことは……避暑シーズンを挟んだから、そう盛り上がらずに下火になったかしらと思ってたのに!)


「アウローラ嬢」

「はいっ!?」


 聴こえた声に飛び上がる。先ほど聞こえた兄の声ではなかった。この部屋ではかつて聞いたことのない、低くなめらかな若者の声だ。


(……うっ! 久しぶりのこの眩しさ! 目が潰れそう!)


 そろそろと振り返ったアウローラの目に飛び込んできたのは、あまりにまばゆい貴公子の姿だった。


 夏の終わりに清々しい、濃い灰色の細いストライプがつややかな、明るいグレーの上下。共色で刺繍を施された、深緑のウェストコートと、よく磨かれた栗色の革靴。銀の持ち手に青い石のステッキと、上着に合わせた色の帽子。よく見れば胸元のピンも、ステッキと合わせた銀と青玉だ。

 そしてそれをまとう青年の方はがこれまた、衣装に負けない、きっちり整えられた淡い銀髪を後ろでひとつにまとめた美丈夫なのだ。がっしりした体型ではないが、騎士として均整の取れた身体をしているものだから、肩幅、胸の厚み、腕のところに生まれるシワまで、完璧に調和が取れている。

 口を開かなければ、あまりにも見事な、完成された紳士である。


 騎士として、動きやすい衣類を身に着けていることの多い彼の街歩き用の紳士服は、アウローラの息を止めるのに充分すぎた。呆然と頬を染め、しかし間抜けにあんぐりと口を開けたまま身動きしない彼女の瞳を、フェリクスは心配そうに覗きこむ。


「体調が悪いのか? それならば無理をして出かけずとも」

「いいいいいえ、違います! 元気! わたくしとっても元気です! お、お待ちしておりました、フェリクス様!」

「ああ、お待たせして申し訳ない」


 ふわりとぎこちなく微笑まれ、アウローラは歯を食いしばり、大地を踏みしめる。思わずクラクラしてしまったが、このままでは埒が明かない。


「で、ではさっそく参りましょう、フェリクス様!」


 威勢よく拳を握りしめ、ギクシャクと歩き出すアウローラの後ろをフェリクスが追う。


「そうしよう。連れて行くのは付き添い人と護衛を一人ずつか?」

「はい。いつもこの二人に頼んでいるんです」

「少ないな……貴女が拐われないか心配だ。……アウローラ嬢、手を」

「わ、わたくしをさらうような奇特な者はおりませんわ!」

「貴女は伯爵令嬢だ。それになにより可愛らしい。気をつけるに越したことはない」

「かわっ……?!」


 腕を取られ、からくり時計の人形のようにカタカタと動き出す、絶句したままのアウローラに、フェリクスを連れてきたルミノックスが苦笑する。


「気を付けてね」

「はははははーい」

「必ずや無事にお返しいたします」

「よろしくお願いします」

「この命に変えてもお守りしますので」

「……いやいや、クラヴィス殿も無事にお帰りくださいね」

「はい」


 深く首肯したフェリクスと、変わらずぎくしゃく動くアウローラの背が扉の向こうに消えたのを見送って、ルミノックスはやれやれと息をついた。侍女が部屋を片付けるのを眺め、ふと気がついて長椅子に歩み寄る。


「あの子が、落とした刺繍道具に気がつかない日がくるなんてねえ……」


 アウローラが飛び上がった瞬間に膝から落ちた、刺し終えたばかりのハンカチーフと小さな針山を拾い上げて、ルミノックスはふふっと笑った。






 

はしゃぎフェリクスとテンパリアウローラ。

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