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指輪の選んだ婚約者  作者: 茉雪ゆえ
本編

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30/59

28

 彼女を目にしたフェリクスが、急ぎ膝をつき頭を垂れる。ユールの背から脚を外したアウローラは、フェリクスの隣にすっ飛んでいって腰を落とした。

 うつむいた視界に映り込む、膝下の刺繍にアウローラは生唾を飲み込んだ。なんて上品な。こんなに高貴な刺繍はそうそうお目に掛かれるものではない。


(さすが王室御用達……! このデザイン、生地、刺繍、宝石をまとめるだなんて、王室被服官の仕事ってとんでもないわ。夜会のドレスでこれなら、正装のドレスの刺繍とか、どうなってるの? ああ、一度、一度でいいから間近に見せていただきたい……!)


 ほんの少し前の乱闘のことも忘れ、刺繍を凝視するアウローラの横で、フェリクスが無表情に挨拶を述べる。


「殿下におかれましてはご機嫌麗しく」

「ああ、そういうのは要らん。いや、急に消えたから驚いたぞクラヴィス。メッサーラに居所を探らせたら攻撃魔法の発動を観測したというから余計驚いた。なあ、メッサーラ?」

「はい」


 王女は己の後ろを振り返る。低い声が女性に応えた。黒いローブをまとう彼は見た目の通り、魔術師であるらしい。


「まあ、顔を上げるがいい。ルーミス、顔を上げられるか?」

「……み、見苦しいところをお見せいたしました」


 口の端を拭いながら、ユールがのろのろと身をもたげ、壁沿いに動いて跪く。ならばよし、と彼女は笑みを浮かべ、荒れ放題の室内を見渡して呆れたように片眉を上げた。


「よくまあここまで暴れたものだ。騎士団の無礼講でもここまで室内を破壊することはなかろうよ?」

「……申し訳ございません」


 フェリクスが再び頭を垂れる。ユールも同時に深々と、地につくような礼をとった。


「しかし、近衛隊の騎士が私闘とは頂けないな。そうだろう? ルーミス侯」


 王女が振り返り、メッサーラを除いた室内の三人も首を向ける。扉の脇の侍女たちはいつのまにやらいなくなり、代わりにそこに、真っ青な顔のルーミス侯爵の姿があった。途端にユールは目に見えて青くなり、フェリクスの表情も無表情を通り越し、無になる。

 王女は口の端を右側だけ引き上げて、ボロボロな二人の騎士を見やった。


「原因はクラヴィスの婚約者にルーミスが手を出したことか?」


 日頃の浮名が仇をなし、あっという間に原因を特定されたユールは、壁に背を預けたまま床を睨む。原因を思い出したのか、フェリクスは奥歯を強く噛んで、横目でユールをねめつけた。


「まあ、原因がどちらか、先に手を出したのがどちらか……と言うのはさておき、近衛隊員の私闘はご法度だ。近衛隊員であれば覚えていよう? 私はお飾りの第三とは言え、将軍の地位を預かっている以上、そうそう看過はできない」


 沈黙する男二人の隣で、アウローラは唇を噛みしめる。ちらりと視線を王女に投げれば、彼女の瞳はいたずらっぽく、きらりと輝いている。そうされると存外、王太子と似た表情となって、アウローラは思わず少し身構えた。王女もきっと、一筋縄ではいかない人物に違いない。


「クラヴィスの婚約者はたしか、辺境伯の子だったな。ポルタ嬢、発言を許そう」

「ありがとうございます。あの、これは私闘ではありません。酔っぱらいの、ただの喧嘩です!」

「ほう?」


 にやりと王女は二人を見やる。気まずげに視線を逸らすのを見て、喉の奥で笑いをかみ殺した。


「それで?」

「ふたりとも、よく酔っていらっしゃいましたし、武器は手になさいませんでした。魔術も……発動させることはありませんでした。

 男は拳と拳で友情を語り合うものだと、ポルタ辺境騎士団の総領である母も申しておりました。フェリクス様もルーミス様も、同じ年に生まれた士官学校の同級生、酔ってのケンカくらいしますでしょう。

 ……この度はどうか、ケンカということでお納め下さいませんでしょうか!」


 むちゃくちゃだとはわかっていた。けれど、フェリクスのことを守らなければ、とアウローラは必死だった。王女が腕を組み、楽しげに見ていることにも気づかないほどだ。

 模擬戦の一件のおかげで、彼が言い訳や自己弁護の苦手な人だと、アウローラにはよく分かっている。放っておいたら彼は概ね『自分も悪かった』として、処分を受け入れてしまうだろう。

 それにこれは、彼女がほいほい侍女についていかず、ついていったとしても早めに怪しいと判断して逃げ出していれば、起こらなかった事態である。ユールの件もそうだ。最後には確かに手を出そうとはしたけれど、そもそもそのためにアウローラを呼び出したわけではない。アウローラを見極め、ついでに文句を言うために呼び出した彼を、煽ってしまったのもまた彼女自身なのだ。


「それに、ルーミス様がわたくしを呼びつけたのは、わたくしに手を出すためではありませんでした」

「おや、違ったのか?」

「……ルーミスさまはただ、わたくしに文句を言いたかっただけのようでした。愛憎半ば、という風情で。その、わたくしへ、のではなく」

「愛憎……?」

「ええ……」


 ちらりと、アウローラは隣の婚約者を見上げた。ひくりと、彼の表情が目に見えて引きつるのを見届けてから王女に目線をやれば、彼女は「ふうん?」と感嘆したかのような声を漏らす。


「なるほど?」

「………………すまん、ルーミス。偏見は無いつもりだが、俺にはそちらの気はない」

「何の話だ?! 僕の恋愛対象は異性だ!!」

「そ、それならいいが……」

「その引きつった顔はよせ! 誤解だ!!」


 ぐわっとユールが吠え、フェリクスが一歩後ずさる。ハラハラとそれを見守るアウローラの背中で、っくと忍び笑いをさらに噛み殺す音が聞こえた。もちろん、第一王女殿下である。


「殿下……」

「はっは、いかん、可笑しい。面白い娘を捕まえたなあクラヴィスよ!」


 カラカラと、王女は男前に笑う。姿形は貴婦人ながら、その仕草は豪放磊落な将軍そのものだ。ぱちくりと目を見開いたアウローラの横で、騎士二人は恨めしげに彼女を見やる。


「仕方ない、今日は可愛らしくて面白い婚約者殿に免じて、見なかったことにしてやろう。……まあ、元々、ポルタ嬢に被害が無いようなら、厩掃除か鍛錬場の草むしりくらいの罰にする予定だったのだ」

「……はじめから、そのおつもりだったのですか?」

「ふっふ、ポルタ嬢も言っていたがね、確かに騎士や兵士と言った者達は血の気が多いのだよ。ケンカひとつで厳しい処罰を与えていては立ち行かぬさ。まあ、一方的なものや度が過ぎたもの、他者を巻き込んだものは暴力として、きっちり取り締まらねばならないがね」


 王女は銀の杖でコン、と床を打ち、背筋を伸ばす。ユールとフェリクスはザッと敬礼し、次いで拳を胸に当てた。ウェルバム王国騎士隊の、『剣も魔術も持たぬ』ことを示す礼だ。アウローラも腰を折り、二人の横へと再び並んだ。


「では、二人には後日、この部屋の掃除と弁償を命じる。ルーミス侯、それで良いかね?」

「幸いにして、表には出ておりませんので……殿下のお心のままに、処理させていただきます」


 王女の問いに、ユールとよく似た、若い頃はさぞやもてはやされただろうと思われるルーミス侯も、深く頭を下げた。


「では、これにて一件落着。ふたりとも、ポルタ嬢に感謝するがいい。――さあ、衣服を整え、夜会に戻れ! 最後のワルツの時間はもうすぐだぞ」





 三人がフロアに戻る頃には、最後のワルツはとっくに始まっていた。裏であったことなど微塵も感じさせない華やかさで、夜会はきらきらと宝石のごとくにきらめいている。先ほどの乱闘は夢か何かだったのではないかとアウローラはぼんやり思ったが、正面のフェリクスに視線を戻せば、現実であることは容易に知れた。

 慌てて整えたものだから、フェリクスの礼装はところどころ乱れていたのだ。頬には白い湿布が貼られているし、徽章も外れてところどころ足りない。

 それでも彼は、先程までの乱闘などなかったかのような優美な仕草で、アウローラに手を差し出した。彼女がそっと手を取れば、その腰をギュッと引き寄せる。

 アウローラもまた、ドレスはヨレヨレ。髪型も急ぎ結い直してもらって、先程までとは違ってしまっているけれど、流れる麗しい曲とフェリクスの腕に身を任せ、くるりくるりとステップを踏んだ。


『……波乱の一夜、でしたわねえ』

『この手の波乱は予想していなかったが』


 耳元の魔石に魔力をひとしずく。周囲の誰にも聞こえないささやきごとが、二人の耳を行き来する。フェリクスの深いため息に、アウローラは喉の奥で笑った。


『わたくしも、こんな出来事に巻き込まれるとは思いませんでしたわ。いびられるのとか、さんざんけなされるのは覚悟してきたのですけれど』

『……私の社交能力があまりに低いためだな。申し訳のないことをした』

『なんともなかったのですから、この話はもう終わりにしましょう。考えようによっては得難い経験ですわ。王女殿下にあんなにも親しげにお声をかけていただけることなんて、もう二度とないかもしれませんもの』


 終わったことは忘れる主義のアウローラはフェリクスに笑いかけたが、彼は顔を曇らせて、首を小さく左右に振った。


『貴女が戻ってこないと気づいた時は本当に肝が冷えた』


 腰に回された腕の力が、わずかばかりに強くなる。


『ひとりにするのではなかった、と』

『わたくしも、油断したなとは思いました。思いの外何事もうまくいってしまったものだから、敵地だということを忘れていたのですわ』

『私もだ。……貴女の力あればこその平穏だったのに、失念していた』

『……あら、わたくしがいない間に何かありましたの?』

『いつものことだ……』


 不意に遠い目をする彼に、アウローラは苦笑する。きっと、女性陣に囲まれたか何かしたのだろう。


『そういえば、あの時どうしてわたくしがあそこにいるとわかりましたの? かなり奥まで連れて行かれたと思ったのですけれど。あれはフェリクス様の魔術ですよね』


 思い出して首をひねれば、フェリクスは浅く頷いた。


『護りの魔石の力だ。悪意を持った人間が貴女に触れた時、私を呼び出す転移陣が発動するように、首飾りと髪飾りに仕込んでおいた』


 それはひょっとせずともすごい技術なのでは、とアウローラが瞠目すれば、同意するように彼の首が縦に動く。


『宮廷魔術師殿のお力を幾ばくか借りている。私の魔術では『悪意を向けられた際』という対象設定が上手くいかなくてな』

『まあ……それは、わたくしなぞのために、すごいものをご用意いただいて』

『だが、使われなければそれに越したことはないなと、宮廷魔術師殿とも話していたのだ。……使うような事態になったのは、私の失態だ』


 フェリクスはうなだれつつ、それでも切れのいいターンを決める。曲は終盤にさしかかり、もうまもなく、夜会は終わろうとしていた。


『私のせいで恐ろしい思いをさせて、すまなかった』

『もう、お気になさらないで下さい。わたくしはおでこをぶつけただけですし、傷だらけなのはフェリクス様の方です。それに、一番大変な時に、助けに来てくださいましたもの』


 ね? 首を傾ければ、フェリクスの瞳が、切なげに揺れた。

 ワルツは最後のフレーズに入り、フェリクスはアウローラの頬にそっと手を当てる。指先を耳元へ滑らせ、耳飾りに注がれるアウローラの魔力を止めると、小さく、肉声でつぶやいた。



「……貴女が無事で、本当に良かった」








 

お話はこの辺りで半分終了。

次のお話から後半に入ります。



なお、この夜会の数日後、騎士団の詰め所では、魔術禁止で草むしりに勤しむフェリクスとユールが見られたという……

真面目に毟ってんのに取りこぼしの多いフェリクスの後ろを、「もうちょっと丁寧にむしれ!!」って盛大に文句言いながら綺麗に毟っていくユールの姿が見られたという……

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2巻以降は完全書き下ろしなので、よろしければぜひ!

― 新着の感想 ―
[良い点] 巻末のおまけ?で出てきた フェリクスとユールの草むしりが可愛くて…!!w アウローラちゃんの機転の速さ、男前さ、サポート力が 既に婚約者(仮)超えてて、 それでいて癒し系(菩薩系?)そりゃ…
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