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指輪の選んだ婚約者  作者: 茉雪ゆえ
本編

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36

 フェリクスは、魔術訓練場の隅に『篭って』いた。夏の終わり、秋の社交シーズンの始まりまであと二週間ほどとなった、とある日の夕暮れのことである。


 その日は昼過ぎから夕刻まで、魔法騎士たちの結界訓練が行われていた。

 結界と言うのは魔術の一つで、要するに『指定の領域に対し、対象物の出入りを制限する』術の総称だ。外からの音を遮る防音目的のものや、機密保持を目的として真逆の性能を持つもの。物理的に人・獣などの侵入を拒むもの、魔力が範囲内から外に出ることを制限して魔術の使用を停止させるもの、入れるが出られない、出られるが入れないものなど、多種多用な術が存在している。


 あらゆる結界術の中で最も魔法騎士に必要とされているのは、『攻撃を弾く』結界である。飛来する魔術の侵入を遮るもの、降り注ぐ矢や刃を弾くものなど、『盾』に近い働きをするものだ。実際、領域を片手程度の範囲に指定することで、盾として利用する場面も少なくない。

 しかし、咄嗟に結界術を出せるのは経験豊富な者に限られる。通常の魔術師とは違い、接近戦をもこなす魔法騎士にとって、生命に危機が迫っている時に、冷静に術を展開することは難しいからだ。無意識に術を展開できるくらいにまで、何度も何度も繰り返し、己の体に術を覚え込ませる必要があるのである。


 そんなわけで、魔法騎士たちは日々、模擬戦をしながら結界を張る訓練をしているのだった。

 結界術の得意なフェリクスは、班長でありながら教官も兼ねて、術の指導に携わる宮廷魔術師たちに教えを請う部下たちを監視していた。自分では発動せず、上手くコントロールのできない部下たちの動きや魔力の巡りを指摘して回るのが常だからだ。

 しかし、夕暮れが迫り、今日の訓練は終了となったところでクラヴィス家から、淡い緑の封書が届けられると一転、今日は一度も魔術を発動しなかったフェリクスが、防音・魔術拒否・対人侵入拒否の三重の結界を展開したのである。その堅牢さたるや、帰りかけた指導の魔術師が驚嘆して駆け寄り、周囲をぐるぐる眺め回したほどのものだった。


 ――そして。彼はそれきり、両手を広げた程の半径を持つ結界の中から、出てこなくなってしまったのである。


 今季三度目の奇行。訓練後のクールダウンが終了し、ひとり、またひとりと騎士が訓練場を去っていく中、最後に残った五人の部下たちは、出てこない上司をハラハラしながら見守っていた。


「班長は、今度はどうなさったのだろう」

「大方、先ほどの書簡が、ポルタ家の――婚約者殿からのものだったのでは?」

「しかしそれにしてはこもり過ぎじゃないのか」

「婚約者と上手く行ってない、とか……?」

「おい、やめとけ」

「別れの手紙……とか……」

「だからやめろ、縁起でもない!」


 帰るに帰れず、草木の陰、虫よけの結界の中からコソコソと、部下たちは上司を見る。視界を遮断する結界ではないため、魔術に明るくない人間が見れば、ただ佇んでいるだけなのだが、魔法騎士である彼らから見れば、魔術も攻撃も届かない分厚い氷で出来た洞の中にこもっているような状態に見えるのである。


「あの長時間、あの厚さの結界を保てるのは流石なんだが……そろそろなあ。夏休み明けから、随分元気だったのになあ、班長」

「だからどうして悪い話だと決めてかかるんだ」

「おい、誰かちょっと話し聞いて来いよ……できれば既婚者、離婚未経験のやつ」


 誰かがつぶやき、四人の目が、ひとりの騎士に注がれる。独身者の多い騎士団の若手の中では貴重な既婚者の二十七歳で三人の子持ちな、ヴァイス伯爵家の三男坊である。


「……俺か」

「僕は独り身だし。恋愛中の人よりも、成就済みの人のほうがいいんじゃないかなってさ。君ンとこ、恋愛結婚だったんだろ? 珍しいよなあ」

「長男次男はさておき、俺は三男だぞ。そう珍しいもんでもない。それにお前も婚約者はいただろう」

「うーんでも、僕のは政略的だから。お互いあんまり知らない人だし、この冬の情勢次第ではやめるかもしれなくてさ」

「あ、そういやお前、婚約するって言ってなかったっけ?」

「…………流れた」

「ごめん…………」


 にわかに葬列のような空気になった結界の中の、じめじめとした湿り気を振り払うように、既婚者・ヴァイスが立ち上がる。


「分かった、俺が聞いてくる」

「おおっ」

「よっ! 勇者!」

「かっこいーい!」

「武運を祈る!」


 ため息を一つついた部下は、それでも表情を改める。固唾を呑む同僚たちに見送られながら、軍靴を鳴らしてカツカツと分厚い結界に歩み寄り、コンコンと、魔力を込めて結界を叩いた。

 防音の魔術のせいで音は聞こえないだろうが、結界に干渉されたことに気がついたのだろう。フェリクスがすさまじい反応速度で顔を上げ、音がしそうな勢いで振り返った。防音の結界のみが解かれ、その器用さに部下は目を剥く。


「……う、わ。あの、班長! すでに本日、夜番との交代時間が迫っております! 訓練場の施錠もありますので、そろそろ結界を解いていただけますか!」

「ああ……そんな時間か。すまない」


 するりと音も衝撃もなく、結界が掻き消えた。痕跡も殆ど残らない、綺麗な解き方である。


「そちらの書簡が、どうかなさったのですか」

「いや、ただ人目に触れさせたくなかっただけだ。内容には問題ない。……そうだな、ヴァイス、確かお前は既婚者だったな」


 手にしていた書簡を懐の隠しへと後生大事に仕舞いこみながら、フェリクスは彼を見上げる。やはり婚約者絡みの話だったかと、ヴァイスは身構えながらこくりと頷いた。


「はい。丁度班長と同じ歳の時に結婚しました」

「早いな」

「そうですね。親族にも妻の両親にも、早いのではないかとは言われました」


 驚いたように声を上げたフェリクスに、彼もまた首肯する。

 貴族の結婚は早いとよく言うが、それは基本的に女性と嫡男、王族の場合だけである。魔力を持たぬ人間の寿命が短かった時代の名残であるため、近年段々と『適齢期』が遅くなってきつつあるが、未だに女性の多くは十代のうちに婚約して、二十歳前後で結婚するのだ。

 その一方で男性は非常に現実的な理由――若年の内は地位や実入りが確立していないので、『平』の地位を抜け出す二十代半ば以降で結婚する者が多いのだった。

 よって、『三男』でありながら二十一で結婚した彼は、非常に早いと言っていい。


「何故だ?」

「当時私はまだ、近衛隊ではなく、第二騎士団で王都を守る警備の任務についていた平騎士でしたから、妻を養っていけるのかと皆心配したのでしょう」


 婚約期間中に何度となく言われた言葉を、苦笑しながら伝えれば、フェリクスはブンブンと左右に首を振った。


「言葉が足りずすまない。何故婚姻したのかではなく、何故その歳で婚姻を結ぼうと思った?」

「彼女を他の男にとられるかもしれないと思ったら、我慢ならなかったのです」


 きっぱりと言い切ったヴァイスに、フェリクスが目を見開いた。

 伯爵家の三男坊は、第四班では常識担当の、冷静な男である。フェリクスほどではないが、黒い瞳が冷た印象を抱かせると周囲には認識されていて、はしゃぎがちな若手を諌める係でもあった。その彼の見せる思いがけない情熱には、隠れていた他の部下たちも息を呑む。


「妻とは第二騎士団の警備隊時代に出会いました。子爵家の娘なのですが苦労していて、ほとんど庶民のような暮らしをしていたようです。妻も庶民らしい暮らしをしていましたが、育ちは間違いなく子爵家のものなので、その育ちが立ち振舞ににじみ出ていて……その、男性受けが非常に良かった、といいますか。――クラヴィス班長がご存知かは分かりかねますが、庶民は男女の距離感が非常に近い。未婚の娘でも付添人はいないし、家が近ければ共に育ちます。誰もがそれに慣れていて……要するに、長く放っておけば他の男がすぐに言い寄るだろうと、思いまして。それが我慢ならなかったのです」


 一息に言い切った男は頬を染め、口をへの字に結んだ。草木の陰がざわめくが、班長と部下は気づかない。しばらく沈黙してから、フェリクスは『なるほど』とつぶやいた。


「婚約だけでは心許ないと思ったわけだな」

「……そう、ですね。いい男はたくさん、いましたから、ね」

「……そう、だな」


 フェリクスの顔がずんと暗くなる。ぎょっとしてヴァイスは仰け反り、草木の陰の部下たちは背中に冷たい汗をダラダラと流した。


「は、班長……?」

「俺よりまともな男なんていくらでもいるからな……」

「え、あの」

「俺は社交一つまともに出来ない口下手だ……」


 そよ、と夏の風が二人の間を吹き抜け、フェリクスは深く息を吐く。部下たちは、憂い顔も美しいとはこれだから美形は、と脳の片隅で考えながら、一体何がどうしたことかと首をかしげた。


「は、班長?」

「夜会でも彼女に頼り切りだった……。避暑地でも思うことの半分も伝えられなかった……」

「班ちょーう?!」

「……だが、手放したくはないのだ。お前の気持ちはよく分かる」


 ずい、と迫られ、ヴァイスはあと一歩でブリッジになるところまで反り返り、草木の陰に助けを求めた。無論、彼らは沈黙を守るのみである。


「う、うらぎりもの……っ」

「ヴァイス、お前はなんと言って結婚を申し込んだんだ? 参考までに教えてくれないか」

「え、あ、いえ、自分のは、多分、全然何にもまっったく役に立たないし参考にもならなさそうだといいますか、彼女にやり直しを要求されたレベルでしたので、あっそうだ、そうですよ班長! こういったことは副隊長殿がお詳しいとこの前言ってらっしゃいませんでしたか!」

「呼んだかー?」


 ヴァイスがその場しのぎの言葉を放った時、二人の背後から噂の当人が姿を表した。ヴァイスは驚きと気まずさに驚愕したが、フェリクスはぱっと振り返り、軽い敬礼をしてみせる。


「お疲れ様です、アウクシリア副隊長」

「うん、ご苦労様。お前らがいつまで立っても出てこないから施錠できねえって苦情が来たんだわ。とっとと出ろー」

「……ああ、もうそんな時間でしたか」


 敬礼を解き、日の傾く空を見上げたフェリクスにヴァイスが頭を下げ、他の部下たちの方へ向かって歩み去る。その背には安堵が滲んでいて、残りの面子がバシバシと、勇者をいたわり肩を叩いた。


「で、何してんだ第四班は?」

「本日は定例の結界訓練を。フォンスは筋がいいので、研究班に移動になっても問題ないかもしれません。ミュンターバッハは少し本腰を入れて教えてやらないと、いざというときに危険かも知れません。やる気はあるようですが」

「あー、それは後で報告書上げてくれ。んで、俺が聞きたいのはそれじゃなくて、訓練終了後何してんだお前、ってことだよ」


 ガシガシと紅茶色の短い髪をかき回し、眼鏡の奥の鳶色の瞳をしぱしぱさせながら、センテンス・イル・レ=アウクシリア近衛隊副隊長はフェリクスをじろりと見る。フェリクスはすこしばかり首を傾けてから、薄く形の良い唇を開き、低く通る声でこう言い放った。


「副隊長が恋人に婚姻をどのように申し込んだのか教えて頂きたいです」

「はぁあ?」

「そういった話は副隊長が得意だと、以前王太子殿下も言っておられた。教えて頂けませんか」


 パカっとセンテンスの口が、カエルのように開いた。いきなりなんだ、と呻き声が漏れ、フェリクスは部下との話を繰り返す。


「……というわけで、彼は彼女を逃がさぬために婚姻を決めたとのこと。ならば私もそうするべきだと思ったのです。きっかけは酩酊の末の私の愚行というひどいものでしたが、今ではあれは天の采配だったのだとさえ思っています」

「……女性の尊厳散らしたみたいに聴こえるから言い方考えような?」

「そんなことはしていません!」

「いや、分かってるって。分かってるけどな? お前いつも言葉足らねえから。他所でそんな言い方してみろ、やらかして責任とって結婚するみたいだろうが」


 呆れの表情を隠しもしないセンテンスに、フェリクスはずずいと詰め寄った。ヴァイスと違い、仰け反りも避けもしないセンテンスは、うーんと顎に手を当てて考えこむ。


「なんだ、要するに、婚約者の女の子に本気になっちまったってことか? 前に話をしにきた時には、円満に別れる方法とか言ってたくせによ」

「あの頃に帰れるならば自分を殴りたいとさえ思います。得難い人です。手放してはならないと思いました」

「……えらく心境が変わったもんだな?」


 まあともかく帰ろうや、とフェリクスの背を促しつつ彼は歩き出す。

 薄めた茜色に染まりゆく回廊に、ふたりの長い影とのんびりした足音がカツン、カツンと響き渡った。思いつめたように口を引き結び、すがるような目を向けるフェリクスの頭を、センテンスはガシガシと、己の頭にするように撫で回した。


「そう言ってもなあ……。お前がポルタ嬢に伝えたい言葉でないと意味がないんじゃねえか? 他人の言葉を借りても、お前の気持ちは伝わんねえだろう」


 王族の執務室と騎士隊の執務室の分岐点にたどり着く。時はすでに夕食の時間帯に差し掛かっており、文官も武官もみな出払っているのだろう、人も魔術の気配もなく、廊下は鎮まり返っていた。


「お前はさ、最初が最初だと悔いてるんだろう? だったらそれを挽回するような、誠実な言葉で申し込むしかないんじゃないか。……苦手なのは知ってるけどな、あんまり周りに聞いてないで、たまには頑張って台詞考えろ。んじゃお先ー」


 グローブに包まれた大きな手のひらを振り回し、センテンスは廊下の角の薄暗がりに消える。

 フェリクスがひとりきりになった廊下では、ザアザアと風が唸り木の葉が揺れる音が響いた。夕暮れの風が、フェリクスの乱れた髪と頬へ吹き付ける。


「………………言葉が、何も、出てこない」


 ひどく小さな掠れた声が、黄色みを帯びた灰色の石でできた床へと落ちる。風のざわめきの向こうで、ツグミが鳴く声が高く響いた。





 

無意識ならできるのに意識しちゃうとできないやつ。

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