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指輪の選んだ婚約者  作者: 茉雪ゆえ
本編

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「暑い……暑いよローラ……」

「まあ兄様ったら溶けた蝋燭みたい! 何のために避暑に来たのかしら」

「夏は……暑いものなのだよ……」

「わたしには程よい暑さなのだけれど。兄さまは本当、暑さに弱いわねえ」


 王太子との謁見から少し経ち。山がちなウェルバム王国にも、夏の盛りが訪れていた。山に囲まれたウェルバムの王都は熱がこもりがちとなり、気温がぐんぐん上がるため、この時期は社交界も休みとなって、貴族や豪商たちはこぞって避暑へと繰り出すのである。


 アウローラとルミノックスの兄妹もまた、ライブラ伯爵領にある別荘地へと、避暑に来ていた。ここには水の冷たい国内三番目の面積を持つ湖とポルタ家の別荘があり、一家は毎年、夏のひと月かふた月をここで過ごしている。

 冬を過ごす領地の屋敷や王都の館とは違う、明るく開放的な作りの別荘は、山から降りてくる涼やかな風を、大きな窓からたっぷりと取り入れる事ができる間取りになっている。その上、窓辺には濃い緑の葉を茂らせる木々が植えられていて、夏の太陽の日差しを遮るようになっているのだ。

 アウローラはずいぶん過ごしやすい気分でいたのだが、夏の暑さに極端に弱い彼女の兄にはそれでも辛いらしい。日の当たらない奥の部屋に引きこもってぐったりとしていた。


「父様と母様はいつ?」

「そろそろ着くって、さっき連絡があった……」

「ふうん」


 ぐったりしながらつぶやくルミノックスをいつものことだと交わしながら、アウローラは生返事をした。手元ではすいすいと夏の白百合を刺繍している。

 アウローラより魔力の強い兄は、魔法騎士でもあった母と、魔法の小鳥を使った伝達手段を持っている。一見普通の伝書鳩なのだが速度が格段に違い、距離が近ければほとんど時間差なく、領地と王都であっても一日もあれば届くのだ。そろそろつくと連絡があったのなら、本当にそろそろなのだろう。


「じゃあ、そろそろ出迎えの準備をした方がいいかしら」

「そうだね……ああ、噂をすれば、外がちょっとうるさい……」


 頭に響く、とルミノックスが顔をしかめたのを見て、アウローラは立ち上がった。


「兄さまはお加減が悪いのでしょ。わたしが二人を出迎えるから、あとからゆっくり来てちょうだい」

「すまないね……」

「いいのよ、いつものことじゃあないの」


 刺繍道具を片付けながらそう言うと、アウローラは侍女に刺繍箱を託して部屋を出た。いつの間にか、外はすっかり騒がしくなっていて、使用人たちが荷を運ぶ声と、指示を出す母、はしゃぐような父の声が聞こえる。

 相変わらず賑やかな人たち。春に領地の屋敷を出てから久々の賑やかさに、懐かしい気持ちにさえなって、アウローラは玄関ホールへと駆け込んだ。


「父様! 母様!」

「ああ、ローラ。今日も元気だね」

「ああローラ! 僕の天使! 愛の使者! 会いたかったよー!!」


 元騎士という経歴なだけあって凛々しい母、ディーエ・フィーニス・エル・ラ=ポルタと、元ぼんくらの美男である賑やかな父、ウェスペル・イル・レ=ポルタ伯爵が、アウローラを取り囲む。父はアウローラを力いっぱい抱きしめて、彼女はぐえっとカエルのようなうめき声を上げた。


「若様、一応貴方は男なんだから、そんなにギュウギュウしたらローラが死んじゃいますよ」

「そろそろ若様はやめて! ウェスって呼んで! だって聞いてよディー、ローラったら僕らがいない間にこっ、婚約なんかしちゃってー! パパ号泣だよ! しかもいきなり、断るとかあり得ない優良物件でー! うわーんローラ、僕のスイートエンジェル、お嫁になんか行かないでー!」

「うるさいですよ若様」

「若様はやめて!」


 元は伯爵家に仕える家の出身である母は、未だに父を若様と呼んでいる。それをやめてと父が否定するのも、否定されてもやめない母も、いつもどおりだ。

 賑やかを超えて騒がしい、むしろやかましい両親に、アウローラは安堵を覚えつつも、ぐるぐると目をまわず。フェリクスの婚約者となってから、無口な彼と穏やかな日々ばかり過ごしていたものだから、久しぶりの音量に、耳がどうにかなりそうだ。


「父上、ローラが失神しそうですよ。母上、お久しぶりです。ご健勝のようで何より」

「ああ、ノックス、無事でよかった。やはり今年も暑さには勝てないようだね」

「そうそう変わるものではないですね……」

「ああー! ルミ! 顔真っ青! 亡霊みたい! 寝てなきゃダメだよ!」

「ルミはやめて下さいと何度言ったら」


 げっそりと幽鬼のように青白いルミノックスがふらふらと現れ、ウェスペルがそちらへ突撃したことで自由を得たアウローラは、げほげほと咳き込みながらよろめいて、母親に力強く支えられた。


「か、あ様、おかえりなさい、ませ」

「ああ、ただいま。お父さん、ずっとお前を心配していたんだよ。許してやってね」

「ええ……大丈夫です」


 陽気でへなちょこなポルタ伯爵は、愛情深い人である。両親に相談することもなく、成り行きで婚約することとなってしまったアウローラを心配していた、というのは本当に違いない。アウローラは頷いて、ぎゅうぎゅう抱きしめられている兄を横目に、母の背後の荷物の山に目をやって苦笑する。


「そちらの山は、いつもの?」

「そう、おみやげ」

「……今年も相変わらずですわねぇ」


 辺境伯であるポルタ家は、国境警備の任務を負う貴族である。そのために、領主と、騎士団総領である妻は、例年社交シーズンも半ばに差し掛かるまで、社交界には顔を出さない。夫婦の代わりを務めるのは嫡男で、二年前から――実質は今年から、そこに娘も加わった。

 そうなると、親子は数ヶ月の間、離れて暮らすこととなる。貴族には珍しくもなんともないことなのだが、息子も娘も大好きな伯爵には耐え難いことであるらしい。領地に子どもたちがいない間も、これは娘が好きそうだ、あれは息子の好みに違いないと、いろいろなものを購入しては、避暑地で落ち合うときには必ず、山のような土産物として持ち込むのである。


「今年はローラがちゃんと社交界に出ているから、若様ったら張り切ってねえ。ドレスが何枚あることか、数えるのも嫌になるほどだよ」

「そ、そんなには夜会、出てませんけど」

「そう言わずに着てやって。新しい織物のものもあるみたいだから、宣伝も兼ねてるの」

「……刺繍を追加してもよいなら考えます」

「そう言うだろうと思って、若様は刺繍控えめのデザインばかり注文していたよ。それに、大奥様から、刺繍糸のおみやげもたんとあるから、後で開けるといい」


 ディーエは笑って言い、アウローラは胸の前で指を組んで、ときめきの悲鳴を上げた。


「刺繍糸! さすがお祖母様!」

「大奥様、春に大海国に旅行に行っていたでしょう? それで新しい色の糸をたくさん見つけたらしくて、随分な量あるよ。……ああ、たぶんあの箱。グリーンのリボンの」

「ありがとうございます母様!」

「それは領地に戻った時に、大奥様に言いなさい」

「もちろんです! 確認したら早速お手紙を書きますわ!」


 はしゃぎ、飛び上がるアウローラの髪を、母の剣だこのある手が力強く撫でる。

 久しぶりに家族が揃い、騒がしい面々に安堵と興奮を覚えながら、アウローラはふと、銀色の面影を思う。そして、奇妙な物足りなさに首をかしげた。





「どうしたのローラ、なんだか今日は大人しいね?」


 父も母も旅装を解き、晩餐も終えた後、ひとりサロンで刺繍をしていたアウローラに、父・ポルタ伯爵が声を掛けた。アウローラはきょとんと顔を上げ、ひとりがけのソファに座り直して、膝に刺繍枠を置く。


「そうかしら?」

「母上の刺繍糸の山、もっと飛び上がって喜ぶかと思ったんだよ。珍しい色の糸ばっかりだったしね。いつもだったら、食事のあとは、母上のお土産にかかりっきりだろう? それに夕食も、ローラとルミの好きなメニューばっかりだったはずなのに、時々ため息をついてた。身体は元気そうだけど、何か気にかかることがあるの?」


 アウローラの向かいのソファに、父がよいしょと腰を下ろす。

 若いころは遊び好きでご令嬢たちにもてはやされ、刃傷沙汰になりかけたことさえもあったという父は兄よりも甘い美貌の持ち主だ。結婚してからは随分落ち着き、歳が渋みとして程よくにじみ、若い頃よりいい顔になったと言われて、今でもマダムたちには人気があるという。

 しかし、彼の本当によい所は他人の心の動き(特に恋愛事)に敏感であるというところで、若いころ非常にモテたのも本当は、美貌よりはそちらが理由であったらしい。

 塞いでいるというほどではないが、心に引っかかる何かがあるのあろうと、父はアウローラに問いかけた。


「それは……」


 アウローラは困惑し、膝の上の刺繍道具を脇に避けて、父親に向き直る。


「当ててみせようか。……婚約者殿のことを考えてた。違う?」


 ハッとして顔を上げれば、兄とよく似た柔らかい瞳が優しく見つめているのに気づいて、アウローラはぐっと唇を噛み締めた。

 伯爵は目を細めて娘を見つめ、背中をどん、とソファに預けて脚を組み、寛いだ仕草で微笑む。


「ローラは、恋とかしたことないよね」

「……ありませんね」

「うん、だからだね」

「……何がです?」

「今はさ、婚約者殿の、何を考えてたの?」

「……今、何をしているんだろう、とか、今日もお仕事だったのかな、とか」

「うんうん」

「とても、静かな人なので、父様と母様に会ったら、なんて思うかしら、とか。うるさいって思われないといいなあ、とか」

「それからそれから?」

「ここに来て、今日で七日目ですけど……、婚約してから七日間に一度も会わなかったのは、はじめてだな、とか」

「会いたい?」


 にわかに頬を染めてうつむく娘に、伯爵は身を乗り出した。膝の上で頬杖を付き、娘の揺れる瞳を眺める。


「……なんでこんなに思い出してしまうのか、よくわからないんです」

「そっかー」


 否定も肯定もせず、伯爵はアウローラの頭をなでた。にこにこと、幼子に対するように頭を撫でてくる父に、アウローラは頬を膨らませ、唇を尖らせる。


「もう、子供扱いして!」

「こどもあつかいしてくれる人は貴重なんだからねー。パパを敬いなさい」

「はいはい。……今日はそろそろ寝ることにします。父様も旅の疲れがあるでしょう? 早めに寝ないと明日に差し支えますよ」

「明日は遅起きするから大丈夫」

「いつものことじゃないですか!」


 アウローラは笑い、立ち上がる。刺繍道具を片手に抱え、座ったままの父親の頬に、おやすみなさいのキスをした。


「おやすみなさい、父様」

「良い夢を」



「かわいい僕の小さな天使は、いつの間にかすっかり大人になっちゃったんだなあ」


 サロンを出て行くアウローラの背に、伯爵はぽつり、幸せと切なさを半々に織り交ぜた表情でつぶやいた。






 

パッパ登場。

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