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指輪の選んだ婚約者  作者: 茉雪ゆえ
本編

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11/59

「覚えていてもらえてよかったよ」


 クツクツと面白げに笑う男を軽く睨んで、アウローラはため息をこぼした。婚約したての娘の部屋にふらりと不法侵入する男を忘れるなど、魔法でなければただの阿呆である。

 しかしアウローラは賢明にも、淑女の礼をとってフェリクスの後ろに下がり、返事を控えた。


「顔を上げよ。発言を許す。――今日は非公式だよ」

「畏れながら申し上げます。……瞳の色を変えていらっしゃったのですね?」

「非公式で外に出るなら、目だけは変えないとだろう? 灰色は気に入っているんだ。エーリクと言うのは外での通名」


 にんまりと口角を上げるエーリクに、アウローラは脱力するしかなかった。

 ウェルバム王国において、人にはありえぬ真紫の瞳は、王族の証だ。王の直系から三親等以内の赤子は、生まれて7日目の祝いの日に、生まれ持った瞳の色を魔術によって変えられる。――その儀式では、古の王の血が濃く出れば出るほど、鮮やかな紫の瞳を『与えられる』のだという。

 エーリクの瞳は王族でもほんのわずかしか存在しない、非常に濃い紫だった。それが指し示すのは彼が、王族の直系でも血の濃いものであるという事実だ。今日、ここに現れる予定の王族など、ひとりしかいない。


「……ご尊顔を存じ上げなかった無礼をお許し下さい、王太子殿下」


 アウローラの刺繍を見たいと言ったウェルバム王国の王太子、テクスタス殿下その人以外には、有り得ないのだ。





「どうやらだいぶ待たせてしまったのかな。すまないね」


 鍛錬場の奥に佇む古樹の下、持ち出されたテーブルを囲むのは王太子と、近衛隊副隊長であり王太子付き護衛の乳兄弟、侯爵家の嫡男にして魔法騎士のフェリクス、そして彼の婚約者である刺繍が趣味のアウローラだ。

 顔ぶれがおかしい、とアウローラはひとりごちた。非公式とはいえ、王太子の背後には侍従と護衛の騎士たちがずらりと並んでいて、より一層の物々しさを演出している。

 これほど大勢の男性に囲まれたことってあったかしら。

 隣からの『一体いつどこで殿下と』という視線に冷や汗をかき、真正面から注がれる遠慮のない『興味深い珍獣を観察する目』に震え、その隣からのニヤニヤと楽しげな『面白い玩具を見つけた少年の視線』にムッとしながら、それでもアウローラは何食わぬ顔で口をつぐんでいた。


「君に『魔術師』だと名乗ったのは嘘ではなくてね。俺は王太子である以前に魔術師なんだ。王太子業に励む傍ら、魔術師としての研究も行っているんだよ」

「お噂はお聞きしたことがございます」

「ははは、噂は『魔女王子』ってやつかな? さすがの俺も魔女ではないよ。俺は学生時代から古い魔法を研究していて、常日頃、あらゆるところで古い魔力を探っている。それである日、部下の持っているハンカチーフから、古い魔法によく似た魔力を感じ取った、というわけだ。――ポルタ嬢の持ち物をここに」

「不都合ございませんでした」

「そこに置くように」


 馬車を降りてすぐに預けた、丁寧すぎるほどのチェックを受けていたらしいアウローラのバスケットが、ごとりとテーブルに載せられた。

 アウローラはほう、と息をつき、バスケットへと手を伸ばす。針や鋏が入っているのだから当然とは言え、自分の魂とも言える刺繍道具を徹底的に(あらた)められるのは不愉快だったのだ。しかし、王宮でそんなことを口走れば不敬罪どころか、害意を疑われて反逆罪で捕まりかねない。

 御前で立ち上がる不敬を詫び、アウローラは自ら、ごそごそとバスケットの中身を広げる。


 刺繍を刺す前のリネンのハンカチーフ。

 刺繍を途中まで刺したハンカチーフ。

 刺繍が完成しているハンカチーフ。

 針箱に鋏、刺繍枠。

 縫い取りに使った糸と、未使用の糸。

 兄のために刺したタイ。

 母の髪飾りのために刺したシルク。

 幼い頃に刺した自分のためのリボン。


「それぞれの制作目的と作成時期、材料の出処、道具の購入元などはこちらにまとめてございます。どうぞ、ご自由にお手に取ってご覧ください」


 バスケットの底に敷いてあった書類を取り出し、王太子の隣でにやにやしている護衛の乳兄弟に渡す。すとんと腰を下ろせば、気が抜けた。僅かに傾いだ背をフェリクスの腕がひっそりと支える。


「――まずいぞテンス。彼女、そこいらの事務官より有能かもしれん」

「学者肌ってヤツかね。お前の同類の匂いがするな」


 王太子に書類を押し付けながら、不遜な態度の乳兄弟にアウローラは目を見開く。兄弟みたいなものなのだよと笑いながら、王太子は嬉々として、目の前の小間物に手を伸ばした。きらきらと、内側にメッキの施されたガラスビーズのような輝きを撒き散らしながら、彼の手の平が薄紫に輝く。


「……お? ふぅん……ほう? これはこれは……」


 子供のような顔をして頬を紅潮させた王太子の姿に、アウローラは兄を思い出した。

 アウローラの兄はそれこそ学者肌で、最高学府を卒業したほどの頭のデキの良い男である。彼が勉学の道を愛するようになった最初のきっかけはうんと幼い頃、祖父に天球儀を買い与えられたことだった。


「先程フェリクスの頬を拭いていたハンカチーフも見せてもらえるかい?」

「……血で汚れておりますが、こちらです」

「ありがとう」


 ――あの時の兄様と今の殿下は、おんなじような顔をしてらっしゃるわ。

 兄よりも年上の雲の上の方に、微笑ましい気持ちを抱く日が来ようとは。アウローラは、嬉々としてそれぞれの刺繍を眺め、撫で回し、指でたどり、何らかの魔術を吹き込む王太子を、ほのぼのとした気持ちで眺めた。


「ポルタ嬢、君はこの刺繍を施す間、何を考えていた?」

「……刺す間、ですか?」


 ぼんやりしていたアウローラは、殿上人の問いに首をかしげる。


「覚えておりません……無心で刺しているかと思いますが」

「刺し始める時には、誰に渡すかなどは決まっている?」

「ここにあるものは、そうでした。手慰みに刺して、できた後に請われて差し上げることもございます」


 当たり前ではないか、とは言わず、アウローラは素直に答えた。

 腐ってもご令嬢のアウローラにとって、刺繍は趣味である。職ではない。不特定の誰かが購入するためのものではないし、依頼を受けて刺すものでもない。刺したくなれば刺し、手慰みに刺し、図案が浮かべば刺し、誰かへの礼や祝いの品として刺し、家族や友人、自分のために刺す。ただし、彼女の腕は下手な職人より優れていると周囲に思われているようで、目的なく刺した刺繍を望まれて贈ることもある。

 とはいえそんなことは、アウローラに限らず、刺繍が得意な娘にとって珍しいことでも何でもない。アウローラとて幼いころ、刺繍が上手だと話題になった令嬢の刺繍を教本替わりにもらったものだし、きれいな刺繍を刺す叔母にもらった花の刺繍のハンカチーフは大事にとってある。


「君は魔女ではないのかい?」

「魔法伯の若夫人に見ていただいたことがございますが、魔女になれるほどの魔力はないとのことでした。皆無でもないそうですが」

「宵月の魔女が言うなら確かだろうな。……うーん」


 王太子は首をかしげながらひとつひとつの刺繍をまたなぞった。ほろりほろりと淡く穏やかな光が、手のひらと刺繍の間からこぼれてくる。


「……結論からいうと、この中ではタイとシルク、リボン、そしてフェリクスのハンカチーフにのみ、古い魔法――言ってみれば『まじない』が掛けられている」

「『まじない』?」


 アウローラとフェリクス、そして王太子の乳兄弟・センテンスが目を丸くする。王太子は真面目な顔で続けた。


「女の子が『恋愛成就』とかでやる『おまじない』とか、明日の天気を心配してこどもが空に祈る『おまじない』なんかと基本的には同じものだな」

「……『おまじない』は気休めのようなものではありませんか」

「普通にやったら気休めだがね。極稀に、『まじない』に魔力を込めることのできる体質を持つ人がいるのだよ。――魔法使いはそこから始まったんだ」


 王太子の紫の瞳が妖しくきらめく。美しさを通り越して剣呑なそれに、アウローラは「はあ」と不敬とも取られかねない声を上げ、フェリクスは一層の無表情になり、センテンスは「あー」と間抜けな声を出した。


「何故、まじないがまじないとして成立したか。それは、極稀にとはいえ、効果を発揮することがあるからだ。効果を発揮するまじないを掛けることができる人が存在したからだ。彼女たちは次第に『まじない』や『占い』、『薬の生成』を仕事とするようになり、その手順が代々伝わるようになって『魔女』が生まれ、その知を『学べる』ようになったことで『魔法』が、そして魔法が系統だてられ学問として成立したことで『魔術』が発生した。――要するに、今ここにある刺繍にはその『魔法以前』のちからが込められていて……」

「ストーーーーーップ! その話長くなるな!? 長くなるよな!?」


 目を爛々と輝かせて滔々と、大学教授の講義のように語り始めた王太子を、センテンスが勢い良く遮る。ぎょっとするアウローラの耳元に、半眼になったフェリクスが小さく囁いた。


(王太子殿下はこの話になると、非常に長い)

(……まあ)

「なんだよテンス、ここからがいいところで、」

「打ち切れ! 本題を述べろ! 伯爵令嬢をいつまで鍛錬場に置いとくつもりだ!」

「でもせめてこの研究の重要性を語るところまでは、」

「明日になるだろそれ!!」

(ちなみに今のは、誇張ではない)

(………………それはそれは)


「仕方ないな。……まとめるとだ」


 何が仕方ないんだ、と今にも吠えそうな乳兄弟の目線を物ともせず、王太子はやれやれと肩をすくめてまとめにかかった。アウローラが明らかにほっとした表情を浮かべたことを、咎められる者は居まい。そしてフェリクスがこの上司へと強い尊敬の念を抱いたことも、避けられぬことである。


「このタイには『治癒』の、シルクとリボンには『魅了』の、ハンカチーフには『守護』の『まじない』がかかっている。それはおそらく、ポルタ嬢が意識せず、『使う人間のことを考えたまじないを施した』からだ」


 アウローラとフェリクスは思わず顔を見合わせた。アウローラは魔女ではなく、フェリクスこそが魔術師である。そんなフェリクスがアウローラから感じる魔力は、魔女を名乗れるほどの力を持っていない。訓練の末にようやく、ごく簡単な魔法を使えるようになるだろう、という程度だ。


「ポルタ嬢の兄というのはルミノックス・イル・レ=ポルタのことだろう? 彼は確か、身体が弱かったな。だから、『治癒』のまじないはいくらか彼を助けただろう。そしてこちらのシルクは、ポルタ嬢の母上の髪飾りのためのものだと書いてある。『魅了』のまじないを掛けるのは正しいな。リボンも、幼子いえど女性の髪飾りであるから然りだ。そしてフェリクスは騎士であり、危険と隣り合わせの身であるから、『守護』のまじないが込められているのは納得の行くことだ。――この会見のために刺された刺繍に特にまじないがかかっていないのは、『これらに目的がないから』だろう」


 魔法の話になると止まらない王太子は滔々と語り、ぽかんとしたままのアウローラに、魔力的で抗いがたい、優美な笑みを向けた。


「つまり、ポルタ嬢は、魔女が魔女と呼ばれるようになる以前の魔女……研究用語で言えば『原始の魔女』の力を持っていると思われる。――というわけで、ぜひとも俺の研究に協力して欲しいんだよ」





こういうなんかそれっぽいことを書くのちょうたのしいんですけど、

お話の筋にはあまり関係ないなと思ってぶった切ってもらいました。

ありがとうセンテンス。君こそ勇者だ。

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実は「アイリスNEO」から、1~10巻が発売中です。
2巻以降は完全書き下ろしなので、よろしければぜひ!

― 新着の感想 ―
[一言] 『それっぽいこと』を読む読者の頭には、割と本気の伝承として記憶されるのです。 そして刺繍を見た時にその記憶が呼び起こされて、もしかしたら…と想像して又、長きにわたって楽しむことになります❤️…
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